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魅了の魔法が解けたので。  作者: 遠野
嘲弄編

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30 しあわせは何でできている?(6)

 だんだん密度の増していく人波を縫ってマーケット会場の大通りを歩きながら、どんな屋台があるか軽く物色して、あれこれと話しながら行きたい場所に目星をつけて。ちょうど片道を歩ききり、ヴィルの説明にあった貴族街の区域目前あたりまで辿り着いたところで、どうやら本日のマーケットが始まったらしい。

 そこかしこの屋台や店舗から威勢のいい客寄せの声が響き渡り、小さな子どもから老人まで、目当ての店にわらわらと集って――もとい、吸い込まれていく。


 ……開店前の店を自由に見て、どこに行くか想像するだけでもすごくわくわくしていたのに。

 こうしてマーケットが始まり、にぎわう様子を見ていると、どきどきしすぎて心臓が破裂してしまいそうだと思う。


 昨日は全然そんなことなかったのに、いったい何故だろう。

 そう考えて、ふと思い当たったのは、俺がこういった催し――都市を上げて執り行われるような祭りに参加するのはこれが初めてだな、ということだった。


 実家にいた頃は祭りに参加できるほどの金も自由もなかったし、昨日はマーケットを楽しむ余裕なんてなかった。

 ……けれど今日は、王太子の動向は確かに気がかりではあるものの、すぐに動くという確証もない。

 おまけにマーケットを楽しんで来いとラッセルに快く送り出されたこと、自分で自由に使える金があることから、初めての経験に浮かれてしまうくらい気が緩んでしまったんだろう。


 しかし――自分の怠慢に気付いてこれではいけない、と知らず知らずのうちにだらしなく緩んでいた表情を引き締めると、当のヴィルがもっと肩の力抜きなよ、なんて言うものだから。

 思わずお前のことだろう、と非難がましい言葉を口に出せば、そんなにピリピリしてたら体力が持たないしかえって不審者に思われても知らないよ? と言われて唇がぎざぎざになった。


 ……そうだな。

 そうして変に目立って面倒臭い連中に絡まれる方が、よっぽど面倒臭いもんな。



「ほらほら、アツアツのアップルジンジャーティーでも飲んで落ち着いて」

「いつの間に買ってきたんだ?」

「風君がきらきらした目でマーケットの様子見てる間に。……あ、お金は良いよ。これくらいはね」

「馳走になる。……ところで今さらなんだが、お前、普通に買い食いして大丈夫なのか?」

「んはは! ほんと、すっごい今さらの質問だね? 平気平気、こんなに人がごった返してるところで個人を狙って毒を盛ろうなんて不可能だし、こっち側はお城に近いぶん、警備の目も特に厳しいしね。たとえ不特定多数を狙ってテロを起こそうったって、未然に防がれるのが関の山だよ」

「そうか」

「まあ、食品の管理が甘くて食中毒に……って可能性はなきにしもあらずだけど。そんなことしたら普通に信用問題に関わって、自分の店があっという間につぶれる羽目になるだけだし? ――みんな生活がかかってるから、そんな不注意は絶対に侵さないよ」

「なるほど」



 アップルジンジャーティーにふーふー息を吹きかけて冷まし、コップにそっと口を付けるヴィルに倣って、俺も一口。


 ……ふわっと広がるのは林檎の甘酸っぱい香りなのに、味は間違いなく紅茶で。

 そこへさらにピリッとした生姜の風味が突き抜けていくのが、今までにない感覚だった。


 紅茶の匂いがしないのに紅茶の味がして、林檎の味がしないのに林檎の香りがするちぐはぐさに俺が目を白黒させていると、自分の分をちびちび飲み進めていたヴィルがふ、と小さく吹き出して。



「大丈夫? 飲めそう?」

「……味と匂いが一致しなくて変な感じがする」

「あー、わかる。私も最初、フレーバーティー飲んだ時は脳がバグった」

「ばぐ?」

「あー、ちぐはぐな味と匂いのせいで頭の中がぐちゃぐちゃになったって感じ?」

「ヴィルもそうだったのか」

「そりゃあね? 今でこそ気にしてないけど、元々、お茶にお砂糖とか蜂蜜とかミルクとか入れるのも抵抗あったくらいだし。……生姜の感じはどう? キツくない?」

「これくらいならどうってことない。生姜をお茶に入れるのは俺も想像がつかなかったし、初めてだから変な感じがするが、慣れればそこまで気にならないだろうな。身体も温まるし、冬の屋外での催しで人気なのも頷ける」

「口にあったなら良かった! コップはあとで返しに行かなきゃいけないから、飲み終わってから移動しようね」

「ああ。……ヴィル」

「うん?」

「アップルジンジャーティー、かなり熱いんだろう? 人の流れとか、店の様子とか見てるだけでも俺は楽しいから、無理に急いで飲まなくても良いからな」



 ――俺たちが初めて、ちゃんと、腹を割って話し合い、協力関係を築くことにしたあの夜。

 ヴィルは熱々の紅茶に悲鳴を上げていたし、それ以降も一緒に食事をとる時もできたてのスープにはすぐ手を付けず、ほかのものを食べて少し冷ましてから口を付けていた。


 そんなヴィルがこのアップルジンジャーティーをすぐに飲み切る、というのはさすがに辛いものがあるだろう。

 今までの……と言っても、せいぜいここ二カ月ほどの短い付き合いでしかないが、そこから得た気付きを踏まえて声をかけると。



「……ごめんね。ありがとう、風君」

「? 謝られるようなことはないと思うが」

「私の気分の問題だから。……そう言ってもらえると助かるよ」



 ヴィルは驚いた顔を浮かべたあと、うろ、と視線をさまよわせて。

 それからほんの少し、はにかんだような顔で笑ったのだった。

今回も六話でおさまる予定だったんですけど、おもいのほか二人がたくさんおしゃべりしているので書きたいところまで書ききれず、もう一話増えてしまいました。

風視点はたぶん次回で終わると思います。

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