05 坂道転がる赤い靴(5)
「……そうだ。ヴィル、最近の新聞は読んだか?」
ふと風君がそんなことを尋ねて来たのは、痛み分けの(?)朝食を終えてちょっと一息ついた頃。
その時の私はと言うと、例の社畜製造魔法にはなるべく頼らないために(なにしろ使い慣れたら常習性が高くなりそうで怖いので)今回の疲労回復は『ひたすら寝る』手段を選び取ったわけだけど、数日ぐーすか寝て過ごして身体もなまっているだろうからひと歩きして来るか……腹ごなしにもなるし……なんて、ぼんやりと今日の予定を考えていて。
風君に訊かれて初めて『あ、言われてみればこの数日は読んでいないな』と気が付くような有様だった。
……いやホント、我ながらいくらなんでもポンコツすぎやしません??
いくら疲労回復のために仕方なかったとはいえ、たくさん寝過ぎてまだ頭が寝ぼけているのかもしれない。
精神的にかなりやつれていたのはわかるけど、もうちょっとしっかりしようよ、私!
「最近のってことは、こっちに帰って来てから発行されてる分ってことだよね?」
「ああ」
「それならまだだけど、なんか気になる話題でもあった?」
わざわざ私に尋ねてくるくらいだから、きっと何か、風君の中で引っかかるようなことがあったんだろうなとは思う。
ただ、そこでどうして私に声をかけてくるのか? という理由がこれといって思い当たらないのだ。
いちおう考えられる話題としては、こちらの国の文化や歴史にまつわることか、料理に関係する話か、はたまた魔法関連か。
風君が同士じゃなく私を話題を振る相手に選ぶなら、このあたりの話が妥当なところだと思うけれど、さて、正解はなんだろうね?
「……、俺が話すより直接見た方が早いだろう。部屋に置いてあるから、持ってくる。少し待っていてくれ」
「あ、じゃあ私、風君の食器も返しておくよ。その間に持って来てもらえば、余計な手間も時間もかからなくていいでしょ?」
「え」
「いいからいいから。ね!」
「……助かる」
というわけで、風君が新聞のバックナンバーを取りに行っている間、私は二人分の食器を厨房へ返しに行くことに。
風君は相変わらず『誰かに何かをしてもらう』のが苦手なようで恐縮しているけれど、厨房はすぐそこだから大した手間じゃないし、なんなら自室まで新聞を取りに行く風君の方が往復の手間で大変なくらいだし、これくらいお安い御用だ。
「今朝もごちそうさまでした。やっぱここのごはんはよそのギルドよりも美味しいね」
「おう、そりゃ何より。……ところでよ、ヴィル」
「?」
「お前ら、いつの間にあんなに話すようになったんだ?」
「そうそう。風ちゃんとヴィルちゃんがとっても仲良くなっていて、私たちびっくりしたわ」
食器を返しに来た私を捕まえ、ここぞとばかりに話しかけてきたのは食堂のおっちゃんとおばちゃんの二人。
……うーん。びっくり、と話す通りどちらも驚いた様子なのは確かだけど、浮かんでいる勘定はそれだけじゃなさそう。
興味津々、好奇心って感じの気配もひしひしと感じるのは、きっと私の気のせいじゃないはずだ。
だってほら、視界の端で私たちの会話に耳をそばだてている人がちらほら映り込んでいるし、なんならキラキラした目でこっちを見つめるナタリーさんとか、その隣でにこにこしているパトリシアさんとかがっつり見えているからね。
これで気のせいだなんて思えないデショ……。
……まーね、考えてみれば、この二人みたいに『なんで?』『どうして?』ってなるのが普通なのかも。
風君は(建前上)女嫌いだし、私も私で話しかけられれば応じるとはいえ、同士やおっちゃん以外の男性陣とはそこまで積極的に絡みに行かないタイプ。
そういう感じの私たちなので、遠征前なんて、私が初めてこのギルドに来た日以外にろくな会話をしたおぼえもないくらい。
なのに、そんな二人が遠征が終わった途端、いきなり同じテーブルで顔をつき合わせてご飯を食べて、普通に――おばちゃん曰く仲良さげにおしゃべりしていたら、そりゃあ不思議に思うのも納得というものだ。
私がおっちゃんたちの立場だったら絶対疑問に思ってるし、うん、興味を持たれても仕方ないね。
だからといって、おばちゃんやナタリーさんが期待しているようなことは何もないんですけど!
「うーん……同じ釜の飯を食べたよしみというか、なんというか? そりゃあ見知らぬ土地で三週間も一緒に行動してたら、私たちだって多少は仲良くなるって。それにほら、なんだかんだ困った時に一番頼りになるのはお互いだったわけだしさ」
「そういうもんか?」
「そういうもんだよ」
「あら残念。おばちゃんてっきり、ヴィルちゃんたちにひと足もふた足も早い春が来たのかと思っちゃったわ」
「ご期待に添えずごめんねー? 申し訳ないけど、私はそういうの興味ないからさ。期待するだけ無駄だと思うよ」
「まあ、お前らの様子からしてそういう雰囲気じゃねぇのはわかっちゃいたが……興味がないってのは珍しいな? お前さんくらいの年頃なら、色恋にもっとこう、夢を見てはしゃぐのが普通じゃないか?」
「あんたねぇ……、ヴィルがどうしてここに来たのかもう忘れたの?」
「…………そういやそうだったな! すまん!」
「いーよ、別に気にしてないから。でもさ、私が色恋にうつつを抜かしたら、おっちゃんもちょっと困るでしょ?」
「俺が? なんで?」
「だって私に恋人がいたら、いくらおっちゃんが既婚者でも一緒に厨房にこもって料理なんてできなくない?」
「こんなことを頼むのは忍びねぇがヴィルすまん当分は独り身でいてくれ」
「……ヴィルとあれこれ試行錯誤するのが楽しい気持ちもわかるけどね、それはそれでどうかと思うよ」
だいたい、あたしがあんたと一緒に厨房に入ればいいだけの話じゃない! それもそうだ! ……なんて、ちょっとした夫婦漫才を繰り広げるおっちゃんとおばちゃんの仲の良さが私はやっぱり好きだなぁと思う。
おっちゃんに白けた目を向けるおばちゃんも、そんなおばちゃんに俺が悪かったと謝り倒すおっちゃんも、なんというか、いい意味であけっぴろげと言うかさっぱりしていると言うか。
私の答えに『そんなこと言ってどうせ○○なんじゃないの?』とか変につっかかってくることもなく、『ふーんそうなんだ』くらいの軽さで流してくれる二人だから、私たちの関係を邪推されてもそこまで嫌な気分にならないんだろうなーとかね。そんなことを考えたりしてみる。
……うーん、常々思っていることだけど、本当に人に恵まれてる環境だ。なんてありがたい。
「お、そうだそうだ忘れるところだった! ヴィル、また新しい食材を仕入れる予定なんだが、いつなら時間は空きそうだ?」
「しばらく遠征はないと思うから、入荷の日取りと食材のラインナップが決まったらまた教えてよ。予定が空くように調整するし、何が作れそうかも考えておくからさ。……あ、風君も戻って来たし、そろそろ行くね」
「引き止めちゃってごめんね」
「ううん。おばちゃんたちと話すの楽しいし、気にしないで。また二人の時間がある時にゆっくりおしゃべりしよ」
おっちゃんの誘いにうきうきしながら、何も考えずに新しい約束をとりつけて――ああしまった、とすぐに自分の失態に気付いた私は、ちょうど階段を下りて来た風君をダシにさりげなくその場を離れるとにした。
(……ほんっと駄目だなー、私)
この身体は借り物だってことも、いずれウィロウに身体を返して、私はまたあの子の中に引っ込むことになるのもちゃんとわかっているのに。
こんな風に気軽に『次』の約束はすべきじゃないだろうと、すっかり気の緩んでいる自分を戒める。
少なくとも王太子が野放しになっている限り、あの子はきっと戻ってこない。戻って来られない。
でも、それさえ片付けばいつウィロウが戻って来たって不思議じゃないんだから、結局のところ、私という存在は明日をも知れない身なわけで。
……まったく、守ることのできない可能性の方が高い約束をするなんて、そんな無責任な真似すべきじゃないだろうに。
考えなしの自分に呆れ、私はひっそりため息をついた。




