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恋は思案のほか 11

「みんなのお陰で首飾りを無事に取り戻すことができたわ。ありがとう」

舞踏会から数日後。

王妃さまが今回の件に関わったメイドを居室に招いて、手ずからお茶を振舞って下さった。

ジーナを含めた王妃さま付のメイド数人と、私が招かれた。


「事があきらかにならずに、フォレスト家に累が及ぶことはなかったのが幸いだったけど…」

ティーカップにお茶を注ぎながら、王妃さまが憂いに満ちた声を出す。

「リリーさまの胸の内を思うとねぇ…」

「自業自得ですわよ!自分からろくでもない男にひっかかって、周りの忠告にも耳を貸さなかった方なんですから!」

ジーナがいきりたつ。

王妃さまはそれを聞いて、少し考え込み、「そうね」と小さく言った。

しかしすぐに顔をあげ、メイドたちを見渡す。

「でもね。首飾りの件はいけないことだし、とんでもない殿方を相手にしてしまったけれど、リリーさまが恋をされたこと自体は良いことだったと思うわ」

と言って、にっこりと笑う。

「…相手がランバート子爵のような殿方でも、ですか?」

ジーナが訝しげに聞いた。

「リリーさまは今までずっと信仰一筋で生きてこられたわ。もちろんそれはそれで構わないんだけど…。恋のひとつも知らないで修道院に入られるのかと思うと、何というか、女としてもったいないような気がしていたのよ。相手がどんなひどい人でも関係ないわ。恋をしたこと。それが大事なのよ」

恋愛至上主義の王妃さまならではの意見だ。

「どんな辛い恋でも、報われない恋でも、しないほうが良かったなんてことはないの。恋をすると、相手のことはもちろん、自分のことも深く考えるようになるでしょう。それこそ、それまで考えもしなかったことを。今までの自分のあり方とか、これからの自分のあり方とかね。恋をすると、否応なく世界が変わるわ。変化することを怖れてちゃだめなのよ」

「…」

「リリーさまは変わったわ。良くも悪くも以前のリリーさまに戻ることはできない。でも、『愛したことを、後悔はしていない』と手紙でおっしゃっていた。それがすべてで、それでいいんじゃないかと思うのよ」


舞踏会の後、リリーさまから王妃さまへ、罪の告白と懺悔の長い長い手紙が届いたらしい。

拝謁してお顔を合わせることはとてもできない、と―――。


王妃さまの声がいつもの楽しげな調子に戻る。

「あなたたちも、恋をしなきゃだめよ!ここにいるみんなは、長く勤めてくれてる優秀な人たちばかりだけど、仕事があなたがたのしがらみにならないようにね。運命の相手に出会ったとき、すぐにその人の胸に飛び込んでいけるよう、いつでも心は身軽でいなきゃいけないわ!」

「はぁ…」

メイドたちと顔を見合わせる。

(いつもの調子に戻られたわ…)

リリーさまを心配される憂い顔から、いつもの陽気な王妃さまに戻られたのはいいことだが、得意の恋愛論に突入されると話が長くなる。


「ねえ、エレイン?」

「は、はいっ!?」

いきなり名前を呼ばれ、びくっとなる。

王妃さまは扇で口もとを隠しながら、意味ありげな視線を私に向け、ふふっと笑いかける。

「そういえば、この前の舞踏会でラルフ殿下がお連れになったご婦人、どなたかわかる?いくら殿下にお聞きしても、のらりくらりとはぐらかされてしまうのよね」

「…い、いえ、私にもさっぱり…」

なんとか声を絞り出す。王妃さまは「そうお?」と言って、ジーナに向き、

「ジーナ、あなたは舞踏会の日、休みをとったわよね?エレインも見かけなかったし…。あの夜、二人で一体何をしてたのかしらね?」

「!!」

ジーナが急いで言い訳を言おうとするのを、王妃さまは扇を一振りして止め、歌うように言った。

「謎のレディの出現…。これから面白くなりそうね~♪」

「…」

隣に座るジーナの肘を、王妃さまから見えないように小突きながら、小声で話しかける。

(これって…バレてるの!?バレてないのっ!?)

(わ、私にもわかんないわよっ…!)

ジーナと私が盛大に冷や汗をかいている中、王妃さまはさらにうきうきと言った。

「しばらく、ラルフ殿下の身辺から目が離せないわねっ」

「…!!」

その後、出されたお茶とお菓子の味がまったくわからなかったのは、言うまでもない…。




「ランバード子爵が外国へ留学!?」

私の驚いた顔を見て、ラルフ殿下はしてやったりという顔でニヤリと笑った。

「表向きにはな。実際のところは国外追放だ。生きているうちは二度とこの国の土を踏めないぞ。家督も親戚筋に譲った」

開いた口が塞がらない。ランバード子爵はお咎めなし、とこの前聞いたばかりだ。

「ど、どんな手をお使いになったのですか…?」

「とにかく女癖の悪い男だったからな。リリー嬢の他にも被害にあった女性は大勢いた。だが、女性側はとにかく外聞を憚って、事が表沙汰にならないんだな。だからと言ってほおっておいては犠牲者が増えるばかりだ。だからオーディンに、あの男が他に何かやらかしていないか調べてもらった」

「あ!」

だからオーディンさんはこのところ書庫に詰めきりだったのか。

「調べてみたら出るわ出るわ。領民から過剰に税をとっているわ、納税をごまかすわ…。いずれも法の目をギリギリにごまかしてちょろまかす、セコいやり方だったけどな。この中で一番デカくて決定的だったのは、売春組織と関わりあいがあったことだ。証拠を全て揃えて目の前に突きつけてやったら、さすがに言い逃れできなかったぞ。刑罰に問うことはできなかったが、今回のことで親戚中から見限られて外国に追いやられることになった。これから実家の庇護を受けることなく、見知らぬ土地で生きていかなければならないんだ。ああいう男にとっちゃ、生き地獄だろうさ」

「そう…なんですか」

思わぬ話に大きく息を吐く。

あの男に罰が与えられたのは正当なことだとは思うが、これでリリーさまの苦しみがやわらぐことはないだろう。


「リリー嬢は」

ラルフ殿下は神妙な顔で言葉を切った。

「…リリー嬢は、修道院に入る時期を早めたそうだ。本来なら半年後の18歳の誕生日が過ぎてから入る予定だったんだが。父親の大司教に頼み込んで、な。あと2,3日もしたら出発だろう」

修道院は、遠く離れた国境沿いの峻厳な山の麓にある。

何もない、厳しい季節の巡る土地だと聞く。

きらびやかな貴族の世界とはまるで違う生活が待っている。

熱心で清らかな信徒として一心に修道院に入ることを願っていた頃と違い、今のリリーさまは偽りの愛に破れ、罪を背負う身だ。

(どんな気持ちで修道院に向かわれるのだろう…)

リリーさまの罪は公に明らかにされず、今回の件でフォレスト家に悪影響が及ぶことはなかった。

しかし、現実に刑罰を科せられることがなかったぶん、リリーさまはこれから一生かけて自分自身で償っていかなければならないのだ。

(恋に狂った結果がこれ、か…)

感情のままに生きることは、何と大きな代償を払わなければならないのだろう。


(恋は、怖ろしいものだわ…)


「なあ、おい、エレイン!」

もの思いにふける私を、じれったそうにラルフ殿下が呼ぶ。

はっとして殿下のほうに向き直ると、執務机にだらしなく両肘をついている。

いつものごとく、山のような書類の山を見ながら、うんざりした声を出した。

「俺は怪我人なんだぞ。治るまでゆっくり休ませてくれよ」

これ見よがしに、包帯を巻いた右手を挙げる。私はカッとなって言った。

「何をおっしゃっているんですかっ!!殿下は両手利きでしょうっ!左手でも問題なくお仕事できるはずですっ!!」

怒りにまかせて、脇に寄せられた書類の山を殿下の目の前にずずいっと押し出す。


そうなのだ。

あの時、右手に怪我をしたのを見て、利き手に怪我を負ったと慌てふためいたが、実は殿下は左手も使える両手利きだったのだ。書類に向かう時や、剣を持つ時、いつも右手を使っているから気づかなかった。

怪我をしてから一週間ほど、殿下は「右手が不自由だと何もできん」と言って、私に着替えやら食事やら何でも手伝わせた。

食事の時など柄にもなく「はい、あ~ん」をさせられるハメになった。

怪我をしてるんだから仕方ない…としぶしぶつきっきりで世話をしていたが、ある日、ふいに殿下の部屋をのぞくと、オーディンさんから手渡された急ぎの書類に左手でサインする殿下の姿が!


「まったく!どうしてあんな嘘までついて私に世話させたんですかっ!いつもだったら“わずらわしい”とか言って、メイドの世話を受けずに一人で何でもなさるくせにっ!オーディンさんもずっと私に黙ってるなんてひどいわ!」

オーディンさんは、「はい、あ~ん」をする私と殿下を、傍らで「フォフォフォ」とにこにこ笑いながら見ていた。その陰で、隠れて緊急の仕事を殿下にさせていたとは…。


「オーディンには俺から黙っててくれと頼んだんだ。そんなに怒るな。メイドの仕事として義務的に世話を焼かれるのがイヤなんだ。エレインは、俺が怪我をすると、やさしくなるからな」

「なんですかっ、それはっ!」

ラルフ殿下はニヤッと笑って言った。ひた、と私の目を見つめる。

「エレインは、俺が怪我をしたときぐらいでないと、素直にならない」

「…」

思わず言葉に詰まってしまった私を、面白そうに眺めると、わざとらしく息を吐き、

「仕方ない、仕事をするか。エレイン、お茶を淹れてくれるか」

と、私から視線を外して書類を手に取った。

「…かしこまりました」




一人、王宮の廊下を歩く。

いつも通る渡り廊下からは、騎士団員が稽古に励んでいる姿が見えた。

毎日変わりのない、王宮の日常風景だ。


キスのことはお互い何も言わない。

あの時、唇が離れたあと、余韻で何も考えられなくなってぼうっとしている私の頭を、ポンッとやさしく叩いた。

ついすがるような目を向けてしまった私の視線をとらえ、安心させるように微笑み「今日は疲れただろう、もう休め」と言って立ち上がり、オーディンさんを追って執務室を出て行った。

それから翌日に顔を合わせた時も、その翌日も、全くいつもと変わらないやりとりだ。

私はスルリとメイドの顔になることができたし、殿下は殿下でいつもどおり私を茶化す。

表面上は、いつもと変わらない日常が戻ってきた。


(だけど、本当にそうだろうか?)


殿下がふと私に向ける視線や、ちょっとしたからかい。時折見せる大人のやさしさ。

そういうものに、いちいち心がコトリ、と動くようになった。

(以前は流せたのに…)

変わりつつあるのは、他でもない私の心だ。


“恋は思案のほか、よ!気づかないうちにはじまって、走り出したら止まらないものよ!”

“恋をすると、否応なく世界が変わるわ。変化することを怖れてちゃだめなのよ”


ジーナの声が、王妃さまの声が胸に忍び寄ってくる。

私は思わず天を仰いだ。

王宮の天井は高く、渡り廊下の柱の間から洩れて見える空はさらに高く青かった。


(何かが変わる予感がする…)

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