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伯爵家のメイド 6


その男は開け放された窓に身体を寄りかからせて、立っていた。


月明かりだけに照らされた、灯りのない部屋の中、黒いシルエットがぼんやりと浮かび上がっている。


風に乗ってかすかに血の匂いがする。男は左腕から血を流していた。

思わず上げようとした叫び声が、喉の奥で凍りつく。


文句なしの美丈夫だ。黒髪に黒い瞳。月に照らされた黒い瞳が底光りして私を射抜く。

ケガをした左腕をかばうように、がっしりした長身の身体を少し屈めている。


「追われてる。少しかくまってくれ」

低く、なめらかな声だ。

命令するのに慣れている声音。卑しい盗人では断じてない。


(見るからに面倒事!絶対に関わるべきじゃないわ!!)

メイド歴13年の勘が、厳重警戒警報を鳴らしている。


固まっている私を見て、男は言葉を続けた。

「俺は怪しいものではない。…そうだな、言うなれば“現伯爵の敵”だ」

「……」

(怪しいものではない、って言葉を鵜呑みにする馬鹿がどこにいるっていうの)


でも。

ガマガエル親子とこの男を並べて見たとき、明らかに悪党はガマガエルの方だ。


顔で判断するのはある意味安易だが、メイドをしてきて人を見る目はある、と自負している。美醜は関係なく、人はやってきた行いがそのまま顔に出るものだ。


ガマガエル親子のたるみきった顔と濁った目とくらべると、目の前の男の目はまっすぐで綺麗だ。




「!」

犬の吠え声が近くなる。


この棟が急に騒がしくなり、下の階の部屋のドアを乱暴に開けている音が聞こえた。

男を追って、屋敷の男たちが捜索しているのだ。


「上、脱いで!」

ためらわず男に飛びついてベッドの傍に引き寄せた。


いきなりの私の行動に躊躇した男に構わず、上着の釦に手をかけてシャツを脱がせる。

頑丈な筋肉に覆われた引き締まった身体があらわれた。


「横になって!」

上半身裸になった男をベッドに押し倒し、両手を編み籠の中の毛糸でぐるぐる縛り、ベッドの支柱にくくりつける。


「おい」

「なんとかするから。信じて!」

さらに私のスカーフで男に目隠しをして、月明かりを遮るためにカーテンを閉め、アロマキャンドルに火をつけて片手に持った。


「っ!!」

血の滴る男の左腕の傷口に唇をつけ、その唇で裸の胸にひとつ、ふたつ、唇の痕をつける。

傷口に触れられたときはさすがにびくっと身体を波立たせたが、あとは声もたてず私のされるがままになっている。


急いで結い上げた髪をほどき、寝巻きのすそをたくし上げ、男の腰に馬乗りになったちょうどそのときに部屋のドアがあいた。


「不審者はいないか!」

ランタンと手斧をもち、勢いこんでドアを開けたのは馬丁のアレックだ。


彼が見たものは、ベッドにくくりつけられた裸の男と、それに馬乗りになっている女の姿。部屋が暗いうえに、顔の半分を覆う目隠しで、男の顔はわからないはずだ。


裸の胸には、真っ赤な血のキスマーク。

女は寝巻きのすそを太ももまでまくり上げて男の腰に馬乗りになり、片手にもったロウソクは、今にも男の肌にロウをたらさんばかり。



アレックはあまりの異様な光景に息をのんで声もだせないようだ。

私はいかにも気だるげに見えるよう、ベッドからおり、アレックに近づいた。

長く豊かな金髪を顔のまわりに乱れまとわせて唇に血をつけた私の姿が、できるだけ妖艶にみえるよう意識して微笑んだ。


「私だってたまには遊びたくなるのよ」

「エ、エレインさん…」

アレックは、いつもは堅苦しい私の、あまりのギャップに固まっている。


不審者を追う険しい顔から、すっかりうろたえた18歳の少年の顔に戻っている。


「おかしいことではないでしょう?あなただってモリーのところに忍んでるんだから」

痛いところをつかれ、アレックは気まずい顔をした。

アレックは少し離れた馬小屋の上に住んでいるから、夜に逢引したければモリーの部屋に忍び込まなければならない。


ヴァルターのお手つきの女に手を出したとばれては、クビはまぬがれない。


「彼、突然私に会いに来て、犬に襲われてしまったの。だからこれは、オイタしたお仕置き」

アレックは固まったまま、私の血のついた唇を凝視した。

きっと彼の頭の中ではあらぬ想像が渦巻いていることだろう。


「ちょうどよかった。アレック、犬のこない抜け道知ってるでしょ。教えてくれない?彼が帰るときにまた犬に襲われると、忍び込んで来たことがばれてしまうわ」

“お互いさまでしょ”という無言の圧力を眼に込めて囁くと、アレックは熱にうかされたようにしどろもどろと教えてくれた。

私のことがばれると、芋づる式に自分のこともばれてしまうと思ったからかもしれない。


「に、庭の東がわにバラの茂みが密集しているところがあって…そこの細い道が見つからずに通れるんです」

「そう。ありがとう」

にっこりと笑うと、恐れを含んだような目でこくこくと何度もうなづく。

普段の、無愛想で鉄面皮な年増メイドの変わりように、よほど驚いたようだ。


「騒がせてしまったけれど、犬の吠え様は不審者ではないわ。

悪いけど、旦那様には上手いこと言ってごまかしておいてくれない?

犬だって本来は母屋の警備のために放しているんでしょう。はやくそちらに戻したほうがいいわ」

「わ、わかりました」

アレックはぼうっとしたまま、素直にうなずく。


そのまま帰るかと思ったら、もの思わしげに隣の部屋に目をやった。

隣はモリーの部屋だ。

「…今夜はモリーは部屋にはいないわ」

今夜ヴァルターの相手はモリーだ。

遠まわしに言ったつもりだったが、アレックには伝わったようだ。

辛そうな声でで搾り出すように言った。

「…知ってます。今夜は会えないって言われたから」

(この子モリーに本気なんだ)

切ない表情でドアを閉めるアレックの顔を黙って眺めた。





「やるな」

急いで目隠しと手の拘束をとる私を面白そうに眺め、男はニヤリと笑った。

思わずギンッと睨み付ける。

(この疫病神!)

「さっきの話、聞いてたでしょ。さっきはうまく誤魔化せたけど、変に思ってまた見に来るかもしれない。

犬も母屋のほうに行ったから、抜け道とおって早くここから出て行って!」


これ以上厄介ごとに関わりあうのは真っ平だ。

さっさと私の部屋から出て行ってほしい。


火酒を口に含み傷口に吹き付けて消毒をして、スカーフを巻きつける。

苛立ちにまかせ多少きつく縛ったが、顔色ひとつ変えないのが面白くない。


焦る気持ちのまま、麻の袋をひっつかみ手荷物を作る。

消毒するために火酒、マーサさんからもらっていたパンとチーズ、傷に効きそうな薬草…。

必要と思われるものを手当たり次第に入れ、男に押し付けた。


「森の手前に小屋があるわ。人が入らないからそこで夜を越すといい。でも夜が明ける前には敷地内から出て!」

早口で告げて、男を窓辺に押しやった。


内心、早く出て行けー早く出て行けーと唱えている私を男はじっと見つめ、ふいに耳元に顔を近づけて囁いた。


「感謝する。…痺れたぜ、あのキスには」

「二度と顔を見せるなっ!」


くくっと笑って、男は窓から夜の闇の中に消えた。


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