6.白い花の苗〜弟視点〜
深夜零時過ぎ。僕――セス・ハウェイが心地よい静寂に包まれてベッドの中で休んでいると、冷たい風が首筋を撫ぜる。窓を締め忘れたわけではない。
「ひゅ~、どろどろどろ~」
「…………」
とりあえず無視していると、今度はふぅふぅという音が耳元でして、冷えた空気が忙しなく頬にぶつかる。
「姉上、やめてください」
目を開けると、姉が唇を突き出して一生懸命に息を吐いている姿が目に映る。……やっぱりな。
「だって、セスがなかなか起きてくれないから」
「普通に起こしてくれたら良いじゃないですか」
「それじゃ、面白くないでしょ」
面白さはいらない気がするけど、姉上が楽しそうに笑うから、僕は嬉しくて一緒に笑う。
――姉リリア・ロースは一年前に死んでしまった。
だから、これは現実じゃない。冷たかったり、息を感じたりするほど凝った夢。
僕の夢の中にこうして時々現れる。それもいらぬ趣向を凝らして。死んでいるからそれに合わせているそうだ。夢のなかでも、姉上は姉上らしかった。
まあ、僕が作り出した夢なのだからそれも当然だけど。
生きていた時と同じように僕を心配したりもする。ハウェイ子爵家は常に火の車だからだ。両親はお金に困っている人がいたら、すぐに貸してしまう善人――つまり、立派なカモだった。
『大丈夫です。貧乏には慣れっこですから』
『間違ってるわ、セス』
『なにがですか? 姉上』
『”ど”が抜けているわ』
『はっは…は。……でしたね』
僕と姉上にしか分からない悩みで一緒に盛り上がり、最後に同じ台詞を言って消えていくのだ――『明日、待ってるわね。セス』と。
こんな夢を見るのは決まって、ロース侯爵家を訪問する予定の前の晩だった。
義兄上は姉上が亡くなってから心を病んでしまった。それほど愛し想ってくれていたのだと思うと、弟として感謝してもしきれない。
僕は定期的に義兄上を見舞っている。天国で姉上もそれを望んでいるはずだから。
僕は医者じゃないから病んだ心を治せない。でも、姉の死を同じく悼む者としてそばにいたいと思っている。
義兄上を一人ぼっちにしない。……それしか僕に出来ることはないから。
姉が夢に出てきた日の午後。
ロース侯爵家に到着すると、ちょうど客人をゾーイが見送っているところだった。僕は、パンパンと頬を叩いて気合を入れる。あの門をくぐれば、そこは義兄上が作り上げた優しい世界。
間違っても壊してはいけない。
僕は空気を読むのが上手いから、義兄上や使用人達の会話や視線に合わせて演技する。今のところ失敗はない。
でも、毎回、緊張するんだよな……。
「ゾーイさん、お久しぶりです。姉上はどこにいますか?」
「奥様は侯爵様と一緒に庭園にいらっしゃいます。セス様、ご案内しますね」
勝手知ったるなんとやらで、この屋敷のことはよく知っている。でも、せっかくの好意なので、僕は素直について行った。
義兄上は僕に気づくと、くしゃっと顔を崩して微笑む。愛する妻の弟だからと可愛がってくれていた。それは姉が亡くなった今も変わらない。
「セス、よく来たな。今、花を植えていたところなんだ」
「義兄上、姉上、遊びに来ました。白い花、綺麗ですね。選んだのは、姉上ですよね」
義兄上は優しい眼差しを隣に向ける。
(どうして分かったの? セス)
きっと姉上なら驚いた顔をしてこういうはずだ。素直で可愛い人だから。
僕は心の中で十五まで数えてから口を開く。
「だって、姉上は昔からこの花が好きだったじゃないですか。弟だから分かりますよ」
(ふふ、さすがは私の自慢の弟だわ。ね、旦那様)
姉上はこう言いながら、大好きな夫に笑いかけているはず。
僕は至って平凡だ。でも、姉上は『セス、あなたは特別な子よ』といつも言ってくれていた。恥ずかしかったから素っ気なく、姉馬鹿ですねと言ってしまっていたけど、本当は嬉しくて堪らなかった。
「そうだな、リリア」
穴あきのような不自然な会話が、円滑に続いていく。失敗していない証拠だ。
義兄上は隣を見ながら優しく微笑む。
――そこに、姉上はいない。
でも、この屋敷に来ると本当に姉上がいるように感じる。
彼女が生きていた時と、屋敷の雰囲気が変わらないのだ。ここは温かさと優しさに満ちていてとても心地よい場所。
姉は完ぺきな淑女ではなかった。おっちょこちょいで、大人になっても迷子になったりする人だった。でも、彼女のそばにいると不思議と安心した。
――今もそう……。
「セス、白い花の苗を少し持って帰る?」
「お言葉に甘えていただきます、姉上」
そんなふうに感じていたから、声が聞こえた気がして思わず答えてしまった。
……うわぁ、どうしよう、失敗した。
話の流れに合わない言葉を発して慌ててしまう。どきどきしながら義兄上やゾーイの様子を窺うと、どうやら大丈夫なようだ。良いように解釈してくれたのだろう。
僕は気を引き締めて、それ以降は失敗しなかった。
帰る時間になるとゾーイが門まで見送ってくれ、奥様からですと手土産を渡された。いつもの義兄上からの気遣いだと思って、僕は礼を言ってから門を出た。
あれ? お菓子じゃないのかな?
持ったときの重さがいつもと違っていた。いつもなら途中で中身を確認したりはしない。だけど、今日は立ち止まって紙袋を開けてみる。
――そこには、白い花の苗が丁寧に詰められていた。




