四葉のクローバー 5
(さ、さすがに疲れた…)
ようやく片付けを終え、灯りを落とした食堂のカウンター席にへなへなと座り込む。
あれから夕方近くまで、二階で女の子たちと花束づくりをし、それから夕食時の食堂を手伝った。
祭りの前夜、ということもあり、客たちは大いに盛り上がり、なかなか帰ろうとしなかった。
「お疲れ様、エレイン。よく働いてくれたね」
「メイフェアさん…」
カウンターの向こう側には、火酒のビンとグラスを二つを持ったメイフェアさんの姿。
ビンをくいっと持ち上げて、にっこりと笑う。
「いけるクチなんだろ?二人で一杯やろう」
「王子を産んだ女が、こんな平凡な女でビックリしただろうね」
メイフェアさんがグラスを片手に明るく聞いてくる。
「いえ、そんな…」
「いいんだよ!みんなビックリするんだ。何より一番驚いてるのがこのあたしなんだから」
と、ケラケラと屈託なく笑った。
「陛下とあたしの間には―――あ、陛下って前の陛下のことだけど―――何の気持ちの通い合いもなかったよ。あの晩、陛下はひどく酔っておいでで、その場にたまたまいたメイドに手をつけた、ただそれだけのことだった。一晩の一回だけ。それでラルフを身籠ったんだ」
メイフェアさんは、少し目を細め、遠くを見つめるように語りだした。
過去、どれだけの苦労があったのだろう。
すべての辛苦を洗い流したような、今のメイフェアさんの穏やかな表情から、それをうかがい知ることはできない。
「子どもができたとわかってからも、陛下からは何の反応もなかったよ。ただ、同僚メイドのやっかみがひどくてね。メイドをやめて王宮を出ることにしたんだ」
生まれ育った街に帰ったものの、家族はすでになく、隣近所の人々に助けられながら女手ひとつで子どもを産み育てたという。
「それからこの食堂をはじめてね~!色々大変なこともあったけど、ありがたいことに何とかここまでやってこれた。ラルフも無事に育て上げることができたしね」
「…ラルフ殿下が王宮に上がる時、王宮で一緒に暮らすおつもりはなかったんですか?」
メイフェアさんは可笑しそうに顔の前で手をブンブン振った。
「ない、ない!王宮でのんびり暮らすなんてあたしの柄じゃないよ!あたしの居場所はずっとこの店さ」
と言って、愛おしそうに店内を見渡す。
その表情から、どんなに彼女がこの店やこの街を大事に思っているのかがわかった。
メイフェアさんは、杯をかたむけ、低い声でこう言った。
「…でも、ラルフの居場所はここじゃあない。あの子はいつか王宮にお返しする子だ、そう思ってずっと育ててきたんだ」
「え?」
「レイモンドさまが―――今の陛下のレイモンドさまがね、ラルフが幼い頃、よく城下に会いに来てくださったんだよ」
「ラルフ殿下にお聞きしたことがあります。一緒に遊んでくださったり、勉強を教えてくださったって」
私の言葉に、メイフェアさんは頷いた。
「…あの方も寂しかったんだよ。母上様は早くに亡くなられたし、王宮には心を許せる人間がいなくてさ。だから度々、うちに来られては、本当にうれしそうにラルフと接するんだ。ラルフもよくなついてね。その姿を見て思ったんだ、いつかラルフを王宮に、レイモンドさまの下にお返ししようって。そのつもりで育ててきたんだよ」
「でも、それじゃあ…」
二人きりの親子としては、切ないあり方なんじゃないだろうか。
母親にとっても、子どもにとっても…。
私が飲み込んだ言葉を汲み取ったかのように、メイフェアさんが苦笑した。
「もちろん、それはあたしの勝手な決意だったさ。だからラルフが成人した時、自分で選ばせたんだ。このまま城下で暮らすか、王宮に上がってレイモンドさまをお助けするかってね。ラルフは城下の暮しによく馴染んでいたから、大分迷っていたようだけど、結局王宮に行くことに決めたんだ」
「そうだったんですか…」
メイフェアさんの瞳がキラリと光る。
「あたしは、はっきり言って、陛下のことは何とも思っちゃいなかった。もちろん愛情なんてない。でもこの身に王族の胤を宿したことに、何か使命的なものを感じたんだ。この子は、あたし一人ででも、王子として育ててみせるって思ったんだよ。一介のメイドにすぎないあたしでも、きっと誰に恥じることのない立派な王子に育ててみせるってね」
力強く、そして、すっきりとした顔だ。
その横顔は、決意を秘めた時のラルフ殿下の顔とまるでおんなじだった―――。
“メイドはメイド。それ以上でもそれ以下でもないんです”
舞踏会の夜にラルフ殿下に向かって言った言葉を思い出す。
メイドはメイドにしかなり得ない。ずっとそう思ってきた。
王宮メイドで、城の男に手をつけられて子どもを産み、働きに働いて亡くなった母。
私は、母親と同じ轍を踏まぬよう、男の誘いには乗らず仕事一辺倒で生きてきた。
一人で働いて、一人で稼いで、いずれ小さな家をもってささやかに一人で暮らすのが夢だった。
仕事は稼ぐ手段であり、誇りややりがいはあっても、“楽しい”と感じたことはなかった。
それが、いつからだろう。メイドの仕事が楽しいと思いはじめたのは。
(ラルフ殿下と出会ってからだわ)
傍にいることが、話をすることが、あれこれ心配をかけられることが、こんなにも楽しい。
あの人のことが、もう私のかけがえのない大切な人になっていることは随分前から自分でも気づいていた。
メイドはメイド、王弟殿下と結ばれていいはずはない、とずっと気持ちにブレーキをかけつづけてきた。
だからこそ、まぶしい。
たかがメイドと卑屈にならないで、自分とラルフ殿下の可能性を信じてここまでやってきた彼女が。
(私は、信じることができる?ラルフ殿下を。そして、自分の可能性を)




