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魅了の魔法が解けたので。  作者: 遠野
新人編

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21 晩酌は背徳の味とともに(2)


「肉が食べたい」


 不意にぽつりと、ノラさんが呟いた。


「肉?」

「そう。食べ応えのある肉がいい。酒に合うとなおよし」


 ははあ、さては酒と酒の肴を夕飯代わりにするつもりだな? と察し、思わず苦笑い。


 まだ二週間ちょっとの短い付き合いしかないが、ノラさんがザルを通り越してワクの飲みっぷりを見せる酒豪なのは十分すぎるほど承知している。

 以前、毎日のように晩酌をしていると聞いたことがあったが、恐らく今の時間はお楽しみの晩酌タイムとちょうど被る頃合いなのだろう。


 酒、肉、酒、酒……とうわごとのように繰り返すノラさんには鬼気迫るものがあって、はた目から見ればちょっと、いやかなり怖いかもしれないが、個人的には新しい一面を知って感動している。

 大丈夫、私は芸能人に夢を見るタイプじゃない。


 しかし、ここで一つ問題がある。

 それは、ギルドの食堂が食事を提供してくれる時間が既に終わっている、ということだ。

 つまりこれから食事をとりたいと思うなら、自分で作るしか方法がないのである。


 材料はギルド側にお金を払えば使わせてもらえるし、厨房も食堂のものとは別で自由に使える場所があるため、料理の心得があれば困ることはない。

 料理の心得があれば。


 ……大事なことなので繰り返したが、お察しの通り、ノラさんは料理を普段まったくしないらしく、自己申告によれば目玉焼きひとつ作れない。

 というよりは、作ろうとしたことさえないそうで。


 普段の遠征では干し肉などの保存食をしこたま買い込んで行くくらい料理ができないし、そのそも料理をするつもり自体ない、とのこと。

 料理に対する拒絶っぷりがあまりにもすさまじかったので、過去に苦い思い出があるのかもしれない。


 まあ、余計なことは言わぬが花だ。

 これ以上、空きっ腹のノラさんのご機嫌を損ねることもあるまい。


「そういうヴィルは?」

「うん?」

「料理できないの?」

「……できなくはないけど、材料があるかなぁ」


 前世にとった杵柄きねづか、と言えるほどメシウマさんなわけではないけれど、一人暮らしで自炊もしていたので、それなりに料理はできる。


 ただ、問題なのは、こちらの世界では全く経験がないことと、わたしの舌は大味気味なので味付けがちょっと不安かもしれない……というところ。

 味付けは大体フィーリングでなんとかなったし。


 使い慣れた調味料があればなんとかなる? とも思うが、果たして『さしすせそ』がギルドの厨房に揃っているかどうか。

 この国は文化がヨーロッパ寄りなので、望み薄だろうなと諦めている。


 もういっそ夕食は抜くか、と私は考えたけれど、ノラさんは先ほどの答えに希望を見出してしまったらしい。


 支払いは自分が持つから何か作って! そう言って、押し付けられたのはまさかの金貨である。

 一人分の食事代にしては多すぎる金額にギョッとすれば、これにはどうやら私のぶんも含まれているとのことで。


「手間賃も含めての金貨だし、気にしない気にしない!」

「それにしたってこれは多すぎるよ!?」

「えー。じゃあ、ヴィルの料理の腕に期待したチップってことで」


 きらきら目を輝かせるノラさんの期待が重すぎる件について。


 いや本当、オーク討伐よりも緊張する料理ってどういうことなの。

 ノラさんのお酒に対する執着がえぐすぎる。


「……とりあえず、やるだけやってみるけど期待はしないでね……?」


 ノラさんの熱烈な視線に負け、とぼとぼと向かうは食料庫。

 メニューは何があるか見てから決めるつもりなので、今のところは特に決まっていない。

 はてさて、何が見つかることやら?


 とりあえずあまり考えず、ぐるりと食料庫を一周。

 確かノラさんは肉が食べたいって言ってたよな、と考えてもう一周。

 それから、メニューを決めて、必要な材量を集めるためにもう一周。


「鶏のもも肉と……にんにく、しょうが。小麦粉はあるけど、片栗粉は……うーん? ま、いいか。片栗粉がなければ小麦粉で代用すればいいや。砂糖と塩はたぶん厨房にあるけど、胡椒もあるかな。なかったら抜くしかない。あとは醤油。肝心の醤油。醤油がなければ何も始まらない。……あ、これか?」


 瓶で保管されている黒い液体を拾い上げる。

 試しにゆらゆら揺らしてみると、なんだかものすごい既視感。


 ……おお、これはもしかしてもしかするのでは?


 どきどきしながら明日の仕込みをしている厨房のおっちゃんに声をかけ、ちょっとだけ中身を舐めさせてもらうことに。

 小指の爪よりも少量をスプーンに取って、さっそくぱくり。


「……うわ醤油だ」

「お? マイナーな調味料なのに良く知ってるなぁ、ヴィル」


 しょっぱさで少し眉間に皺が寄るが、これは間違いなく懐かしの調味料・醤油である。

 まさか本当にあるとは思っていなかったため、驚きや嬉しさのあまり少しだけうるっと来てしまった。


 そんな私に気付いたおっちゃんがどうした、しょっぱすぎたか!? と慌てていたが、懐かしくてつい、と思わず要らぬ口を滑らせてしまった。

 これ以上の郷愁に駆られるのは避けたいので、さっさと材料の分の支払いを済ませ、そそくさと貯蔵庫をあとにする。


 ……明日、おっちゃんにお願いして、醤油ひと瓶まるごと譲ってもらおうかな、なんて頭の隅で考えながら。


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