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四葉のクローバー 3

「人攫い?」

ラルフ殿下の鋭い声が聞こえる。

「ああ」とスヴェンさんが話し出した。

「最近、近隣の町や村で若い娘が攫われるという事件が何件も起きている。攫われた子はすでに十数人に及んでいるんだ。この街ではまだ被害はないが、祭りの騒ぎに乗じて娘たちが狙われるという可能性も考えられる。自警団で見回りを強化して、祭りの当日も目を光らせて警戒しなきゃならないな」

別の男が口を出した。

「どうも組織的な感じがするよ。攫われた現場にはほとんど痕跡を残していないんだ。素人だったらこうはいかないぜ」

ラルフ殿下は眉根を寄せて「ふむ」と腕を組んだ。

「そういえば、隣国で荒稼ぎをしていた人身売買組織がこの国にも手を伸ばしてきてるという噂があるな…」


(せっかくのお祭りなのに、なんてこと…)

私は、自警団の人たちに飲み物と軽食を配って歩きながら、話に耳を傾けていた。

飲み物は、ジョッキに並々と注がれたお酒だ。

昼間っから、と思わないでもないが、メイフェアさんによると祭りの時期は無礼講だそうで、現に男たちは顔色を全くかえずにジョッキを傾けている。


その中でただ一人の未成年の男の子に、果汁のグラスを目の前にそっと置いた。

「はい。あなたは果汁ね」

他意があって言ったことではないが、その子にギロリと睨まれた。

「なんだよ!ガキだからって馬鹿にしてんのか!」

敵意丸出しの言葉の鋭さにびっくりしていると、向かいに座っていたスヴェンさんが彼を小声でたしなめる。

「ユーグ、落ち着けよ。エレインさんはそんなつもりで言ったんじゃない」

ユーグという少年はフンッと鼻息荒く横を向く。

「…ラルフ兄に仕えてるからって、調子に乗んなよ。メイドなんてただの雑用係じゃないか」

(なるほど、この子がラルフ殿下に憧れてるユーグか)

15,6歳くらいだろう。

体格のいい団員たちに囲まれていると埋もれてしまうくらい、華奢で小柄な少年だ。

顔立ちも女の子みたいに可愛い。ただ目が小生意気にギラギラと輝き、吊りあがっている。

大方、ラルフ殿下の傍近くに仕えている私が気に食わないのだろう。

スヴェンさんがなおもたしなめようとするのを、やんわりと止める。

議論が白熱しているので、テーブルの端のこのやりとりはまだ気づかれていない。

(騒ぎが大きくなってラルフ殿下に見咎められるのは、この子にとって本意ではないだろう)

私はつとめて穏やかな声で言った。

「そうね。あなたの言うとおり、メイドはただの雑用係よ」

私が言い返してこなかったのが面白くなかったのか、ユーグはフン!とつまらなそうにそっぽを向いてしまった。

(やれやれ…)



一刻ほど過ぎ、祭りの警備について大方の話し合いが済んだ頃、閉めていた食堂の扉をコンコンと律儀にノックする音が聞こえた。

現われたのは、オーディンさん。

「フォフォフォ。恐れ入ります。ラルフ殿下はおいでですかな」

いつも通りの穏やかな笑顔。だが、ここにオーディンさんが現われたこと自体、異常事態だ。

ラルフ殿下は何も言わずにスッと席から立ち上がり、足早にオーディンさんの方へ向かう。

オーディンさんは殿下の耳元で何事か囁いた。殿下は黙って頷いている。

食堂に緊迫した空気が流れる。


「エレイン」

不意に顔を上げたラルフ殿下の目にまっすぐ射抜かれる。

「はい」

「少しの間留守にする。後のことはお前に頼んだ」

「かしこまりました」

すっと静かに一礼する。

急を要する事件が起ったのだ。

こうして飛び出していく時、殿下はいつも行き先も理由も何も言わない。

私も何も言わずに送り出す。

(ただ信じるだけだ。殿下のご無事を)


「悪いな、祭りに一緒に行こうと約束したのに。祭りの当日には何とかお前の元に帰ってこられるよう、早めに片つけてくるからな」

みんなの前でそういう言動はやめてほしい…。

こめかみを押さえつつ、返答する。

「私の方からは何も約束しておりません。そのような些事にかまけてないで、しっかりお勤めを果たしてきて下さいませ。そういうことばっかり考えていると、足元をすくわれますよ!」

殿下は「あいかわらずつれない女だ」と唇を上げてニヤッと笑い、みんなを見回して、「そういうわけだ。すまないが、ちょっと行ってくる。エレインに手を出すなよ!」と言って、オーディンさんを伴って出て行った。

(よ、余計なことを…)

恐る恐る自警団の面々の方を振り向くと、大部分の冷やかすような視線と、怒りと嫉妬に全身を震わせているユーグの姿。

(あ~あ…)

前途多難だ…。




「ここにいる間は、この部屋を使っておくれ」

メイフェアさんに案内されたのは二階の一室。

大きめのベッドの他には何もないガランとした部屋だ。

「ラルフがずっと使ってた部屋なんだ。王宮に上がって以来一度もここは使ってないから、キレイなもんだよ」

「一度も、ですか」

意外だ。

王宮で生活しながらも、ラルフ殿下はちょくちょく城下の母君の様子を見に行っている。

「顔を見せには来るけどね。部屋に上がりこんだことはないよ。この家を出て行く時も、自分の荷物は全て処分して、身一つで王宮に行ったんだ。あの子なりの決別だったのかもしれないね」


私は改めて部屋の中を見渡した。

何も残っていない部屋。

壁に細かい傷がついていたり木の床が黒光りしていたりして、長年使っていた形跡があるが、キレイに掃除して清められている。

(これは…落書きの痕?)

壁のインク痕に、そっと指で触れる。

黒いインクで描かれた、小さな子どもが描くような他愛のない絵。キレイに拭き消そうとしたようだが、薄ぼんやりとインクが壁に残っている。

整頓が苦手で、私がいくら言っても執務室や居室に物を散らかすラルフ殿下。

その殿下が、小さな落書きも見逃さないほど、徹底的に自室を清めていた。

(思い出も何もかも、王宮に持ち込まない覚悟だったのかしら…)

ラルフ殿下の固い決意が伝わってくるような気がして、壁に触れた指がじん、としびれた。




「祭りの日までラルフが戻ってこれたら、遠慮せずにこの部屋を二人で使っておくれ。いくらあの子だって、好きな娘と一緒だったらここに泊まるだろう」

いきなりメイフェアさんがとんでもないことを言う。

「なっ!とんでもないことです!それに、殿下と私は何でもありません!」

メイフェアさんはカラカラと笑って、私の背中をバンバン叩いた。

「さっきのやりとりを見りゃあ、あんたたちの関係はだいたいわかるよ。一応あの子の母親だからね。あの子の気持ちなんて丸わかりさ。それにエレイン、あんたの気持ちもわかる。あたしもメイドだったからね」

「…」

「メイドの立場を考えると、迷う気持ちもわかる。でも一度、身分とか立場とか全部取り払って、あの子自身を見てやってくれないか?母親のあたしが言うのも変だけど、ラルフはなかなかいい男だよ」

「メイフェアさん…」

言葉が続かない私に、メイフェアさんはニッと笑い、「夕食時も手伝ってもらうよ!少し休んだら、下に降りて来ておくれ!」と言って階段を下りていった。

(あの笑い方、ラルフ殿下とそっくり…)

ふっと、思わず笑いがもれた。



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