イエス・キリスト(インド味)
「暇じゃのう」
ある日、ヒンドゥー創造神のブラフマーは退屈をしていた。
最高神の一柱であるブラフマーだが、宇宙を造った後は彼が作った世界に居る他の神々が主だった活動をしている。
やることと言えば精々、神の関係者や人間の苦行者にご褒美のような加護を与えたりする程度で、近頃はめっきり暇を持て余しているのであった。
あまりにも暇だったもので、普段インドに居て苦行者や嫁を眺めているのだが足を伸ばして中東・ヨルダン川辺りまでまるで徘徊老人が迷い込むようにやってきてしまった。
「ここは何処じゃったかのう。荒れ果てて苦行向きの荒野じゃが……おや?」
と、ブラフマーが顔を向ける──正確に言えば、何処を向いていても四方が見えるのだが──と、一人の男が荒野を足を止める事無く歩き続けていた。
「はて……迷い人かと思うたら……」
その男の顔つきを見ると、強い意思と信仰心に満ち溢れた精悍な顔立ちをしており、とても荒野に迷って困っているようには見えない。
ブラフマーはピンと来て彼の身体状況を神パワーでチェックしてみる。
「ふむ! あの男、四十日間断食して水も飲んでおらぬ。オマケにあの強い意思の篭った顔! これは間違いなく気合の入った苦行者じゃな……!」
苦行者に褒美の加護を与えるのが趣味な主神は、その気合の入った苦行に目を輝かせた。
近頃は数十日の断食は珍しい。長い断食でも、日に胡麻の一粒や水の一匙は飲むものだ。それを飲み食いしないまま、更に毎日動き続けて苦行を行っている。
そしてブラフマーが顔をほころばせて苦行者を見ていると、ついに苦行者の前に悪魔が現れて彼を誘惑しだした。
「おおっ、いつもの手じゃ……!」
インドの悪魔は苦行者の苦痛に耐える炎の如き意志力で世界が焼かれぬように、彼らを堕落させて苦行を台無しにしてしまう。
戦神クラスの神を叩きのめす程に苦行を積み力を付けた高仙だろうが、生まれてから一度足りとも性欲を持ったことの無い聖仙だろうがあの手この手で貶めるのだ。
最後まで耐えきり命を真っ当するのは稀で、ブラフマーが前に見たのは釈迦族の王子ぐらいだった。
何やら誘惑を受けているようだが、とうとう男は悪魔を打ち払った。雷鳴のごときはっきりとした心の強さを込めた声が響く。
「去れ!! サタンよ!!」
悪魔の影は消えていく。ブラフマーは目頭を押さえて居たのでその姿はあまり見なかったが。
「うむ。うむ。感心じゃ。悪魔まで撃退したか……苦行ポイント大幅増加じゃ! はて。さっきの悪魔は誰じゃったかな? カーマかインドラじゃろうか……まあいいか」
ブラフマーはにっこりと微笑みながら加護の書かれた経典を取り出して頁をめくる。
「本来ならもっと長く苦行を積まねば与えぬのじゃが、完全断食で眠らずに荒野を歩き回る苦行と悪魔撃退のポイントで儂の加護をやるぞ若き苦行者よ……! ええと、何がいいかのう。そうじゃな……とりあえず便利な、『物理攻撃無効化』あたりにしておくか」
いきなりチート能力を渡してきた。ブラフマーの加護は大雑把でしかも強力なのだ。
特に攻撃無効系はインドに於いてメジャーな加護であり様々な神・英雄・怪物・悪鬼などがそれぞれの種類の加護を持っていることも珍しくない。
一見酷く強力な物理攻撃無効化だが、インドでは魔法・幻術・呪いなどをそこらのザコ悪鬼でも使ってくる上にトンチを聞かせた攻撃を仕掛けてくるので加護としては初歩的なぐらいであった。
ポワワワとブラフマーの手から輪っか状のオーラめいた何かが飛ばされ、苦行者の体に降り注ぐ。
ハッとして苦行者は、自分の体が温かな光に包まれていることに気づき、そして己のチャクラが開いていき体内にヒンドゥーめいた気が満ちていくのを感じた。
「これは……主の聖霊が私の体に宿っていくのがわかる……!」
苦行者が感動に打ち震えているのを見て、ブラフマーは満足そうに頷く。
「うむ。よし、他にも何か──」
「あ゛ー!」
叫び声が聞こえて、同時にブラフマーは羽交い締めにされた。
彼の背後には美女と見紛うような美しい顔の、ゆったりとした白衣に身を包んだ有翼の青年が必死な形相をしていた。
「ちょっと何やってるんですかブラフマーさん! 他所の神話の方針に介入しないでくださいよ!」
「なんじゃ? 天女か? もうメシの時間かのう」
「おたくの天使じゃなくてガブリエルです! なに勝手に異教の加護与えちゃってるんですか! うちのイエスくんに!」
必死にブラフマーの追加加護を阻止しようとしているのは、この辺りで幅を利かせている神話の天使であるガブリエルである。
彼はブラフマーが先程加護を与えた修行者──ナザレのイエスを色々と気にかけて誕生の頃から見ていたのだ。先程も、荒野を延々とさまよった挙句に悪魔から誘惑されるという試練を受けていたのを、ハラハラと見守っていた。下手に手助けをするのは神に禁止されているのだ。逆らったら死ぬ。
だというのに、フラッと現れたブラフマーがいきなりインド式の加護を与えてきた。
それで試練に打ち勝ったというわけではないのだが、これにはガブリエルも驚いてブラフマーを止めに来たのだ。
「しかしのう。苦行しておるのはあれじゃろう? インドラとかを殴り殺すため……」
「違いますよ! 救世主に必要な試練なんです!」
「あーわかるわかる。うちの英雄共も、大抵悲惨な目に合うからのう。そこで必要なのがやはり加護──」
「いらないんですって! ああもう、送っていきますからインドに戻りますよ!」
ガブリエルはブラフマーの背中を押してインドの方へ連れて行こうとする。
このままここに居させてはろくなことにならない。おまけに相手は創造神クラスだから、力ずくで言うことを聞かせることもできないので退散を願うしか無いのだ。
「そうかのう。耳を伸ばしたり、核兵器とか渡さんでええのかのう」
「そんなもん使ったらローマがソドムとゴモラみたくなりますから! さあ帰りますよ!」
「すまんのうアプサラス」
「ガブリエルです!」
どうにかこうにか、ガブリエルはブラフマーをインドに戻すことに成功した。
ぐっと額の汗を拭って、改めて荒野の試練を終えたイエスをガブリエルは見る。
本来ならばこの試練を乗り越えたことで、ヤハウェの御霊が身に宿り光り輝くように見えるのであったが……
「……オーラ的な何かで光ってる気がする」
ブラフマーから加護を与えられた拍子に体のチャクラが開いてしまったのだろう。聖霊とは明らかにニュアンスの違う、マッシブなオーラが出ていて断食後のやつれた体でも妙な迫力を醸し出していた。
ついでに体からは仄かにスパイスめいた匂いが漂い始めてる気もした。
ガブリエルは渋面を作って悩み呟く。
「どうしようかなあー……あの加護私じゃ消せないしなー……主に報告するのもなー……」
怒られたりするかもしれないと思うと、どうも気が引けた。偉大なる神は怒らすと怖いのだ。
そこまで考えて、ふと気づいた。
「いや、待てよ。主は全知全能の神。ならば、イエスにこうした事態が訪れるのも当然知っておられるはず……」
そして納得したように頷く。
「ならば主からの指示が無いので、手を出す必要もないな」
そうして、ガブリエルは特に報告もせずに物理攻撃無効なイエスを見守ることを再開するのであった。
どうせ人は寿命でそのうちに死ぬのだから、大した差異ではないだろうと判断したのだ。それに主も以前アブラハムに攻撃無効化の加護を与えてニムロッドのところへ送り込んだことがある。似たようなものだろう。
荒野を出てガリラヤへ戻るイエスは、非常に力強く使命感に満ちた顔つきをしていた。
この時イエスがガリラヤに来たことは、預言者イザヤが残した書になぞらえられた。
「異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が差し込んだ」
その記録の通り、ガリラヤの民はチャクラから湧き出るプラーナで輝いている感じなイエスを見て一気に評判が広がり、尊敬を集めるのであった。
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あちこちで民衆から支持を得るイエス。
何せプラーナで体が輝いているのだから視覚的な神秘性は抜群だった。あまりにも神々しくて人々がひれ伏すので、イエス自身チャクラを制御してプラーナを抑えなければ説教もできなかったほどである。
そんな姿のイエスはまさに、万人を救う救世主に見られていて、それを期待された。
だがイエスは故郷でもあるナザレにて説法を行う際に、集まった民衆にこう告げる。
「主が私を遣わされたのは、囚われている者を開放し、目の見えぬ者を回復させ、圧迫されている者を自由にするためである」
民衆はごくりと唾を飲み込む。まさしく彼らユダヤ人は現体制に圧迫されていて、救世主の存在を求めていた。
特に彼の生まれ故郷であるナザレの民には、特別にオマケして助けてくれると信じていたのだ。
だがイエスは静かに首を振った。
「それは今。あなた方がこの言葉を聞いたことで実現した」
と、それだけを告げる。
既に彼らは救われている。自分が何かを為す必要はないと言うのである。
戸惑う民衆にイエスは話を続ける。預言者エリヤが飢饉の中で異郷の者一人だけを助けたこと、預言者エリシャも疫病が流行っていた中で異郷の一人を救ったことを例に上げて話していると、民衆が突然立ち上がった。
「ふざけるな!」
「救世主なら俺たちを助けるのが役目だ!」
「このペテン野郎め!」
ユダヤ人の手のひら返しっぷりは聖書でもよく取り上げられる。
ということで、逆上したナザレの住民らは先程まで崇めていたイエスを取り囲み、
「崖から突き落とせ!」
「神の加護があるか確かめてやる!」
などと口々に叫んでイエスを谷底に突き落とそうと手を伸ばしたのだ。
だが──
「この野郎!」
「くっ……こいつビクともしない!?」
イエスの体は突き飛ばそうとしても、殴りかかってもまったく効かなかった。
それどころか殴ったほうが逆に吹っ飛ぶ始末である。
物理攻撃無効の加護である。
イエス自身も、己の体に宿る神の力に心の奥底から祈りを捧げて、その場を立ち去ろうと歩みだした。
ナザレの民もそれを止めようと、しがみついたり、立ちはだかったりしたのだが意にも介せぬイエスは悠々と彼らを引きずり、去っていった。
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イエスはそれからガリラヤの地を巡り、人々に教えを説いた。
ナザレほど露骨ではないものの、やはり多くの人が病気や苦しんでいる者、悪霊に憑かれている者などは彼に救いを求めていた。
イエスは集まった民衆に静かに座るように告げる。
どうすればいいか、彼は自らの信仰によって確信があった。自然と身の内に彼らを癒やす方法が浮かんできた。
「まずは姿勢を正しく座りなさい。そして心を落ち着かせ、呼吸を静かに行い、聖霊を感じることを信じて私の話を聞きなさい」
イエスが見せた胡座を掻いて手を差し出すようにする姿勢を、人々は真似をしてからイエスの説法を聞いた。
ヨーガの姿勢である。
そうするとどうだろうか。ヨーガの効果により体の凝りもほぐれて血行がよくなり、呼吸が整ってプラーナが循環し、その結果病も治る者が続出した。
当時は心因性の、信心深さ故に起こる病も多かったので心を落ち着かせるのは効果的でもあった。
心も落ち着くと取り付いた悪魔たちも、
「俺たちと管轄違くない!?」
と、ヨーガを始めた宿主に驚いて出ていったという。
こうしてイエスは次々にガリラヤの地にて、奇跡の如く病人を癒やして行った。
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また、ガリラヤのカナの町で婚礼が行われたときにイエスも招かれていた。
するとイエスの母マリアが、ぶどう酒が足りなくなった事に気づいて、
「どうしましょうか、イエス」
と、声を掛けてきた。
「婦人。私にそれを言ってどうするんですか」
そう諌めながらも頼んでくるので仕方なく、召使らに指示を出した。
「水を張った瓶を用意しなさい。婦人は、私が生まれたときに東方のマギから貰ったものを出しなさい」
そう言って用意をさせて、水瓶の前に立つ。
マリアが持ってきたのは東方の博士からイエスに送られた品である。
「乳香と没薬。これは匂いを付けるスパイスである」
それらを瓶に入れてかき混ぜる。
「黄金。これはゴールデンカレーのルウである」
イエスはカレー粉をぶっこんだ。
すると不思議なことに瓶の中の水はたちまちスープカリーに変わり、結婚式の新郎新婦に振る舞った。
東方の博士が送った品であるが、東方とはインドのことであり、博士と約されるマギとは調味料のことだとされる。マギーブイヨンなどがそうだ。つまり、イエスの生誕を記念してカレーのルウが送られたことは記録から明らかであった。
人々はこの奇跡を目にして、イエスを深く信じて弟子入りするのであった。
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ガリラヤ湖近くの丘で弟子たちと共に4000人を相手に説法をしていたときに、皆が腹を空かせていた。
あまりに空腹では言葉も届かない。それを懸念したイエスは弟子に問いかける。
「何か彼らに与えるものは無いだろうか」
「大麦のナーンが5つと、魚が2匹しかありません」
イエスは迷いのない目で頷き、座禅を組んだ。
「今日は断食だ」
ヨーガを行うことで断食の苦しさに耐えながらも、皆は満足して説教を聞き満ち足りたものになるのであった。
しかしながら、
「目には目を歯には歯をというが、カレーを奪う者にはナーンも与えよ」
「人はカレーを煮込んで美味しくなるのを待つが、何故そうなるかはわからない。天の国も同じである」
「また、一晩寝かせたカレーを食べれば、誰も新しいカレーを食べようとしない」
などと微妙に空腹を刺激する例え話をするのがまた苦行なのであったが。
このことからキリスト教では度々断食の儀式が後世まで行われるようになった。
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「貴方の愛する者が危篤なのです、イエス」
イエスは旅の途中でラザロの姉妹からそう呼びかけられた。
ベタニヤに住むラザロとはイエスも親しく、彼が危うい状態だと聞かされたイエスは、その地がイエスを貶めたがるパリサイ人の多い町だと知っていたが、それでも向かうことにした。
彼が辿り着いたときにはラザロは既に葬られ、石の棺に入れられていた。
イエスは石の棺を開けながら告げた。
「ラザロ。出てきなさい」
するとどういうことだろうか。死んでいたはずのラザロが、石の棺から申し訳なさそうな顔で出てきたのだ。
「ラザロ!」
「生きてるわ!」
姉妹はその神の奇跡に涙し、イエスを深く信じた。
しかしながらラザロとイエスは顔を合わせて、意味ありげに頷く。
イエスはラザロが大麻をヤっていたことをよく知っていたのである。
大麻のヤりすぎで意識が朦朧とし、ここのところ具合が悪かったのだ。
この騒動もオーバードースで仮死状態になりそのままうっかり棺に入れられたのである。
インドでは大麻のやり過ぎで倒れるのはよくある話なのだが、あまりに間抜けだったので二人は内緒にしておいた。
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イエスはエルサレムに向かう前の日に、己がエルサレムに入ると律法者たちに捕まり、刑を受けるだろうということを弟子たちに語った。
弟子のペテロは、
「そんなことがあってはなりません! 行くのをやめましょう!」
と告げてきたが、イエスは彼を厳しく叱り己の心が決まっていることを説明した。
そして弟子たちの足を自ら洗い、ターバンで拭ってやることまでしてやった。
エルサレムの城門をロバに跨り進み、町を目にしているイエスの目に涙が浮かんでいた。
近い将来に滅びるエルサレムの姿が見えたのと、風に混じるスパイスの刺激臭が滲みたからである。
そして神殿に着きその有様を見るとイエスは激怒した。
神殿では供物を売り買いする商人、両替商、鳩を売る男、コブラを笛の音で操る蛇使いなどが居た。
「祈りの家を強盗の巣にするつもりか!」
イエスはそう叫び、机をひっくり返して怒鳴り散らした。
当然ながら商売の邪魔をされて黙っているユダヤ人ではない。
次々に棒や石、チャクラムなどを持ってイエスの体を打ったが、物理攻撃無効なのでビクともしなかった。
蛇使いのコブラもイエスから感じるプラーナに怯えて壺の中に隠れたままだ。聖仙といえば蛇の天敵なのだ。
神の加護で無傷のイエスを目の当たりにするとさすがにユダヤ人らも怯み、動じずに説教を始めるのを聞くしか無かった。
ユダヤの民らがイエスに信奉していくのを遠目で見ていたユダヤの祭司長や律法学者らは、
「あの偽救世主をどうにかして殺さねば、我らの立場がない」
と、計画を練るのであった。
それからイエスは次々に学者達を論破していき、ますますユダヤ人らの殺意が膨れ上がるのを感じ取った。
そしてイスカリーオテのユダが自分を裏切るであろうことも、既に知っていた。
弟子らを集めた晩餐の席で、イエスはナーンを千切って彼らに与えて言う。
「これは私の肉である」
そして器にカレーソースを注いでやり、
「これは多くの人のために流す私の血である。これから神の国で口にするまで、私はガラムマサラを使ったものを口にしない」
その夜、ユダは兵士、祭司長、学者を連れてイエスの寝床へとやってきた。
彼らは手に棒や剣、ジャマダハルなどの武器を持ってやってきている。
「私がこれから口づけをする相手がその人だ」
そう合図を決めていて、ユダはイエスに近寄り、彼に口づけをした。マウストゥマウスである。
イエスは口に感じる、ユダの食べた晩餐のカレー味で目覚めて、
(あっ……さっきもう口にしないって宣言したばかりなのに)
と、ショックを受けてしまった。
あまりにもすぐに約束を破ってしまったショックで、イエスは呆然としたまま兵士に連れられて行ってしまった。
その先で彼は縛られ、棒で殴られるなどの暴行を加えられたがまったくもって無傷で、事の成り行きを見守っていた。
ユダヤ人には処刑をする権利は無いので、ローマ人の総督であるピラトの元に引っ立てられた。
しかしながらケロリとしていて傷一つない罪人にピラトも首を傾げながら尋問をする。
「ええと、お前はメシヤなのか?」
「私はもう飯屋でもカレーは食べない」
イエスの悲痛な覚悟だった。後世の宗教家が涙するシーンである。
然程感動しないピラトは感性が鈍いと後に揶揄されるが、ともあれ次の質問が飛んできた。
「ユダヤ人の王と名乗ったか?」
「それはあなたが言ったことだ」
さっぱり事情はわからないので、処刑にする罪人でも無いようにピラトには思えたが熱狂したユダヤ人らが暴動を起こしそうだった。
つい先日までエルサレムに入ったイエスの説法を聞き入って、考えさせられる内容だとばかりに感じ入っていたはずなのに、一度熱狂するとユダヤ人の集団はこうなる。
「殴って効かないなら十字架に張りつけだ!」
その声は高まり、ピラトは苦々しい顔でイエスを見た。
「あなたに責任は無い。彼らの望むようにさせよ」
イエスはそう言うので、ピラトもイエスに十字架を張りつけさせた。
しかしながら、当時の張りつけというと手首か手のひらに釘を打ち込むのであったが、やはりこのイエスは物理攻撃無効である。
当然ながら特殊な効果のない鉄の釘など、打ち付けても少しも刺さらずに釘が曲がるだけであった。
殴られても一切効いていないのも見ているのでピラトもイエスの事を本当にヤバイ存在なのでは、と思いつつある。
妥協案として手を十字架に縛り付けることで固定した。兵士らも怯えつつある。
衣服もターバンも剥ぎ取るが、チャクラが開いていてプラーナが充実しているイエスの肉体は豪傑のように筋骨隆々で、痛みも何も無いのでまるでヨガのポーズを取っているかのように自然体で十字架を背負っている。
「けへぇーっ! この自称王様がよォーッ!」
「神の子なら自分を救ってみたらどうだこの野郎!」
と、イエスが十字架を背負って道をノシノシと歩いているとユダヤ人が口々に嘲りながら、棒で殴りかかったり石を投げたりする。避ける必要もなく無傷であった。
ローマ軍の兵士らは、
(こいつらよくこんな妙な相手にそこまで調子に乗れるな……)
ユダヤ人らに恐れと呆れを感じるほどであった。
体が薄ぼんやりと光り、筋骨隆々で十字架を背負い、傷一つ負わない男。
異教の身ではまさしく神の子のように思えるが、ユダヤ教徒の場合は同じ宗教故に許せないことがあるのだろう。カレーとか。
頑健なイエスは一度も躓かずにドロローサの道を踏破し、大人しく十字架に掲げられた。
そこで彼は呼吸を整え、プラーナによって体を激しく発光させる。
「神は私をお見捨てになることはない──私の内に神の霊が宿っているからだ!」
ブラフマーの加護は確実に宿ってはいる。
「こ、虚仮威しだ! 早く刺せ!」
「ええ? そういう刑じゃないんですが」
「うるさい!」
「お前を殺すぞ!」
百人隊長は恐慌寸前のユダヤ人に押されて、やむを得ずイエスを槍で突いた。
ぐにゃりと槍の穂先が曲がった。
その百人隊長も恐れをなしたようにナマステした。
「貴方がたは愚かである! もし天の国に道が開かれるならば、貴方がたよりも娼婦や罪人が先に向かうだろう! 彼らは私と弟子の話をよく聞き、信じたが、貴方がたは聞いても理解しようとせず、奇跡を見ても神を信じようとしないからだ!」
イエスは十字架に掛けられたまま声を張り上げて一晩中説教をした。
ユダヤ人の民衆はやがてイエスの考えを深く受け入れ、どうあっても死なないと判断したピラトはイエスを十字架から下ろした。
民衆は今度は祭司長や学者を十字架にかけろと手のひらを返して騒ぎ出したが、こうしてイエスはゴルゴダの丘から降ろされることになったのである。
騒ぎは大きくなりやがて軽快なミュージックとダンスでその場は盛り上がるのであった。
その光景を見ていたヤハウェは、
「……なんか予定と違うけど、こっちへの信仰は確かだし教えも例えにカレーが出て来るだけで普通だし……放置しておくか」
そんなこんなで、イエスはキリストとして磔刑の後にも活動を続けるのであった。
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その後。
裏切りの発覚を恐れたユダは首を吊ろうとしたところをイエスに助けられ、改心をした。
今でいうユダのイスカリーは彼の福音書に残された作り方によるものである。
疑い深いトマスとして有名な弟子のトマスは、イエスが活動をしてから周囲が妙にインド風になっていったのを疑った。
そして彼は自ら確かめるためにインドに向けて旅立っていった。インドにはトマスが建てたとされる教会が残っている。
ペトロやパウロが大々的な宗教活動を行おうとしたものの、営利的にならないようにイエスは目を光らせた。
そしてユダヤとの対立も大きくなり、ユダヤ戦争の頃から脱ユダヤを進めてその内にキリスト教と呼ばれるようになった。
そうしてイエスは120歳まで健康で生き続け、人々に教えを説いていた。
旧約聖書にも、神の言葉として『人の寿命は120年がいいだろう』とあるように、それより長くも短くもない時間を生きていたのである。
多少インド風味がしたが、彼のヤハウェへの信仰は揺るぎないものであった。
その生涯の間、ローマ皇帝によるキリスト教徒の迫害やユダヤ戦争なども発生しイエスが矢面に立ち迫害されることも何度もあったが、そのいずれも彼は槍で刺されようとも火で炙られようとも無効化してそれらを沈静化させる事に尽力した、とされている。
彼を殺すには毒でも飲まさねばならなかったが、そのような陰謀を見抜くことがイエスは得意だった。ユダのことも事前に気づいていたぐらいだから当然だ。
誰よりも長生きして傷つかない聖人は類稀なる信仰を集めて伝説となった。
後世の学者が「え? 神話? 史実?」と混乱するレベルで、ローマの記録にも残りまくったようだ。
誰よりもカレーを愛した救世主。彼が現世でカレーを食べないことで、人類全ての原罪を請け負っていたのだと解釈される。
最高の指導者が昇天したことでやはり宗教的な混乱が発生したが、現代までキリスト教として長らく伝わることになる。
また、カレー料理の普及により香辛料のシルクロードを利用した輸入も盛んであり、オリエントでの栽培も早い段階で進められた。
その最後は、イエスは自ら昇天することで天の国へと行ったという。
一万人のダンサーと共に荘厳なミュージックで踊り、フィナーレに空へとワイヤー的なもので昇っていったらしい。
彼が最後に残した言葉は、
「これでようやくカレーが食べられる……」
だったという。
偉大なる救世主に祈りを捧げるべく、人々は今日もカレーを食べている。ナマステ。
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それから数百年後。
「暇じゃのー……どっかに瞑想しながら虫とか猛獣とかに体を食われておる苦行者はおらんかのー……」
相も変わらず暇そうにブラブラとしているブラフマーは、アラビア半島に居た。
「ん? 向こうの洞窟から誰か瞑想をしているような気配が。どうやらあの時のアプサラスと争っておるターバンの男がおるようじゃのー……見に行ってみるかのー」
終劇。




