47 ハッピーエンド/P(3)
目を覚ましたヴィルと宿までの道を歩きながら、気付いたことがある。
それは、彼女が明らかに、異性に近づかれないよう避けているということだ。
最初はちょっとした違和感だった。
時々、妙な動きをすることがある、というか。
ふとした時に隣に並んで歩く俺よりわざと歩みを遅くしたり、かと思えば急に早くしたり、身体の向きを不自然ではない程度に変えたり……。
それでもすぐに隣に戻ってくるから、あまりに気にするほどのことでもないのか? と、気のせいで済ませることを一瞬考えたのだが。そういった、妙な動きをする時は決まって男とすれ違う時だと気付いてから、むしろ気のせいですませてはいけないことだと自分の認識を改めた。
元々ヴィルは、男に近づかれることをあまり好まない。
けれど、道ですれ違う程度であればさほど気にする様子もなく、普通に歩いていた。
少なくとも今日の午前中、ヴィルがいなくなるまではこんな動きをしていなかったはずで――やはり、王太子との一件が尾を引いているのだろう、と思う。
……殺されかけたのだから、当然のことと言えば当然のことではあるのだが。(初めてギルドに足を踏み入れた時しかり)なんだかんだ図太いところのあるあのヴィルが、ここまで露骨に態度に出すなんて、口にしないだけで相当参っているのだろう。
「ヴィル」
「何?」
「要らない気遣いだったら断ってくれていい。……俺が先を歩いて、人除けになるか?」
きっとヴィルはこの申し出を断らないだろう。そう思って話しかければ案の定、彼女は少し驚いてから、申し訳なさそうに――あるいは困ったように「ありがとう」と笑った。
そうして、ほんの少し歩みを遅くして俺の影に隠れたヴィルは、どこか安心したようにそっと息をつく。
身体の強張りが抜けきらないのは、人混みを歩いている以上、彼女にはどうしようもないのだろう。
俺はあいにく、ラッセルほど大きな身体はしていない。
こちらの国の男たちに比べると小柄というか、華奢な方だと思うし、頼もしい盾にはほど遠いだろう。
それでも、異国の容姿というのはそれなりに目を引くもの。
反対側から歩いてくる人並みは俺を避けるようにやんわりと道を空け、人混みのなかでもわずかに歩きやすくなる。
俺とヴィルを避けるように、人混みの中、ほのかにレモン型の空間ができあがっていた。
「……なあ」
「うん?」
「本当にこれでよかったのか」
宿までの道を歩きながら、ぼそりとヴィルに話しかけた。
この数時間、ずっと俺の中にくすぶっている疑問。
それは、何度『これがヴィルの望んだ結果だから』と自分を宥めても、ふとした瞬間に心の底から湧き上がってくる。
ヴィルに怪我をさせ、死にかける思いをさせてしまった結果に納得できない気持ちそのもの、と言ってもいい。
俺ならもっと早く、ヴィルが傷つくことなく片付けられた。
俺が動けばお前がこんな風に傷つく必要はなかったのだと、短い言葉の中に非難めいた響きがあることに、ヴィルはきっと気付いたのだろう。
視界の端に、苦笑する彼女の姿が見えて、
「いいんだよ、これで」
彼女の答えは、予想通り。
いっそ憎たらしいくらい、わかりきった答えを返された。
「心配も迷惑も、たくさんかけたのはわかってるよ」
「なら、」
「でも、君にそれを頼みたくなかった気持ちもわかってくれない? 同士に顔向けできないし、……ともだち、にさ。そんなこと頼む自分を許せるほど、私も図太くはなれないんだよ」
王太子の件について、城から箝口令を敷かれた以上、はっきりと口に出すことは許されない。
そうでなくとも、こんな人目の多い場所で――誰が聞いているかもわからないような場所で、あの件について話す気には、俺もヴィルもなれないから。
これとか、それとか、迂遠な表現でぼかさなければ俺たちは話せない。
……それでも、ヴィルの主張は、彼女の祖父と同じように。
食い下がりたい俺を黙らせるには、あまりにも的確過ぎた。
ラッセルのこともそうだが、……友達、と言ってくれたこと。
ノラを大好きな人と呼び、ラッセルを同士と呼んで憚らないヴィルは、あまり俺たちの関係についてハッキリ言葉にすることがない。
それはひとえに、俺が女に、ヴィルが男に絡まれた時、『パートナー』という言葉を使って上手く逃げ出すため。
そのためにも、俺たちの関係性を濁しておく方が色々と都合がいいという理由からなのだが、……こうして改めてハッキリ口にされると、やはり照れるものがある。
もにょ、と唇が動いたのはなんと返せばいいのかわからなかったからだ。
『ありがとう』?
それとも、『そう言ってもらえて嬉しい』?
どちらも合っているような、――しかしどこか、物足りない? ような?
上手く言葉にまとめられない感情にまごつく俺を知ってか知らずか。ヴィルはまた、口を開いて。
「それに、」
「?」
「――あの子にとっては、周囲の人間に見放されることほど辛いことなんてないからね」
静かに付け足された一言は、嘲りとも愉悦ともいえる声色で。
この結果がもっとも王太子を絶望に突き落とすことのできる方法なのだと、長年、婚約者であったヴィルにしかわからない最高の報復なんだと。確かにそう、語っている。
だけど。
(なあ、ヴィル。お前は気付いているのか?)
王太子を『あの子』と呼ぶ声が、どこか優しくて、それでいて悲しそうな響きをしていること。
それは何も、今に始まった話ではなく、王都に来てから――作戦会議をしていた時も、ずっとそうだったこと。
はっきりと表情が見えないからこそ、それは今までのどんな時より色鮮やかに聞こえて。
しかしそれを指摘するのは、なんだかいけないことのような気がして。
ラッセルほど口の上手くない俺には、そうか、とだけ返すのが精一杯だった。
(……なんか、嫌だ)
胸の中、心臓ではないどこかにごろりと転がる、不快の塊。
その言いようのない気持ち悪さに、ヴィルに気付かれないよう、顔をしかめた。




