164 いろいろな想いが…
街から人の声が消え、代わりに虫達の声が台頭する時間帯。 まれに鳥の声が遠くから聞こえることもある。
「ほう、ほう」
だからフクロウのマネをしている、というわけではないのだが。
「ふむふむ……頑張って解いてるなー」
幼児園へ行って、たくさんの挨拶と先生コールを受け取った俺だけど、もらってきたのはそれだけではない。
俺のテキスト。
セラさんとこに行く前にこしらえたテキストが、一生懸命書かれた答えとツェリ先生の赤ペンに彩られて戻ってきたのだ。
もちろん、一度は答案を書いた本人達に返されているのだが、ぜひ俺にも見てほしいと、また持ってきてくれた子がいるのだ。 その中にはメンバーの三人組――るーちゃん、くりむちゃん、それからニコも含まれている。
一枚一枚見てみると、スラスラ書かれているものもあれば、何度も書いては消してを繰り返して紙が真っ黒になったものもあり、紙の端っこに何かの落書きをしているものもある。 そんな答案にツェリさんを主とする先生達がマルバツをつけて、更にお褒めの言葉や間違えた問題のヒントなどを赤ペンで書き込んでいる。 そして返ってきたそれを見てやり直して、次はちゃんとマルをもらっていた。
ドリルやテストなんかの類は俺も前世で数え切れないくらいやってきたが、人の答案を見る機会などはほとんどない。 こうしてじっくり見てみると、それぞれの子のその時の様子が少し分かったりして面白いな。
「――お兄ちゃん、すずしい?」
「ん、すごく気持ちいいよ。 ありがとな」
「うふふっ♪」
あの前世の熱帯夜に比べれば大したことないけど、でもそれなりに暑さを感じる首から上に、今日もパジャマ姿のセーレたんが寄り添って冷風扇子でぱたぱたしてくれてる。
今日の自分の勉強は既に終わっている妹様。 俺の世話を焼きながら、たまーに俺の顔を覗き込んではにこにこしている。
退屈させていたら悪いなと思うところだが、それどころかむしろ楽しんでいるようにも見える。 何が楽しいのかは分からないけど、まあ良しとしよう。
「さて、俺も一筆書くか」
「ふふっ♪」
ただ見るだけじゃなーと思い、俺も赤鉛筆を握ってコメントを考えていると、隣からもう何度目かも分からない楽しげな声が漏れてきた。
で、その度に「なに?」とか「どうしたの?」とか聞いてみるんだけど、返ってくる言葉はいつも同じ。
「なんでもないの~」
「……そっか」
「うんっ」
明日、明後日は週末だけど忙しくなる。
俺は気を取り直し、頭をひねって一枚一枚にコメントをつけていった。
――そして翌日。
本来はメイドちゃんズのどちらかがお休みとなる日なんだけど、この土の日と明日の精霊の日は休日返上。 特に今日は、朝から晩までバタバタである。
滑って転ばないように気をつけなければ。
「んじゃ、行ってくるな」
「行ってきますねー」
今日は休みの親父は、チャロちゃんと一緒にご近所回り。 買い物カゴ持参で、帰りに買ってくるらしい。
フォーマルとまではいかないけど、クールビズ的にまとめた親父の格好は悔しいくらいにキマっている。 一八〇前後ありそうな長身は脚が長く、細身だけど精悍さがあって男臭さはない。 うむ、非の打ち所が見当たらないな……見た目には。 見た目には。
一五〇センチなさそうなチャロちゃんと並んで出ていく姿は、主人とメイドというよりは大人と子供のようだ。
「基本的には、ジャスちゃんとセーレちゃんの時と一緒でいいかしら~?」
「そうね。 でも、来る人は確実に多いから……」
リビングでは、お袋とアナさんが明日の打ち合わせをしている。
弟くんの体調が安定してきているから、お袋も離れてゆっくりできる時間が増えてきてるな。 いいことだ。
「ではセーレ様、エミーちゃん、お願いしますね」
「はぁ~いっ♪ ……お兄ちゃん、またね~?」
「ジャス、またあとで」
「おう、頑張っといでー」
そしてマールちゃんはいつもの仕事。 俺も手伝いを申し出たが、洗濯物を干すらしいのでハブられた。 掃除も、後でお袋とアナさんとでやるらしい。
ということで――。
「あはっ♪ 一緒にガンバろうね……こ・そ・だ・て♪」
「う、うん……」
俺の前にいるのは、正面からの見た目が非常にデンジャラスな、黒いキャミソールにピンクのエプロンをつけたエルネちゃん。 今日は平日なんだけど、学校は午後からでいいらしい。
俺の役目は、久し振りに再会した彼女と一緒にリソ君のお相手である。
「今日もリソ君は元気でちゅねー」
「あうーっ! ぬあーっ♪」
触手で作った、アルファベットの小文字の「h」型のお馬さんに弟くんを乗せ、尺取り虫の動きで部屋の中を行ったり来たり。 切り離しての遠隔操作はできないので、馬の首の部分からコードを伸ばして操っている。
座席部分については、紙おむつのような形にして後ろには背もたれもつけている。 背中からおしりまでをガッチリ固定しているので、落ちる心配はない。
エルネちゃんは、楽しそうに上下に揺れているリソ君を見て手を振っている。 まるで遊園地のメリーゴーランドみたいだね。 ……馬がちょいとシュールだけど。
「……ところで、エルネちゃん」
「ん? 何かなー?」
「なんで、ぼくは抱きしめられてるの?」
「ダメ?」
「ダメじゃないけど……」
さすがにもう膝の上に乗せられる重さじゃないので後ろからではないんだけど、俺は今、絨毯に座って右側からぎゅっと抱きしめられている。 エルネちゃんは俺の後ろに両脚を流して横座りしているので、もしこのまま倒されたら膝枕になるだろう。
「だって、私には何もできないじゃない?」
「まあ、そうなんだけど」
エルネちゃんが弟くんを指して言う。 たぶん、彼女の目には空中でジグザグ動いてるように見えているんだろう。
ホントはもう一頭作って俺が乗り、スタートとゴールの合図や判定をエルネちゃんに頼んで競馬ごっこをやろうと思ってたんだけど……。
エルネちゃんのマシンガントークで実況もやってくれたら、さぞ盛り上がるだろうなーと思ってさ。
「リソくぅーん♪ こっち向いてー!」
「やーう♪」
だけど、俺に抱きついたままのエルネちゃんが声をかけて手を振ると、リソ君も楽しそうに手を振り返してくれる。 まあ、これはこれでいっか。
で、問題は別にあるわけで……。
「んーーーっ♪ 久し振りの抱き心地ーーーーっ!」
「うっ」
エルネちゃんもさ、高校も二年になって、もう九歳なワケですよ。 つーか、今月の末が誕生日だからいよいよ十代の仲間入りですよ。
んでね? このお年頃の女の子って、男よりも成長が早いワケでありまして。
「ああっ、本物のジャス君だよぉ~っ」
「ぐ……」
すらっと長くて、しなやかな剥き出しの腕の感触とか。
俺の右腕を挟んで押しつけられてくる、まだ膨らみはないものの、薄着越しに伝わってくる胸からお腹にかけての柔らかさとか。
ほっぺたどうしがくっついて、髪や吐息や身体全体から漂ってくる、桃を濃縮したようなフルーティーで甘ったるい香りとかさ。
――けっこう、ヤバイんですよ。
「ああんっ、すりすりすり~っ♪」
「うぐぐぐぐ……」
確かに、お袋やマールちゃんとかと比べると全然子供だよ? けどね、体格差の大きいオトナに抱きしめられるのは「子供に対するスキンシップ」だと精神的に割り切れるからけっこう平気になれるわけで。
だけど、俺とエルネちゃんとの身長差は頭一つちょっとくらいまで縮まってきていて、くりむちゃんよりも少し高い程度だと思う。 ……あの子が特別に背が高いんだけど。
そして体格にあまり差のない、しかも精神的にも身体の感触的にもオトナに近づきつつある女の子に濃厚に密着されると……うっかり精神的な年齢差を忘れそうになるというか。
さすがにアレな反応はしないものの、どうしてもドキッとしてしまう。
……つまり、かなりこっ恥ずかしいのです。 こんなコトをつらつらと考えていないとダメなくらいに。
ああー、もう限界ッ!
「ほ……ほら! ぼぼ、ぼく達も一緒に馬に乗ろうよ!」
俺はエルネちゃんを振り切って強引に立ち上がり、当初予定していた競馬ごっこを始めるべく馬をもう一頭作り出す。
「あんっ、もう。 私にはジャス君のアレ、全然見えないんだけど……あ、そうだ!
ねえねえ、代わりに私がジャス君に馬乗りになるっていうのは……あいたっ!」
「やめなさいって」
「わーん、ぶたれたーっ」
ぶーたれるお姉ちゃんは置いといて、俺は馬にまたがった。
「あっ、私も乗りたいなぁ♪」
「はいはい」
結局エルネちゃんも、俺の後ろに横乗りになったけどね。
「あはっ♪ なんだか、お姫さまみたーい」
「あいあーーーっ!」
「リソ君、待てー!」
「ああんっ、揺れるう~っ♪ ……あ、リソくーん!」
「ういーっ!」
ぺしぺしと馬の首部分を叩いて加速を促す弟くんを、俺も張りきって追いかけた。
――そして、いつもより早く夕飯の準備を終えて。
我が弟、リソベル君の二歳の誕生日パーティの時間が来た。
「はい、リソちゃん。 今日はこっちに座りましょうね~?」
「……ぬぅあ?」
いつもは俺とセーレたんが座っているお誕生日席に、純白のワンピースの上にレースの上着を羽織ったお袋がリソ君を膝に乗せて座る。 俺達の時はもう一人で座ってたけど、リソ君はたまに暴れるからな……だから、まだ膝の上だ。
普段とは違う場所で違和感があるのか、弟くんはきょろきょろとしている。
「はい、セーレちゃんとぼくはこっちねー」
「んにゃ? ……はいなの~」
そして、幼児園へ行く時用の少しオシャレな服を着た俺達は、その向かい側に移動する。 既にイスは二つ置いてあるけど、引いたままにしておいてまだ座らない。
目の前には、いつもと違う薄いピンク色のテーブルクロス。 テーブルの上はちょっと背伸びしないと見えないんだけど……中央には黄色い夏の花を花瓶に挿して、みんなの席に前には飲み物と、これまた普段よりも豪華な料理が並んでいる。 そのせいもあって今日はおやつ抜きになってるから、お腹がきゅるきゅる鳴ってるよ。
左を見ると、頭の後ろにリボンをつけた妹様もお腹を手で押さえていた。 ちょっと恥ずかしがっているみたいだ。
「ジャスとセーレ……エミーちゃんもだな、そのままだと見えないだろう? イスに座っていいぞ」
「はーい」
「は~いっ」
「はい……」
「……よし、始めるか」
全員が並んだのを確認して、親父が声をかける。 俺達幼児組がイスに腰掛けると、テーブルの向こうできょとんとしているリソ君が目に入った。
今日はパーティだから、アナさん達親娘もテーブルを囲んでいる。
「まずは俺からだな……リソベル、二歳の誕生日おめでとう。
ジャスとセーレの時もそうだったが、あんまり構ってあげられなくて悪かったな。 だが、順調に大きくなってくれて良かったよ」
俺から見て右側の奥、リソ君に近い方に親父が立っている。 少し近づき、大きな手を伸ばしてリソ君の頭をなでる。
「よしよし」
「……うー」
「リソ様、お誕生日おめでとうございます。
うちの娘達よりも手をかけましたからね……無事にここまで育ってくれて、嬉しさもひとしおですよ」
左側の奥、親父の向かいに立っているのはアナさんだ。
弟くんが生まれたとき、俺とセーレたんはいなかったから直接は見てないけど……アナさんには、今回もすっごく助けられたことはよく知っている。
本当に我が家にとって、アナさんはもう一人のお母さんだよ。
「リソ様、お誕生日、おめでとうございます!
お元気になられて、本当によかった……これからも、すくすくと大きくなってくださいね」
親父の隣で、俺から見ると一つ手前にいるのはマールちゃん。 ちょっと涙がにじんでいるかな?
マールちゃんも俺達と一緒にセスルームに行ってたからお産には立ち会ってないけど、帰ってきてからは俺達の世話もしながらで大変だったと思う。
俺達の時がそうだったように、たぶん夜中にも何かある度に飛び起きてたんじゃないかな。
「リソ君、お誕生日おめでと♪
本当に元気になったよね。 また、今日みたいにいっぱい遊ぼうね」
アナさんの隣には、エプロンを外した代わりに赤いチョーカーをつけたエルネちゃん。
こうして並んでいるのを見ると、エルネちゃん自身も大きくなったよな。 お母さんの肩に届きそうなくらいの背丈になっている。
「リソさま、お誕生日おめでとうございますー♪
ほんと……本当に、大きく……よかったぁ……」
マールちゃんの横、俺から見ればすぐ右前に立っているのがチャロちゃん。 喋る途中から顔を伏せ、耳もしっぽも垂らして震え始めてしまった。
だけど、今回の出産の時はマールちゃんがいなかったから、すごく苦労したんじゃないかな……。
俺から見れば、この数年でチャロちゃんもずいぶん大きく成長したと思うよ。 身体は小さいけど、もう立派な大人だ。
「リソ……おたんじょう日、おめでとう!」
エルネお姉ちゃんの横でイスに座っているエミーちゃん。
俺と妹様の誕生日のことをだんだん思い出してきたけど、こうして見ると、本当にお姉ちゃんに似てきたよな。
この一年だけでなく、五年間という時間に思いを馳せていると、みんなの視線が俺に集中した。 ……あ、俺の番か。
「えっと……リソ君、誕生日おめでとう。 身体、強くなってきてよかったね。
もっと大きくなったら、一緒に剣でも振ろうか?」
「えうー?」
「……ははっ」
あんまりよく分かっていないようで、リソ君は自分の離乳食を前にして指を咥えていた。 思わず笑ってしまった。
この子が今の俺の年になったとき、どんな子になっているか……楽しみだよ。
もうちょっと身体が丈夫になってきたら、お前も特訓してやるからな?
そして、次にセーレたん。
俺と目が合うと微笑んでうなずく。 その笑顔とか……日に日にお袋に似てくるよね。
「んと……リソくん、おたんじょう日、おめでとうなの。
また、お姉ちゃんと、お兄ちゃんと……えっと、エミーちゃんとエルネちゃんも!
み~んなで、あそぼうね♪」
まだまだ甘えん坊だけど、この一年でずいぶんお姉ちゃんらしくなってきた。
最初は、本当にお姉ちゃんになれるかなって不安なところもあったんだけど……ちゃんと、優しいお姉ちゃんになりそうだ。
俺が言うのもなんだけど、優しくしすぎて、お姉ちゃんにべったりな弟にしないようにね?
――最後に残ったのは、リソくんを膝に乗せているお袋。
その顔には、なんとか笑みをたたえてるんだけど……。
途中から、肩を震わせて何度も涙をハンカチで押さえていた。
「リソちゃん……お誕生日、おめでとう。
本当に、よかったわ……本当に……っ!」
今回はお袋自身も難産で、しかも産後も体調が優れなくて……本当に苦労したと思う。
よく考えてみれば、俺とセーレたんも双子なんだから、その時の出産もそうとう大変だったんじゃないかな。
今だって、つきっきりで子育てしてるし。 いつもにこにこしてて分かりにくいが、どれだけ苦しい思いをしながら頑張ってきたんだろうな。
……きっと、聞いても「楽しかったわ~」とか「ママなんだから当たり前よ~」とか言うんだろうけど。
前世でも「母は強し」なんて言うけどさ、俺は「母親だから強い」とは微塵にも思わない。
いい母親になろうとしている、その人が強いんだ。 ……そう思うよ。
とうとう堪えきれなくなったみたいで、お袋はリソくんの金の髪に顔を隠すように伏せてしまった。
そのお袋の小さな身体を、親父は何も言わず、息子ごと優しく抱きしめた。
こんな家族の一員になれて、俺は本当に幸せだと思う。




