7.私の愛する旦那様〜妻視点〜
今、この屋敷のなかで起きているのは私だけだろう。
物音一つない完璧な静寂を乱さないように、私は眠っている旦那様の顔をじっと見つめている。
休息を必要とする体がないからなのか、死んだ者は眠ることが出来ない。
だから、私はいつも眠ったふりをして、隣から寝息が聞こえてからそっとを目を開ける。
「……旦那様、起きていませんよね?」
囁くように尋ねるも、起きる気配はない。
頬杖をつきながら、飽きることなく旦那様の顔を見続ける。起こさないようにそっと頬を撫でたり、軽く唇を重ねたりしながら、彼を堪能していく。
旦那様に負けず劣らず、私の愛も結構重い。
――だから、私はここにいる。
旦那様は魔術で私の魂をこの世に縛っていると思っているけど本当は違う。
死んだ私を蘇らせようと、彼が狂ったようにいろいろ試していたのは事実。でも、どれも失敗した。
では、なぜ私はここにいるのか。……私にも分からない。
◇ ◇ ◇
私は死んだあと、狂っていく彼のそばで彷徨っていた。
恍惚とした表情で『リリア、愛している……』と繰り返しながら、私を殺した者達を手に掛けた旦那様は、私を蘇らすことが叶わないと分かると死を選ぼうとした。
『リリア、これから君のところにいくよ。ひとりにしないって約束しただろ。ちゃんと守るからな』
駄目よ! 死なないで旦那様。そんなつもりで言ったわけじゃないの……。
どんなに叫んでも死人の声は届かない。私が死ぬ間際に紡いだ言葉に、彼は囚われてしまっていた。
誰か助けてと、私は狂ったように願った――神に、悪魔に、祖先の霊に、ありとあらゆるものに。
そして、気づいたらこんな形で蘇っていた。私は今まさに死のうとしている彼の前で、顔を覗き込むように跪いた。彼の目が見開いた。
『旦那様、ただいま戻りました』
『……私のリリアなの…か……』
震える手が私の体を捉えた。
『あなたのリリアです、旦那様。ちょっと迷子? になって帰りが遅くなりました』
咄嗟に、死んだことに気づいていないふりをした。甚振られた記憶を持つ妻でいたら、彼が苦しむと思ったから。
彼は複数の魔術の共鳴が奇跡を起こしたのだと信じた。普通の精神状態だったら、いやそうじゃないと疑ったはず。でも、彼の壊れている心は、信じたいものを真実とした。
そのあと、彼は私の状態に合わせて屋敷内の物体に魔術を掛け、視える使用人達を雇った。
――私と旦那様は、幸せだった頃の続きをまたここで始めた。
◇ ◇ ◇
私は彼の心を守るために、死んだことに気づいていないふりを続けている。
「ふふ、実はこれでも大変なんですよ、旦那様」
私は彼の寝顔に向かって愚痴をこぼす。
油断するとふわふわと宙に浮いてしまうので、人前では常に気を引き締めている。当然旦那様にもこれは内緒。
弟のところに行くのも夜と決めている。昼間でも行けるのだけど、ちょっと飛んで行ってきますとは言えないから。
「まあ、昼間だとあの子は寝ていないから意味がないですけどね」
セスは夢だと信じているけど、それは半分当たっていて半分は間違っている。
私は夢の中に潜り込んで弟と話しているのだ。視えない弟だけど、無意識だと認識できるらしい。
なぜそんなことをしているのか。純粋に可愛い弟と話したいという思いもあった。
――でも、それだけじゃない。
私が消えてしまった時に、旦那様のそばに信頼できる誰かがいて欲しかった――それがセスだった。あの子ならきっと旦那様を死なせたりしない。
いつ消えるか分からないのなら、その日がいつ来ても大丈夫なようにしておきたかった。
「私の弟は本当に頼りになる子なんですよ。だから、もしもの時は頼ってください。ね、旦那様」
囁くように呟くと、彼の瞼がゆっくりと開き、紫水晶のような瞳に私を映す。起こしてしまった。
「リリア、眠れないのか?」
「いいえ、ずっと旦那様の隣で私も寝ていましたよ。たまたま、起きただけです。そしたら、旦那様の寝顔があまりに可愛らしかったから、見惚れていました」
「くっくく、私が可愛いか?」
「はい、旦那様。でも、それを知っているのは私だけ……ですよね?」
わざと少しだけ拗ねたように言うと、彼が嬉しそうに口角を上げる。独占欲は愛するがゆえと、身を以て知っているからだ。
「もちろんだ。リリアだけ。これからもずっとな」
彼は包み込むように優しく私を抱きしめると、静かに安堵の息を吐く。
私の存在が幻ではないと確かめているのだ。
たぶん、幻ではない。
きっと、夢でもない。
そう私は思っている。……けど、それを確かめる術はない。
「ふぁ……眠いですね。旦那様、まだ夜ですから寝ましょう」
生きている彼には安息が必要だ。
「そうだな。一緒に寝よう。おやすみ、リリア」
「おやすみなさい、旦那様」
私は目を閉じるながら祈る。どうか、彼が次に目覚めた時に、まだ私が消えていませんようにと。
隣から寝息が聞こえてくると、またそっと目を開ける。時間の許す限りこの目で彼を見続けたいから。
――ここは幸せな鳥籠。囚われているのは、旦那様と私。
……永遠に囚われていたい。
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