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そだ☆シス  作者: Mie
大会編
738/744

693 セーレ、ちょっぴり何かに目覚める?





 たった五日、されど五日な補習バイトは嵐のように過ぎ去って。

 とうとう今日が、追試の本番。


 少しだけ開いた窓の外には清々しい青空が広がり、暖房の利いた室内に澄んだ空気と柔らかな日差しを届けてくれる。 たまに小鳥や精霊が高い空を横切ったりして、穏やかな時間が過ぎていく。

 外の眩しさに目を細め、俺は――。


「ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛」


 亡者のごとき怨嗟(えんさ)の声を上げ、奈落の底で(うごめ)いていた。 ていうか、ステータス的には完全に亡者。

 風邪であった。


「ボグ、(ゴエ)変わり゛じだよ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛……」


「はいはい、足出さないの」


 いつものメイド服を着たエルネちゃんが呆れた顔をしている。 わりとレアな表情だ。

 ()(ごと)には眉ひとつ動かさず、エルネ嬢ははみ出した亡者の足を手に取って白くてふかふかの冥界へと押し戻す。


「だっで暑いんだぼの゛~」


「ガマンしなさい」


 熱があるところにマスクもつけてるから、余計に暑いんだよおー。

 紅いメイドさんの隣では、青いメイド服姿のマールちゃんがお母さんみたいな温かい微笑みを浮かべ、ベッドで眠る俺を見つめている。

 ……せっかく思いついたギャグは、完全に亡き者とされていた。


「じゃ、行ってくるね」


「よろじぐー」


 本当に死んでいたら浄化されるだろう、明るい今はお昼前。 二人はこれから、道場で稽古をしている幼なじみーズにおやつを持っていくところであった。

 ちなみにお袋はコーチ兼監督役なので、初めから向こう。 リソ君&ニアちゃんも今日はお袋について行ったため、みんな向こうで食べるようだ。 精霊の日のエルネちゃんはいつも自分んチの家事を済ませてからこっちへ来るので、おやつは恐らくマールちゃんと、下にいるアナさんとで作ったんだろう。

 今日は親父も休みで、朝に俺の顔を見に来てからはずっと庭で木剣を振るっている音がしていた。 他にもご近所さんらしき声や生活音などがいろいろとかすかに聞こえてきて、俺がこうして伏せているに間にも世界は動いているんだなーと実感した。

 ドアの隙間からマールちゃんとエルネちゃんが手を振ってくれていたのも見えなくなって……ドアの閉まる音を最後に、世界は静寂に包まれた。



 ――お昼前にふっと生まれる、空白の時間。



 俺がよく勉強などに使う、窓のそばに置かれた低いテーブル。

 そこには金色の小さな花が一輪、頬杖をつきながら優しく咲いていた。


「……」


 目が合うと、セーレちゃんはにっこりと目に笑みを深め、立ち上がってこちらに近づいてくる。 そしてベッドのそばに再び腰を下ろした。 特に何も言わない。

 さっきまでのお喋りにも自分からは参加せず、二人っきりになってもこの通り。 もちろん話しかければ応えてくれるし、俺がのどが渇いたりすると言わずとも察して動いたりしてくれるが、何もなければ何をするでもなく。

 朝からずーっと俺のことを見つめ、嬉しそうに微笑んでいた。


 何度目かの問いかけをしようと口を開きかけたところ、正午の鐘が静寂を破った。


「あ。 お兄ちゃん、お昼持ってくる~?」


「え、っと……うん、そうだな。 お願い」


「はぁ~い」


 お袋みたいに胸の前で両手を合わせ、セーレちゃんは腰を下ろしたばかりの絨毯からまた立ち上がった。

 きらめく長い髪を揺らしてドアに向かい、手前で屈んで靴を履き、ドアを開け、俺に微笑みかけて部屋を出ていく。 屈んだとき、長いスカートと靴下との間に垣間見えたひざ裏の白さが、何故だか少し印象に残った。

 それを最後まで見送り……そういえば、こうしてあの子が何かをするのをじーっと見つめる機会がだんだん減っていたことに気づく。



「飽きないの……か」


 まさに愚問。 バカな質問だった。


 見飽きるなど、あるハズなかった。




挿絵(By みてみん)




 最後の補習が終わった、昨日の昼頃。

 俺は階段を下り始めたあたりからさり気ないフリをして学校の廊下の壁に手や背中をつきながら歩き、やっとの思いで事務局が見えるところまでやってきた。


「……はぁ、はぁ」


 ああやべー、本格的に風邪を発症したらしい。

 全身が重く、頭がクラクラし、呼吸は浅く速い。 暑いと感じているのに、たまにゾクゾクと寒くて震える。 それで階段を踏み外しそうになったときはマジで焦った。

 きっと、熱で真っ赤な顔してるだろうなあー。 ……みんなにバレなかっただろうか?

 もう昼休みに入っているのだろう、事務局の周囲には誰もいない。

 俺は残った力を振り絞り、なんとかゴールである事務局の扉を開けて――。



「お兄ちゃん」



 そこに立っていたのは、俺の妹。


「……え? なんで」


 ここにいるのか――。 ちゃんと声に出したように思うのだが、あまり自信はない。

 熱のせいでとうとう幻覚を見たか……という考えが頭の隅をよぎるも、俺の中の大部分はハッキリ「そうじゃない」と口を揃える。

 たとえぐるぐると回りそうな視界の中でも、俺に優しく微笑みかけて両手を広げる姿を、決して見間違えたりなどするものか。

 ドアに手をかけたまま固まる俺に向かって、確かにセーレちゃんは一歩一歩近づいてくる。

 そして、互いの距離はやがてゼロになり。


「お疲れさまでした、お兄ちゃん……」


 小さな身体で、俺の身体をふんわりと包み込んだ。


「……ああ」


 自然と息が漏れる。

 まるで花畑に寝っ転がるような、温もりと柔らかさと、花のような香り。 この世で最も慣れ親しんだ感覚。


「……」


 心からの安息を得た俺は、この辺りから先のことをあまりよく覚えていない。




 ――次に目を覚ました俺が見たのは、医務室の見慣れぬ天井だった。 安心しすぎて、あのまま気を失ったか。

 カーテンで仕切られたベッドのすぐ側には、セーレたんだけでなく、お袋とニアちゃんもいた。 三人一緒に事務局で俺のことを待っていたらしいが……ハニーのインパクトが強すぎてまったく記憶になかった。

 というか、俺としたことが気配に気づかなかったとは……。


「念のために、迎えに来たのよ~」


 医務室の先生に胸を開いて診察されている横で、お袋がそう教えてくれた。 それから「無理しちゃダメでしょう?」と、鼻の先を突っつかれてお叱りも。

 熱はさっきよりも気持ち下がったような気がしなくもないが、それでも呼吸は全力で走った直後のように熱くて早いし、身体はまるで重力が三倍になったように重い。

 大丈夫だと高をくくっていた結果がコレだ。 返す言葉がない。

 そして。


「ごめんなさい……それと、ありがとう」


 心配して迎えに来てくれたことに、心から感謝を。

 その後は医務室の先生からもお説教を受け、もらって飲んだ薬が効き始めるのを待ってから、お袋におんぶされて帰ってきた次第である。 お袋に身体を抱き上げられたのって、いつ振りだろうか……。

 なお、マイドーターが重力と寒さを和らげる透明の結界を張ってくれたので、俺もお袋も非常に助かった。



 夜、俺は自分の部屋で遅めの食事を取っていた。


「はい、あ~ん」


「あ゛ーん」


 お袋がふーふーしてくれたパン粥を、俺は鳥のヒナのように口を開け食べさせてもらう。

 正直言うと食欲はあまりなかったが昼も食べ損なっているし、夕方に往診してくれた、かかりつけの先生がくれた薬は食後の服用。 食べないワケにはいかなかった。 そして「自分で食べるから」って言ったのも問答無用で却下された。

 ところで……体調が悪いと、触手のコンディションも悪くなるんだなぁ。 いつもの調子で出そうとしたら、ゼリー状になっててビックリした。

 強く意識したらちゃんと固まったが。


「ふ~ふ~……はい、あ~ん♪」


「あーん」


 往診後にまた俺がちょっと寝ていた間に、みんなの夕食は終わりお風呂の時間になっていた。 ハニーもこまめに俺の様子を見に来てくれていたらしいけど、今は入浴中なのでこうしてお袋が食べさせてくれているワケだ。

 なお、我が娘も一緒にお風呂に行ったみたい。

 体調については、眠りは深くなかったが何回かに分けてけっこう寝られたため、昼間よりはかなりマシ。 最近の睡眠不足をすっかり取り戻した感じだ。

 ……この後、また寝ないといけないんだけどなー。


「ゆっくり飲むのよ~?」


「うん」


 オブラートに包まれた薬をそのまま口に入れ、水で飲む。 飲むのに手間取ったせいで舌の上でオブラートが半分溶け、「うげぇ」となるほど苦かったが仕方ない。

 顔をしかめていると、お袋に笑われてしまった。

 でもその甲斐あって、飲んだ途端に楽になった気がしてくる。 さすがはプラシーボ効果だ。

 ありがとうプラシーボさん! ……って、人の名前じゃないんだぞー。 それっぽいけど。

 よく寝て目が覚めたせいか、熱でテンションがおかしくなっているのか……いつもより余計に頭が回っております。


「落ち着いた~?」


「うん」


 再び布団に潜ると、頭をなでられて濡らして絞ったタオルをおデコに乗せられる。 真冬の水は普通に冷たく、ひんやりと気持ちがいい。

 そういや、俺の部屋にはイスなんかないから、お袋はずっとひざ立ちなのか……と思ったら、一人がけ用の小さなソファーを持ってきていた。 たぶん、お袋の寝室にあるヤツだ。

 幼子を寝かしつけるように、布団の上から胸の上あたりをぽんぽんと叩かれる振動を感じながら、俺はお袋に話しかけた。


「……迎えに来てくれて、本当に助かったよ」


 お袋はふんわりと微笑む。 何もいわず、熱でいつもより早まった俺の鼓動に対して、ゆっくりとした、優しいリズムを与えて続けてくれる。 冬の夜はとても静かで、他には何も聞こえてこない。

 とん……とん……とん……。 ベッドに入っているのに、まるでお袋に直接抱き締められているような安心感。

 そのおかげか、さんざん寝たにもかかわらず少しまぶたが重くなってきたところ――。


「本当は、内緒にしてって言われたんだけれど」


「?」


 沈みかけた意識を反射的に引き戻し、お袋の顔に目のピントを合わせる。 持ってきたソファーが低いため、お袋と俺の目線の高さはそれほど変わらない。

 お袋は、俺が頭を横に向けたせいでずり落ちそうになったタオルを掴むと、もう一度タライに浸して絞り、俺の額の上に乗せてくれた。

 温くなっていたタオルがまた冷たくなって、その様子をじっと目で追っていた俺は思わずため息を漏らす。


「内緒にして、って言われたんだけれどね……。

 ジャスちゃんが学校に行ってすぐ、セーレちゃんも学校へ行くって言いにきたのよ」


「えっ」


 心臓が跳ね、吐いて吸おうとした息が止まる。

 いや、お袋じゃなくてあの子が、っていうのも驚いたけど――。



「……すぐ(・・)?」


「ええ、すぐ(・・)



 補習が終わった頃を見計らって迎えに来たんじゃ、ない?

 つまり、それって。



「セーレちゃんとニアちゃんとママ、ずっと応接室にいたのよ?

 気づかなかったでしょう~?」


「え、え、っと……うん」


 珍しく、ドッキリが成功したような顔を見せるお袋。

 口をねこっぽい形にした笑みは、セラさんを彷彿とさせた。


「と、いうことは……?」


「ええ~」


 ご入浴中の仕掛け人ちゃんに代わって、共犯様がトリックを明かしてくれる。

 通常の学校の時間割に従って行う補習には、もちろん休憩時間がある。 三時間目からは熱が酷くなって戻れなかったけど、それまでは時間になったら一区切り入れて事務局に戻っていたワケで。

 ちなみに応接室は、事務局のすぐ隣である。


「学校の方にお願いしたら応接室を貸して下さって、そこでニアちゃんに、ジャスちゃんが気づかないようにしてもらってね~♪」


「……」


 マイドーターだけでなく、事務のお姉さん達までもがグルだった!

 ま、そうじゃなきゃ応接室なんて貸してもらえないだろうが。

 熱とは別の理由で気が遠くなりかけていると、お袋は更なる追い打ちをかけてきた。



「それに……ニアちゃんが、お友達の精霊様にお願いしてくれたらしくてね?

 ジャスちゃんがお仕事しているのを、ず~っと見ていたのよ~?」



「な……!?」


 ますます、セラさんみたいな顔をして笑うお袋。

 もともとそんなに近くなかった眠気が、それはもう豪快に外宇宙へ飛んでいった!


「いや゛いや゛いや゛いや゛」


 んなまさか!? まったく気づかなかったぞ!

 精霊っていうのはケタ違いの魔力を内包しているワケで、「ほとんど完璧」に隠蔽できるとしても、十分に気配を感じ取れるのだ。 たとえ隠蔽率が九九.九九%だったとしても、元の魔力が一億あれば一万だからな。

 そして、本当に百%完璧に隠蔽できてしまうと……俺の場合、無数の星々がきらめく銀河の中心にブラックホールがあるように、かえって違和感に気づく。 その精霊が強大であればあるほどに。

 無論、光学的にも見えなくしていることは前提条件だ。


 そんな俺が気づかないって、相当に小さな精霊が、大気のマナに紛れるくらい――。

 小さな精霊が持ち得ないほど、異常に高度な隠蔽スキルを持っているってコトで。


「……」


 うん、いるね。 そういう精霊。

 精霊姫(ニアちゃん)の「お友達」で、オルスターマイナにすら気づかれず、国中どこでも覗き放題っていう――聖母様の分体(まりもちゃん)達が。

 国の超秘密な諜報ネットワークを、よりにもよって俺なんかに使いますか……。



「……」


「……」


 あまりに大規模なドッキリに、熱も相まって俺はボーゼン自失。

 さすがにすべての真相は知らない――知ってはいけないお袋は、俺の顔を見てにこにこしながら、布団をぽんぽん叩いていた。

 いくらか時間が経ってさすがにのどの渇きを覚え始めると、お袋は近くのチェストテーブルに置いてあるコップを渡してくれた。


「はい、お水」


「ありがと」


 暖房の利いた部屋の中でちょっと温くなってはいたが、その分ビックリすることなくのどを水が通り、人心地つく。

 お袋もまた、自分用に持ってきたコップにピッチャーから水を注ぎ、口をつけた。 白く細いのどをこくん、と水が流れ落ち、色っぽいため息を漏らす。

 再び目が合うまで、ちょっと見とれてしまっていた。


「セーレちゃんね……」


「あ、うん」


「ジャスちゃんが辛そうにしていても、ママにできるだけ止めないで、って言ったの」


「……え?」


 一瞬、耳に入った言葉を理解できなかった。

 ああ、補習のときか……と、意味を脳が理解したとき、お袋は既にその先を口にしていた。



「お兄ちゃんは、きっと最後まで頑張りたいだろうから、って。


 自分の太ももをぎゅうっと掴んで、泣きそうな顔をしながら……ね」



「……」


 ……ああ。 先に水を飲ませてもらって、よかった。

 俺は胸元の布団を掴み、額のタオルが落ちるのも気にせず、力の限り引っ張った。


『おやすみなさい』


 お袋は真っ暗になった上からぽんぽんと布団を叩き、そっと部屋を出ていった。




************



 次の日。 開けたカーテンから、冬の優しい日差しが降り注ぐ。

 窓の外には清々しい青空が広がり、暖房の利いた室内に柔らかな午後の日差しを届けてくれる。 たまに小鳥や精霊が高い空を横切ったりして、静かで穏やかな時間が過ぎていく。

 しばらくぼーっとしていると、ココで食べた俺の昼食を下に持っていたセーレちゃんが戻ってきて、昨日お袋がベッドの脇に置いたままのソファーへ腰掛けた。


「お兄ちゃん。 なにかしてほしいこと、ある~?」


 薬もちゃんと飲み、かれていた声もずいぶんとマシになってきた。

 熱もないワケじゃないが、昨日に比べると大したことはない。


「ううん。 ありがとう」


「うんっ」


 子供にはちょっと大きなソファーに身体を沈め、ちょっと低い位置から俺のことをじーっと眺めるマイシスター。

 特にすることもなく、のどのケアのため交わす言葉も少ないっていうのに、嬉しそうにしている。


「……」


「……」


 病人が伏せるベッドの側に、可愛い花が咲く。 マスク越しでも、それは決して色あせることはない。 見ているだけでも元気になれそうだ。

 お袋達はまだ道場。 親父はまた庭で木剣を振り始めたようで、かすかに風を切る音がしてくる。 アナさんは、まだ下で仕事をしているハズだ。


「ねえ――」


「い・や♪」


 退屈じゃない? 飽きるでしょ? ……何を言っても、この子には満面の笑顔で首を振るばかり。 「風邪が移るといけないから」と言っても、こうして却下される。

 朝にはそれで軽く言い合いもしたが……「少しだけ窓を開けて最低限の換気をすること」「マスクを装着すること」、それから「看病する人も念のため同じ薬を飲んでおけば大丈夫」というかかりつけの先生からのアドバイスによって、ハニーは合法的に今の立場を確保していた。


「はぁ」


 マスクの下で、そっとため息をつく。

 この子に頑固なところがあるのは当然知ってるけど、その上裏からこっそりと根回しすることまで覚えてしまったようだ。

 まったく、いつの間にそんな――。



「……おっと」


 多めに水分を取っているせいもあり、またトイレに行きたくなってしまった。 動けばやはり鉛のように重い身体をなんとか起こそうとすると、すかさずハニーが立ち上がり手伝ってくれる。

 気配か目の動きかは分からんけど、反応の早さに舌を巻く。


「お兄ちゃん、おトイレ~?」


「うん」


 俺がするよりも早く毛布ごと布団をめくり、側に置いてある上着代わりのストールを肩にかけてくれるセーレたん。

 そのかいがいしさに、胸が温かくなってくる。


「お手伝いするの~」


「いや、大丈夫」


 とはいえ、さすがにこの子の力では俺を立たせることはできないので、触手を杖代わりにして「よっこらせー」と立ち上がる。 意識的に固めないと触手がゼリー化しかねないので、ちょっと気を遣う。

 寝っぱなしのため起きるときにチト大変だが、一度立てば歩くくらいは普通にできる。 が、それでもハニーは俺に寄り添った。 まあ、敢えて遠慮する理由はない。

 布団の温もりも悪くはないが、やっぱりハニーには遠く及ばない。


「お手伝いするね」


「ありがとう」


 マスク越しに言葉と笑みを交わし、ゆっくりと歩く。 多少はフラつくものの、たまに身体を動かすのは気持ちがいい。


「お手伝いするよ~?」


「ううん、大丈夫」


 部屋を出る前に靴を履くところでまたお手伝いを申し出られ、それを丁重にお断りすると代わりにドアを開けてくれた。 廊下から流れてくる空気は冷たくて震えるけど、思いっきり吸い込むと身体の中が洗われるようだ。

 そこまで重症ってワケじゃないし、やっぱり多少は動いた方が精神的にもいいだろう。

 俺達は廊下を歩き時間をかけて壁伝いに階段を下り、途中で会ったアナさんと言葉を交わして、ようやくトイレの前に到着した。

 早めに起き上がって、ちょうどくらいの時間か。 ……昨夜は危なかったからな。

 俺はハニーと向かい合い、トイレの真後ろにあるドアを指さした。


「じゃあ、セーレちゃんはリビングで待っ――」


「お手伝いするよ~?」


「けっこうです」


「ええ~っ」


 えーじゃないです!

 昨日はやむなく座るところまではお袋に手伝ってもらったけど、今日はもう大丈夫だから。


「でも、心配……」


「大丈夫だって。 な?」


 心配してくれるのは嬉しいけど、昨日みたいな無理はしてないから。 その証明に、触手もハニーの補助もなく立って元気なポーズを披露して見せる。


「……うん」


 すると、しぶしぶながらも信じてもらえたご様子。

 ……それでも眉をハの字にして何かしたそーな顔をしていたため、ちょっとしたミッションを発令した。


「それじゃ、出たら温かいお茶をもらえる?」


「うん♪」


 元気よくうなずいたセーレたんの頭をなでなでしてから、俺はちょっと重たいトイレのドアを開ける。

 締める直前、玄関の方から俺達のことを見守っていたらしいアナさんと目が合った。




 ……で、便座に座ろうとした直前。

 ほんのかすかに、ドア越しにハニーの声が。


『アナさ~ん、おトイレのカギをかして――』


「!?」


 信じてなかった!? 

 そっちの方がショック!


「本当に大丈夫だってーーーーー!!」


 頼むから、緊急用のマスターキーをホイホイと使わんでくれええええーっ!





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