55 プリンセス&プリンセス
その日は、特に暖かくて気持ちのいい天気だった。
意外と珍しい、雲ひとつない青空。
明るい光に目を細めつつ空を見ると、名前の知らない小鳥が二羽、じゃれ合うようにピーピーと鳴きながら空でダンスを踊っていた。
そして吹いてくる涼しい微風。
「ひゃん」という声に左を見ると、そろそろ肩に付くようになってきた金色の髪が顔に付いたらしく、手で髪をかき上げるセーレたんがいた。
手を繋いでいるチャロちゃんは「今度、可愛い髪留めを買ってきましょうかー?」と言いながら微笑み、俺の右で手を繋ぐお袋は「ふふふ~、そうね~」と、いつもの笑顔を見せている。
……ふむ、髪留めか。 デザインとかはよく分からんが、きっと似合うんだろうなー。
そう思いながらセーレたんを見ていると、それに気づいた彼女は、
「……えへへ♪ おにぃ~!」
と、太陽にも負けない眩しい笑顔と共に、小さな右手を目一杯俺に向けて伸ばしてきた。
「おう、セーレたん!」
まあ、その眩しさには到底及ばないが、俺も心からの笑みを返しながら左手を伸ばした。
「こんにちは~」
「こんにちはー!」
「ヴェオラさん、こんにちはー!」
「こんにちはぁ~」
「あ、こんにちはっ! 今日はお早いですねー!」
開けっ放しの入口をくぐり、カウンターから顔を出したヴェオラさんにご挨拶。
先日のあの騒動で知ったのだが、彼女がここの園長さんである。
お袋がいつもの手続きを済ませ、園長お姉さんに手を振りながらそろそろ慣れてきたいつもの部屋の前に。
チャロちゃんが扉をガラガラーと開け、正面の保護者席の皆さんに挨拶を――?
「……あら~?」
――誰もいない。
と、思ったら……。
『ああぁぁぁぁぁ~~~~~……』
『か、かわいいわぁぁぁぁぁぁ~』
『な、なんてかわいいの……』
なんか、部屋の真ん中よりもちょっと窓際のあたりで、お母さん方とバイトさんが寄り固まっていた。
しかも何やら、感嘆というか、うっとりと心酔しきったような声が漏れ聞こえてくる。
ねーねー。 子供達が四人ほど、部屋の隅っこで完全に放置されてるんですけど?
「あらあら~、どうしたのかしら~?」
「な、何かあったんでしょうかー?」
「なんだろ?」
「ふにゅ~?」
まあ、よく分からないが、一応挨拶の声をかけながら脱いだ靴を靴箱に入れて中へ入る。
案の定というか、誰も返事してくれない。
「あの~、みなさん? どうなさったのですか~?」
「……え、あっ! オリオールさん?」
「あらやだ、気づかなかったわ……こんにちは」
お袋が声をかけながら目の前まで行って、肩を叩いてようやく気付いたお母様方。
連鎖的に他の人も気付き、挨拶しながらその包囲網? を解いていく。
すると、その真ん中にいた人影が、太陽の光をバックに少しずつ見えてくる。
「――お初にお目に掛かります。」
中から出てきた、ワインレッド色のエプロンドレスのお姉さんが立ち上がり、膝を折って上品な上品な挨拶を披露する。
「あらあら、はじめま……」
「はじめましー……」
当然ながら、お袋とチャロちゃんが挨拶を返――そうとして、固まった?
確かに、銀というよりも白に近いストレートヘアが非常に綺麗なお姉さんではあるけ――。
――。
――。
――。
「おにぃ~?」
「――はっ!?」
あれ? 俺、今……?
あ……そ、そうだ! その、服装からしてメイドさんであろうお姉さんの、その横にいる子を見てしまった俺は……!!
「……る~?」
床に座り込んで、不思議そうに、無邪気に首を傾げているその子。
ここからは少し離れているので断言できないが、おそらくセーレたんよりも少し小柄だろうシルエット。
太陽の光を受けて輝くピンクの髪はふんわりショートボブ、前髪はギリギリ目にかからないラインで切り揃えて少しシャギーに。
何より目立つのは、頭の上―― 頭頂部ではなく、側面に近いところ―― の髪から上に飛び出してぺたんと前に垂れ下がる、白くて長いウサギのような耳。
とても柔らかそうな髪に覆われた小さな顔は、小動物のように可愛らしい。
白いけれども不健康さのない肌色に、細く整えられた眉は少したれ気味。
まん丸の瞳はルビーよりも透き通った明るい赤色に輝き、目を合わせてしまったら最後、魅入ってしまってこちらから目線を外す事などできるだろうか?
鼻はすっと通っていて可愛らしく、小さい口は緩やかな曲線を描いてほんの微かに笑みを作っている。 形のいい唇はピンク色で、リップでも塗っているかのように瑞々しい。
そして、小さい身体に纏っている服は、まさにお姫様と形容するに相応しいドレス。
フリルを各所にふんだんにあしらっており、そのままパーティへ行っても大丈夫などころか、間違いなく花形になれるだろう。
胸の真ん中には、プレゼントのように大きなリボン。 薄いピンク色で、白いトップにとても良く映えて見える。
スカートは髪の色よりも薄めの、リボンに合わせたピンク色。
おそらく女の子座りをしているんだろう両脚を、幾重ものフリルで完全に覆っている。
その上、何より――。
可愛らしい容姿に衣装、それだけなら普通に可愛いで済むのだが、彼女の纏う雰囲気が独特なのだ。
それはまるで、精巧すぎるアンティークドール。
あまりに綺麗すぎて目の前にいるのに現実感がなく、ただピクリと動いて瞬きしただけなのに、心臓が止まるそうになるほど驚いた。
前世でモデルの女性がマネキンの振りをしているのをテレビで見たことがあるけど、そんな次元じゃない。
存在そのものが信じられない、というレベル。
そんな子が、小さなクマみたいなぬいぐるみを両手に抱いて、俺とセーレたんを何度も交互に見つめていた。
「る~」
「ぅ……」
「んゆ?」
子猫のように、細く甘い声。
妹様の一声で意識は戻ったが、その子の赤い瞳に見つめられて俺は身体を動かせない。 まるで本物の魔眼のように。
そんな俺に、いつも通りに左からしがみ付いているセーレたん。
基本的に初対面相手には怯えを見せるセーレたんなのだが、何故か俺の腕を掴んでいる力は抜けたままで、その表情にも警戒の様子はない。
ただただ見つめられて、きょとーんと首を傾げているだけである。
「る~……」
「う~」
セーレたん……少しだけど、俺を前に押しだそうとしているのか?
ひょっとして、あの子に興味を持っている?
「ぉ、ぉぅ……」
「りゅっ?」
柔らかいはずの絨毯に深く突き刺さったかのような脚を、なんとか動かして微速前進する俺。 油の切れたロボットの様にぎこちない。
その様子を見て、少し首を傾げるお姫様。 そんな仕草だけで、俺の心臓が跳ね上がる。
いつの間にか、周囲にいたお母さん方は二、三歩下がって道を空けている。 お袋やチャロちゃんも同様で、固唾を飲んで見守っている。
ただ白銀のメイドさんだけが、お姫様の少し後ろに控えて静かに立っている。
徐々に近づいていく俺達。
太陽の光を背中にして輝くような彼女の姿が、より詳細に分かるようになっていく。 パチパチと瞬きをする、その睫毛の長さに気付いてまた驚く。
俺の身体はますます石化していくが、それに反して俺を押す妹様の力は少しずつ強くなる。
――いやいやいやいや! さっきからどうしたんだ俺!?
この部屋にいるんだから、相手は間違いなく同じ年、三歳児だぞ?
そんな相手に、なにを緊張している!?
「る~、る~?」
「……っ!!」
「にゅ~にゅ~」
お互いに可愛らしい声で、謎のコミュニケーションを取っているお姫様とマイシスター。
ますます縮まってゆく距離。 雰囲気は温かいのに、小刻みに震えて息が詰まる俺。
そして、あと五歩くらいまで近づくと俺の限界を悟ったのか、なんとセーレたんは俺から離れ、軽いステップで姫様に自ら歩み寄った!!
目の前まで行くとゆっくりしゃがみ込んで、彼女に目線を合わせて微笑む妹様。
「こんにちは~」
「る~♪」
「おなまえ、なに~?」
「る~!」
その場に立ち尽くす俺は、セーレたんの人生初となる積極的接触を呆然と見つめる。
それにしてもあの子、「る~」しか言ってないんだが……。
「――『るー』と、お呼びください」
すると、控えていた白銀メイドさんが、同じく床に膝を付いてセーレたんの目線に合わせて教えてくれた。 表情はクールだがその目元は優しい。
……さっきからずっと言ってたアレ、名前だったのね。
「る~ちゃん?」
「る~♪」
「お、おぅ……!?」
垂れた耳をぴくんと震わせ、にっこり微笑むお姫様。
その視線はセーレたんに向いているのだが、それでも後光が差すようなその笑顔に、俺は思わず仰け反ってしまう。
周囲からは「にっこりしたわー♪」「ふわぁ~……」といった、溜息混じりのささやき声が聞こえてくる。
な、なんなんだ? この異常に可愛らしい生き物……。
「る~ちゃん、こんにちは~」
「る~♪」
「こんにちは~」
「る~……ち、わ……?」
おおっと!? 名前以外を喋った!
横のメイドさんも、表情こそ落ち着いているが目をわずかに見開いている。
「うんっ♪ こんにちは~」
「る……にち……わ~」
「あはっ♪ こんにちは~!」
「こ……ちわ……」
「る~ちゃん、こんにちは~!」
「る……こ、こんにち、わ~」
そして、遂に挨拶に成功!!
「きゃはああぁん♪」
「りゅっ!?」
『かわいいいいーーーーーーーーーーーーーっ♪♪♪♪♪』
満面の笑顔でお姫様にぎゅーーっと抱き付き、頬を寄せるセーレたん。
絶世の美幼女が抱き合ったその瞬間、周囲からは一斉に黄色い歓声が上がる!!!
「ぶべらぁーーーーーーっ!!?」
その、あまりにも神々しい光景に、俺も耐えきれずに後ろに吹っ飛んだ!!
ゴツッ!
「の゛ぉぉぉぉぉぉ~~~……!!」
ぐおっ!? こ、後頭部打ったーーーーっ!!?
いくら絨毯でも痛ぇーーーーっ!!!
涙がにじみ頭を抱えてのたうち回るが、それでも抱き合う天使達から目を離せない。
周りのお姉さん方は両手を胸の前で合わせて、イソギンチャクのように腰をくねらせながらキャーキャー言ってるし、白銀メイドさんも声は出していないものの、同じく手を合わせてうっとりしている。
そして、そんな桃色空間? のすぐ側で、呻きながらのた打ち回る俺。
いきなり始まった騒ぎに、部屋の隅っこでこそこそ遊んでいた子供達がポカーーンと見ている。
「ど、どういう状況なのかしら、これ……」
大きな歓声に驚いて入ってきた園長さんが見たのは、そんな異様な空間だった。




