10
粘りつくような嫌な予感が私の頭の中の警報をガンガンに鳴らさせている。
長い長い通路を抜け、辿りついた場所はこれまでに通ってきた部屋とは比べ物にならないくらい大きな部屋。
広間というのに相応しいくらいに広く……そして1番奥には階段のような物があった。
でも喜べない。
やっぱりあの粘りつくような嫌な予感は正しかった。
「あ、アイツが……ぼ、ボス……なの……?」
「きゅううぅぅう!」
震える手足、歯の根は辛うじて合わないというほどではないけれど、やっぱり細かく震えてしまう。
それほどの威圧感と恐怖を振りまくその存在は確かに私達の前に存在している。
頑強そうな鱗に覆われた体。
頭から尻尾の先まで入れたら一体どれほどになるのかわからないほどの長さ。
1番細い尻尾の先でも私の胴体ほどはあるんじゃないかと思われる太さ。
何よりも恐ろしいのはその爬虫類独特の裂けた瞳。
金色に輝く瞳は一瞬たりとも私達から眼を離さない。
ちろちろ、と出ている舌と独特の呼吸音にみなくてもその存在が何者なのかよくわかる。
そう、その存在は巨大な――私の知識の中にはないほどに巨大な蛇だった。
体を蠕動させてその場で準備体操でもしているかのように蠢いている。
階段の前に陣取っているために広間の入り口にいる私達まではまだまだ距離がある。それでも恐ろしい。今すぐ逃げたい。逃げ出したい。
でも私は逃げない。逃げられない。
恐怖で竦んだ足は物理的に動かない。けれどそんなことじゃないんだ。
私は決めたんだ。覚悟してここまで来たんだ。
帰るために。
アイツから逃げちゃいけない。戦うんだ。
……実際に直接戦うのは私じゃないとしても、私は逃げちゃいけない。
「る、ルー君!」
「きゅいぃいぃいいいいッ!」
動かない足を無理やり叩きつけて、渾身の叫びで銅の短剣を構える。
私の気合がルー君にも伝わっている。どんなに近くにいても決してここまで通じ合う事はなかったと思う。
でも今は……今はもう違う!
大蛇に向かって駆け出したルー君は10mも行かないうちに灯火を超高速で吐き出し、攻撃を開始する。
吐き出された灯火は超高速という表現が完全に正しい速度で大蛇に接近し弾けた。
「ぇ……」
ゴブリンやコボルトなら一瞬で燃え上がり消滅する威力がある灯火が大蛇の鱗で弾かれている。
でも弾いた鱗は灯火同様弾け飛び、その下にあるピンクの肉を確かに露出させている。
1発2発では倒せない。
大蛇もただルー君に攻撃をさせ続けるわけではなかった。
灯火を弾く鱗が1発で剥がされた事に危機感を感じたのか、凄まじい速さで床を滑るように動いてルー君を丸呑みにしようと襲い掛かってきた。
でもルー君は素早い。
普段は灯火1発で『敵』を倒してしまうし、私に合わせているからわからないけれど、その機動力は驚異的なほどに早い。
丸呑みにしようと巨大な口を開いて突進してきた大蛇をヒラリ、とかわしすれ違い様に灯火を当て鱗を弾き飛ばす。
遅れてやってきた尻尾の一撃も難なく回避し、さらに少し溜めてからの超高速の灯火が大蛇を襲う。
端から見たら一方的にルー君が完封しているように見える。でも違う。
ルー君の攻撃は大蛇に致命的なダメージを与えておらず、大蛇の一撃はルー君にとって致命的な一撃だ。
あれだけの体格差があったら掠っただけでもどうしようもないほどのダメージになるに違いない。皮のコートでも硬皮のコートでも……きっと毛皮のコートでも変わりないだろう。
……私はルー君に何をしてあげられるだろう……。
命を賭けて戦うルー君に涙が止まらない。
たった一撃受けただけでルー君は死んでしまう。そんなのはいやだ。
でも私に何が出来るんだろう……。
短剣もうまく扱えないし、走るのも遅い。ルー君みたいな攻撃が出来るわけじゃないし、あの凄まじい速さの突進を避けることもきっとできない。
私は……なんて無力なんだ。
「きゅうううぅぅう!」
滲む視界。
自身の無力さを嘆き恨む暗い心。
でも……。
そんな情けない私にルー君の声は届く。
視界いっぱいに広がる真っ赤な炎。
それはルー君が今まで使ったことのない攻撃だった。
赤い毛並みが逆立ち、陽炎が立ち込め……そして燃え上がる。
ルー君自身が真っ赤に燃えて1つの炎となって大蛇に向かって突進していく。
ルー君を覆う炎は小さな彼の体を大きく、大蛇よりも大きくしていく。
突進ばかり繰り返していた大蛇も凄まじい熱量とルー君の巨大さに体を丸め、剥がれていない鱗を前面に防御体勢を取る。
巨大な太陽となったルー君と激突した大蛇が一瞬で広間の壁に激突して鱗が砕ける硬質な破砕音と肉が破け、骨が砕ける嫌な音が響き渡った。
その光景に腰が抜けてへたり込んでしまった私は呆然としていることしかできない。
「……る、るーくん……ルー君!」
何が起きたのかはわからない。
私の視界に確かに映るその光景は頭では理解していても心が追いついてくれない。
腰が抜けて立ち上がれないけれど這う事は出来る。
私は行かなければ……行かなければいけない。
何もできない私だけど……こんな、こんな冷たい床にルー君を寝かせておくわけにはいかない。
早く……早く……!
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
広間の中央付近で倒れているルー君に辿りつくまでに大分かかってしまったけれど、やっと彼を抱き上げる事が出来た。
スヤスヤ、と寝息を立てているルー君を抱きしめる。安堵で涙が止まらない。
……ずっと止まってなかったけど。
「ルー君。こんな倒れるまで頑張ってくれたんだね……本当にありがとう。私は何も出来ないけれど、ずっとあなたの側にいる。ううん、居させて……私の王子様」
抜けた腰が戻るまでルー君をずっと抱きしめていると、大蛇はゆっくりと光の粒子になって消滅していった。
ゴブリンやコボルトのようなあっという間に粒子が消えてしまうのではなく、その巨体に見合った大量の粒子が時間をかけてゆっくりと消えていく様は神秘的な光景といってもいいくらいに綺麗だった。
出来ればルー君にも見せてあげたかった。
でもスヤスヤ、と気持ちよさそうに眠るルー君を起こす気にはなれなかったので結局大量の粒子が消えてなくなるまで、私1人でその光景を記憶に刻む事になった。
大蛇が消えた後には金色の宝箱が1つ。
この期に及んで罠という事はないだろうとは思うけど、慎重に近寄りルー君を片手で抱きながら短剣で突っつき、蓋を開ける。
罠がなかったことにホッとしながらも中身を確認すると――。
「あ……『使い魔の卵』だ……」
ルー君を生み出したあの『使い魔の卵』が中に1つだけ入っていた。
ルー君を片手で抱きしめたままではとてもじゃないけれど持てないし、持ち上げたとしても落としてしまっては元も子もない。
ルー君を一時でも離す事は絶対に嫌だったので私は宝箱の横に座ってルー君が起きるのを待つ事にした。
『敵』がこの部屋に来る事は多分ないと思う。
またあの大蛇が現れることも多分……ないと思う。……現れたらルー君を抱えてダッシュで逃げよう。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……きゅぅ?」
「ぁ……おはよう、ルー君」
「きゅー!」
「あはっ! くすぐったいよぅ」
「きゅぅ! きゅい!」
1時間もしないうちにルー君は無事目を覚ました。
その間に『敵』も大蛇も現れることはなかった。もちろん宝箱がなくなることもなかった。
眼を覚ましたルー君はとても元気にはしゃいで、泥のように眠っていたのが嘘みたいなくらいだった。
散々私の顔を嘗め回した後に満足したのか3本に増えた尻尾の毛繕いを始める始末だ。
そう、ルー君の尻尾が増えたのだ。
たぶんルー君が倒れた時にはもう増えていたと思う。あの時は必死だったから気づかなかったけど、ルー君が起きるの待ってる間に怪我がないか調べていたら3本あることに気づいた。
確か狐の尻尾が増える時ってその存在が強力な力を手に入れたときじゃなかったかな?
妖狐の伝説でそんなことが書かれていたような気がする。
……100年経つと増える、だったかもしれないけど。
肝心の本人は尻尾が増えた事に違和感などはないようで、普段通りだ。
「ルー君、尻尾……増えてるけど、大丈夫?」
「きゅ? きゅぃ!」
どうやら問題ないみたい。
大蛇に向かっていく時のルー君との繋がりは今も感じ続けている。そのおかげなのかルー君の気持ちが今まで以上にはっきりとわかるようになった。
……さすがに言葉まではわからないけれど。
「さて……。ルー君も元気になってくれたし、コレ、だね」
「きゅ? きゅ! きゅぃ!」
「うん、『使い魔の卵』だよ。ルー君の友達が増えるかもしれないね!」
「きゅーい!」
ルー君もとても嬉しそうだ。
『使い魔の卵』を見て驚いて私と卵を交互に見比べるルー君はとても可愛らしい。まるで弟か妹が出来た子供の様。
「えっと、私の『使い魔使役』はまだLv1だから使い魔は1匹しか使役できないみたい。
だけど『使い魔使役』がLv2になれば2匹使役できるみたいだよ」
「きゅー!」
『使い魔の卵』に触れるまでは『使い魔使役Lv2』の効果はわからなかったけれど、ルー君が起きるまで暇だったのでなんとなく『使い魔の卵』に触った時に知識として流れ込んできた。
不思議だけど、もう今更だ。今の状況の方がよっぽど不思議なんだからこんなことでいちいち驚いてられない。
ルー君も私の『使い魔使役』をLv2にすることには大賛成みたいなのでさっそくカタログを開く。
現在の魔力総量はなんと3761。
あの大蛇は大体3500くらいの魔力になったようだ。すごい量……。
『使い魔使役Lv2』の『必要魔力』は400なので取得に問題はない。なので迷うことなく取得。
さっそく儀式の開始だ。
「あなたの名前は『ロウ』。さぁ君の姿を見せて」
「きゅー!」
『使い魔の卵』を宝箱から取り出し、名前を与える。
儀式はこれで終了。あとは誕生を待つだけ。
ルー君の楽しそうな鳴き声を聞いて卵に皹が入り、どんどん皹は大きくなってルー君の時と同じようにその姿が少しずつ見えてきた。
「……ホォ」
「きゅい!」
「梟だ……可愛い!」
私達の新しい仲間は小さな手乗りサイズの梟君。
彼は卵から飛び立つとすぐに私の肩の上に降り立ち、頬を擦り付けるようにして気持ちよさそうな声をあげてくれた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
私は――。
このダンジョンに突然攫われて来て、恐怖と絶望に押しつぶされそうになった。
でも私は1人から、私とルー君の2人になった。
ルー君の力を借りて、ううん、情けないけど頼りまくって、そしてあの大蛇を打ち破って……。
私とルー君とロウ君の3人になった。
今目の前には次の階への階段がある。
きっと次の階はこの階以上の困難な場所なんだろう。
でも私は挫けない。
ルー君とロウ君と、とても情けない私だけど頑張って前に進む。
きっと脱出してみせる。
1人なら無理でも……私には頼もしい王子様達が居るんだから。
第1階層編 完!
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