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四葉のクローバー 9

コツン。

男爵が出て行って、しばらくした後、窓に小石があたる音がした。

急いでベッドを降り、くじいた足をひきずりながら窓を開けると、そこには―――ラルフ殿下の姿。


ユーグが出て行ってから一時間もたっていない。

するとユーグはメイフェア亭に着く前に、ラルフ殿下と行き会うことができたのだ。


部屋に私以外いないのを見て、軽々と窓から部屋の中に入ってきた。

「無事か?」

すぐに傍に来て、真剣な顔で見つめられる。


(ラルフ殿下―――!)


顔を見たら急にこみ上げてくるものがあり、縛られた両手のまま、ぶつかるように殿下の胸に飛び込んだ。

慣れた殿下の香りにほっと息をつく。


(安心する…この香り)

私から抱きついたのは初めてのことで、驚いたのだろう。

ラルフ殿下は一瞬動きを止めたが、すぐに柔らかく肩を抱き、ポンポンッとやさしくあやすように撫でてくれた。

破かれた胸元をなんとか元に戻そうとしてはいたものの、なかなか上手くいかなかった。キワドイところは隠したものの、赤い斑点はばっちり殿下の目に映っている。

一見すると、「何かあった」と思わずにはいられない姿だが、ラルフ殿下は何も聞いてこない。

たとえ私が汚されていたとしても、きっと何も言わず受け入れてくれるだろう。

そんな確信があった。


高ぶる気持ちが落ち着いたところで、私は殿下から少し体を離し、目をまっすぐ見つめて「無事です」とはっきりと言った。

ラルフ殿下はじっと私の目を見つめ、ややあって、深く息をついた。

私の頭をかるく引き寄せ、額と額をこつりと合わせて小さく囁く。

「あまり心配させるな」

「…はい。申し訳ありません」

あたたかい殿下のぬくもりに溺れないよう、私は殿下の体から一歩離れ、気持ちを切り替えるように言った。


「ラルフ殿下。ユーグからお聞きと思いますが、さらわれた女の子たちは明日の早朝、船に乗せられて港から出航するそうです。私の方はもういいですから、そちらに向かって下さい」

「お前をここに置いて行けないだろう。そっちのほうはユーグが自警団の連中に知らせているはずだ」

殿下は着ていた外套を私に着せかけた。

「私はもう大丈夫です。ラルフ殿下は港に向かってください。途中、街の警吏に売春宿の取締りを命じて下されば、私の方はなんとかなります」

この売春宿は確実に法にひっかかっている。取締りの対象になるだろう。

「あ、そうそう。階下で宿の女や客の男たちが素っ裸でお湯をかぶっているかもしれませんが、気にしなくていいと警吏の方に伝えてくださいね」

殿下は一瞬、不思議そうな顔をしたものの、すぐにニヤッと笑った。

「お前の仕業か?」

「…さあ?」ととぼける。あまりみっともいい話ではないし、何よりそんな話をしている暇はない。

「わかった。とりあえず下の連中は俺がひっくくっておく。警吏にお前のことを話しておくから、メイフェア亭まで送ってもらえ。多少ドタバタするから、お前は巻き込まれないように隠れてろよ」

「はい」

そう言うと、腰の剣を片手に部屋の扉を蹴り破って飛び出して行った。

すぐに響き渡る、女たちの悲鳴と男たちの怒号とすさまじい物音。

(…あとは警吏にまかせればいいのに一人で突っ込んじゃうんだから。これだからユーグがヘンに真似したがるんじゃないの…)

大きく溜息をついた。



ラルフ殿下が飛び出して行って、半刻もたたないうちに警吏がやってきた。

殿下が話を通してくれていたのだろう、私はすぐに保護され、若い警吏の一人から「馬車でお送りします」と言ってくれた。

彼に伴われて階段を下りると、すでにラルフ殿下によって縛り上げられていた男女が、警吏たちによって連行されていくのが見える。

列になって歩かされている女たちの中に、マーシャの姿が見える。

ばちり、と目が合った。

「!!」

丁重に保護されている私の姿に、この取締りに私も関わっていると勘付いたのだろう、マーシャは憎悪をむき出しにして叫んだ。

「なんで!!なんであんたばっかり、いつもそうやって上から見下ろしてるんだ!あたしとあんた、何が違うんだ!!同じメイドだったのに!!」

拘束をかえりみず、我を忘れたように私に飛び掛ってこようとするのを警吏たちが止める。

更に意味不明な言葉をわめきちらしながら、あっという間に外へ連れ出されていった。


(どこで道を違えてしまったんだろう)

私とマーシャ。あのころ同じ場所にいて、今はまったく違う道を歩いている。


あのころの王宮メイドの存在は、確かに都合のいいどうでもいいような存在だった。

でも、陛下とラルフ殿下により一度刷新されて、新しい勤め方、生き方を選ぶ機会をそれぞれに与えられたのだ。

それでも、また同じように男の下心につけいって、あげく捨てられて…。

彼女がこういう道に辿り着いたのは、結局彼女が自分で選んだ道だ。


私は私で、選択肢を選び取りながらなんとかここまできたのだ。



“一介のメイドにすぎないあたしでも、きっと誰に恥じることのない立派な王子に育ててみせるってね―――”

メイフェアさんの晴れ晴れした顔が脳裏に閃いた。

何の後ろ盾のないメイドでありながら、確固たる意思で、ラルフ殿下を育て上げたメイフェアさん。


(私、私はどうなの?)


深く自分に問いかける。


(メイドはメイド。私はそう言って最初から諦めていない?)


たくさんのことを。

そして、たった一つの気持ちを。


(今目の前にある選択肢、私は何を選び取る?)




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