49 緑の少女
フォルクバング城。
王都と同じ名前を冠する――否、その名前を都に与えている城。
王都で最も古く、高く、雄大で、荘厳たる国の象徴には、いくつもの高い塔が建っている。
広大な街並みを眼下に、北と西には海、東と南には平原や森、そして頂を白く染める山々が見渡せる。
全てを独り占めしているかのような万能感さえ得られる、そんな絶景を臨む最上階の――更に上。
冬の強く冷たい風が吹き付ける中、傾斜の急な尖塔の頂上付近。 万一滑り落ちれば確実に命を落とすであろう石の屋根の上に平然と座り、本を読み耽る一人の女性……いや、少女がいた。
背の丈は、センチにすれば一五〇台か。 明るい碧の髪は肩口と目の上でそれぞれキッチリと切り揃えられ、その瞳は黄色を帯びた碧色。 肌は透き通るように白く、細い金縁の丸いメガネを掛けている。
くりっとした大きな瞳に、瑞々しく可愛らしい顔つきには不相応とも思える、知的で達観したような表情。 分厚い本のページをめくる指は長く細く、その動きはしなやかだ。
緩やかな曲線を描く身を包むのは暗緑色のブラウスに背中の中程までの短いマント、そして膝上丈が珍しいプリッツスカート。
しかし脚全体は若草色のタイツで覆われており、その長くほっそりとした脚線美は見えるものの、いやらしい印象は受けない。
その脚に履く、黒に近い暗緑色のブーツは脹ら脛の中頃くらいの高さで、アクセサリーの類は一切身に着けていない。
見かけの若々しさや明るい色に反して、派手なようで地味な装い。 そして落ち着いた表情や仕草。
それらが合わさった結果、少女のような外見を持った大人の女性、という印象を見る者に与えることだろう。
吹き続ける冷たい風に、比較的薄着なのにも関わらず全く寒さを感じさせない――それどころか髪やスカートが翻る様子さえ見せない彼女は、ふとページをめくる手を止めて地上を見下ろした。
「また彼奴か。 全く……騒がしい奴だな」
そんな堅いセリフとは裏腹に優しい口調。 呟く声は少女相応に高く、まさしく「鈴が転がるような」という比喩が相応しい。
彼女は僅かに口角を上げて、
「……どれ、たまには愚痴でも聞いてやるのも一興か」
バタンと重い音を立て分厚い本を閉じるとゆっくりと立ち上がり、その身体を――
――塔の外へと投げ出した。
「ぬおおおおおおおおおおおおおおお……!!!!」
城の正門から少し離れた、兵士用の小さな訓練場。
踏み固められた茶色い土に軍服の両膝を付き、頭を抱えて悶える銀髪の青年がいた。
「これさえなければ、本当に心から尊敬できるんだけどな……」
嘆く男を少し離れて見ていた別の青年がそう呟いた時。
『んふふふふ。 ――まあ、そう言ってやるな』
急に上から聞こえてきた、小さいが良く通った声に驚いて上を見ようとしたその直後、その青年の目の前に緑の少女が直立したまま降り立った。
石と土と木に囲まれた色味のない景色に、突如飛び込んできた鮮やかな緑。
しかも音ひとつ立てずに、髪やスカートも翻す事なく。
「な……っ!?」
「我が子を愛する父親には良くある事だ。 寧ろ、可愛らしくて良いではないか」
「な…………まっ……せ……!」
「うむ? こらレオー、我は『ナマセ』等という名前ではないぞ」
「もっ!? もももも申し訳ありません!!?」
慌てふためきその場に跪く青年、しかしそれは彼に限らず――
『せ、せ、聖母様ーーーーーーっ!!!!??』
周囲にいた者全てが驚愕と畏怖の表情を浮かべ、一斉に膝を着いた。
「ぅぉぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
……いや、元々膝を着いていた一人だけは例外だったが。
「ふっ、やれやれ。 畏まる必要はないと彼程……まあ、やむを得んか」
本を抱えていない左手を挙げひらひらさせながら、未だ嘆き続ける青年の元へと歩を進める彼女。
許しを得た者達はゆっくりと立ち上がり膝の土を払い落とすと、急ぐ者は一礼の後その場を立ち去り、そうでない者は皆、彼女に視線を向けた。
そんな周囲の注目など気にも留めず、彼女は青年の元まで歩み寄り立ち止まると、気さくに話しかける。
「ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」
「こらオリオール。 気持ちは察するが、声が塔の上まで聞こえてきたぞ」
「ぁぅぁぅぁ……え?」
頭上から聞こえてきた声に頭を上げた途端、目が点になる青年。
「……で? 今日はどうしたのだ?」
「の゛っ!? ……せ、せせせせ聖子」
「それはもう良い。 ……ところで、『聖子』とは誰の事だ?」
「し、し失礼致しました聖母様ぁぁぁ!!」
直ちに土下座しそうになる青年の額を、左手の人差し指で押しとどめる少女。
「良い良い。 で、どうしたのだ?」
「い、いえ、大した事では」
「その様な訳がなかろう? 他人には些事でも、其方には一大事なのだろう」
「しし、しかし」
「単なる興味本位だ、気にするな。 我で良ければ愚痴でも何でも話すが良いぞ? ん?」
膝を着き姿勢を低くする青年に、本を両手で腿の前に持ち自身もしゃがみ込んで視線を合わせると、少女は目を細め優しい声で話しかける。
年長者が年下を相手にするような接し方をする彼女だが、見かけの年齢はまるで正反対である。
「は、はあ……。 そ、それが――――」
しかしそれで少し肩の力が抜けたのか、青年はぽつりぽつりと話し始めた。
「――ふむ、肖像画か。 なかなか洒落ておるではないか。
で、それが今日届く、と」
「は、はい……」
「そう言えば、其方の家は二等区だったか」
「は、はっ」
「ふむ。 どれどれ……?」
彼女は碧の瞳を静かに閉じると左手の人差し指を真上に立てて、その指の横側を鼻の先にそっと触れるように添えた。
まるで「しーっ」と言っているかのように。
「……」
「…………」
少女は目を閉じたまま微動だにせず、青年はそんな少女を見つめている。
まさに目と鼻の先、簡単に触れることのできる距離にある少女の顔。
長い睫毛、すっと通った形の良い鼻、小さく細い手指、瑞々しい唇――。
青年の顔が不思議そうな表情から、段々と気まずそうなそれに変わってくる。
「……」
長いようで短い時間が過ぎ、少女はふと微笑んでその瞳を再び開いた。
「――――んふ。 なかなかの傑作ではないか。
オリオールよ、帰宅の時を心待ちにするが良いぞ」
「は、はあ……」
「さあ、あと半日、職務に励むが良い」
青年の肩を左手でぽんぽんと二回叩くと、少女は静かに立ち上がった。
「うむ、誠に良い物を見せて貰った。 其方に感謝しよう。 んふふふふ…………ではな。」
少女はまた右手で本を抱え直すと、後ろを向いたまま左手を振りながら、ゆっくりと通用口から城内へ入っていった。
入口で少女に偶然出くわした文官らしい女性が、短い悲鳴と共に抱え持つ数冊の書物を落とす――と思った瞬間、書物が空中に静止して、滑るように彼女の腕へと再び戻っていくのが見えた。
その一部始終を、青年を含め周囲の者は呆然と眺めていた。
そこに、文官の女性も追加された。
「――――んふふっ、あの歳でもう気が付いた様だな?
中々、将来が楽しみではないか」
紅い舌が上唇に沿って弧を描くと、濡れた唇が艶かしい笑みを形作った。




