40 ネバーエンド・アフターオール(1)
目が覚めた時、私は変わらずそこに在った。
自分と外界を隔てる薄い膜はなく、身体の主導権も預かったまま。
意のままに動いてしまう身体の感覚を、私の覚醒に騒がしくなる周囲をよそに、ぼんやりしながら確かめた。
痛みはなく、痺れはなく、滞りはなく、違和感もない。
つまりはまったく、私がこの身体を動かすことに問題はないわけで――それがかえって大問題なんだよなぁ、と。問診の結果に安堵する医者と風君の姿を見ながら、心の中でひとりごちる。
(……それも、仕方ないこと、なのかもしれないけど)
学園を脱走して、先代様とのやり取りをしたあとから、だろうか。
ちょっとずつちょっとずつ、ほんの微々たる変化かもしれないけれど、ウィロウが元気になっているような気はしてた。
先代様のところで感じた時ほど、劇的な出来事があったわけじゃない。
でも、元々私はウィロウの中にいて、あの子の喜怒哀楽や心の動きをつぶさに感じて過ごしてきたから……なんとなく、本当に感覚的なものだけど、ウィロウの回復を実感できていたんだ。
イルゼちゃんを突き落とそうとしたあと、自分が魅了状態にあったことに気が付いて、全部に絶望して。消えてしまいたいと本気で願って、私が出てきてしまったあの時に比べれば、よっぽどあの子が自分の中に『いる』感覚があった。
私の中で、日毎にあの子の存在感が濃くなってきているのを、確かに感じていた。
ヘンリーから物理的な距離を取ったことで安心を得て、私の経験を通じていろんなものを見て、知って、感じて。それが心の栄養になったのか、調子がいい時であれば、ウィロウがなんだか楽しそうにしている気がするな。なんて。そんな風に思えることもあって。
(……だけどやっぱり、表に出て来られるほど、回復はできていなかったんだなぁ)
気を失う直前、もしかしたら、ウィロウが戻ってくるんじゃないかと思った。
ヘンリーの確保にアレクシスが動いていた時点で、あの子が犯した数々のやらかしはきっと、否、間違いなく陛下にも伝わっているはず。
しかもその上、被害者筆頭は婚約者だったウィロウで、そのウィロウのバックには(一応、私のバックにも)先代様がいて……その先代様はアレクシスに全面協力をしていたからこそ、ヘンリーを取り押さえた現場にも現れていたのだと思う。
先代様は先王陛下の時代におぼえめでたく、なんなら公私問わず親しかったらしいので、今代の国王陛下にとっても無視のできない相手。
だからまあ、要するに、あの場でヘンリーは完全に詰んでしまったのだ。
もろもろのやらかしに留まれば、まだ内々にすませることが……多少王家が無理を押し通すことになってしまった可能性は否めないものの、できたのかもしれない。
けれど、ヘンリーは今回のやらかしで無辜の一般人を巻き込んだし、取り押さえられる時にはお城のヒラ衛兵がその場に立ち会ってしまった。
詳しい話はまだ聞いていないからなんとも言えないけれど、場合によっては、私を探すために風君が自警団すら巻き込んでいる可能性があって――年の瀬の馬鹿みたいに忙しい時期に、こんな大きなトラブルを起こして、決して少なくない人の目に醜態を晒してしまったのだから。きっともう、ヘンリーは内々の処理なんてしてもらえないだろう。
できたところで、せいぜい魅了を使った事実の隠蔽くらい?
それ以外のやらかしは……マ、元々新聞でも様子のおかしさが取り上げられ始めていた時期だしね。ヘンリーを政治の舞台からおろす建前をつくるためにも、隠したままにはしない方がいい。
そういうわけで、近いうちにヘンリーが表舞台から消えるのはほぼ確実。
これまでの功績もあるから、処刑してしまえ! とはならないだろうけど、それでもまあ、幽閉か蟄居か。このどちらかになるのは確実で、すなわち、戻ってきたウィロウがヘンリーと顔を合わせる機会は限りなくゼロに等しくなったことと同義だ。
……だからもう、ウィロウがいつ戻って来てもおかしくないよな、と思ったんだけど。
ヘンリーの存在さえ排してしまえば、あの子が戻ってくることを躊躇う理由は、かなり少なくなるんじゃないかなと考えているんだけど。
(さすがに考えが甘すぎたかぁ……)
ヘンリーを片付けてはいおしまい! とは、やっぱりいかないらしい。
あの子が傷ついていることは、私が一番よくわかってる。
誰よりも理解できるし、共感できる自負がある。
ウィロウの心の傷の深さも、むごさも、痛ましさも。ウィロウ本人よりも間近に目の当たりにしてきた私だから、休んでいたいならいくらでも休んでいていいし、休ませてあげたいに決まってる。
だから別に、あの子が休んでいることが、悪いことだと言うつもりはなくて。
(でも、ただ、私が――)
……私が目を覚まして、身体が意のままに動くことを知覚したあの瞬間。
ウィロウがいないことに落胆しながらも、ほんの少し、この状況に安堵してしまったことが。舌の上に苦みを広げて、どうしようもなく、いたたまれなくなってしまったから。
(早く、返したいなぁ、なんて……)
今に執着して、手放せなくなる前に。
この身体を返したいと、そう思っただけの話なのだ。




