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恋は思案のほか 9

客用の寝室にリリーさまをなんとか寝かせ、事情を知る王妃さま付のメイドに付いていてくれるように頼んだ。

「エレイン」

寝室から出たところを呼び止められる。

廊下にラルフ殿下が壁にもたれて待っていた。

「男のほうはとりあえず捕まえて俺の執務室に連れて行った。オーディンに見張らせてる。リリー嬢の様子はどうだ?」

並んでラルフ殿下の執務室に向かいながら話をする。

「錯乱状態でしたが、なんとか寝かしつけました。…これがおそらく本物の首飾りです」

さっき拾っておいた首飾りをラルフ殿下に手渡す。

リリーさまは、私が首飾りを拾ってももはや目も向けず、何の関心も示さなかった。

「これはあらためてグリフィス兄上に鑑定を依頼するか」

「…リリーさまは、これからどうなります?」

ラルフ殿下が難しい顔になった。

「今回ギリギリで罪が公になるのを防いだがな。とにかく今後のために話が外に漏れないようにしなきゃならん。協力してくれた義姉上付のメイドは口が堅い者たちばかりだから大丈夫だが…。問題はランバード子爵だ」

「あの方、何かお咎めはあるんですか?」

「いや。首飾りの盗難に直接関わったわけではないからな。本人も知らぬ存ぜぬの一点張りだ」

「お咎めなし、ですか…」

一人の女性の人生を狂わせた男が、これからものうのうと暮らしていくのか。

(…納得いかないわ)

正気を失いかけたリリーさまを思うと、あまりの理不尽さに腹が立つ。

「リリー嬢が首飾りを盗んだことを知ってるのは、外部の人間ではあの男だけだ。なんとしても口止めしなければならないんだが…」

苦々しい口調で言いながら、ラルフ殿下は執務室の扉を開けた。

執務室の中には、椅子に座らせられたランバード子爵の姿と、見張るように傍に控えているオーディンさんの姿。

ランバード子爵はラルフ殿下の姿を認めると、すくっと椅子から立ち上がり、薄っぺらい笑みを浮かべた。

「ラルフ殿下!お戻りをお待ちしていましたよ。先ほど何度もご説明したように、首飾りのことなど私は何も知りません。突然見知らぬ女から言いがかりをつけられて辟易していたところです」

逃げ出した時の狼狽はすでに消え失せ、早くも自分のペースに戻っている。

「すると、ランバード子爵。君は、リリー・フォレスト嬢を全く知らないと言うのだな?」

ラルフ殿下の固い問いかけに、ランバード子爵はオーバーな身振りで答えた。

「ええ全く!見たこともない女性ですね!突然こんなことに巻き込まれて迷惑していますよ!」

(…最低!)

この軽薄な男は、この場では「知らない、関わりがない」と言い張っていても、裏に回るとペラペラとリリー嬢の醜聞を言いふらすに違いない。

「もうこれでいいでしょう。私は舞踏会に戻らせていただきますよ。何人ものご婦人方が私を待っていますからね」

と、足を踏み出したその時。

遠くから、“キャアッ”という女性の叫び声が聞こえ、間をおかず、執務室の扉が乱暴に開いた。


(リリーさま!)


そこに立っていたのは、懐剣を握り締めたリリーさまだった。

さっき寝かしつけた時に着替えさせた白い寝巻き姿に裸足の姿。

いつの間に忍び込ませたものか、女性用の懐剣を両手で握り締め、全身を小刻みに震わせながらものも言わずに立っている。

見つめているのはただ一人。ランバード子爵だけ。

ランバード子爵は驚愕に顔を強張らせ、全身を硬直させている。


「申し訳ありません、目を離したすきに…」

寝室に侍っていたメイドが息を切らして追いついた。

部屋の異様な光景を目にし、ハッと息をのむ。

私は彼女に、“扉を閉めて!”と目線で合図した。

彼女はこの場の雰囲気にのまれながらも、私の意図をすぐに汲み取り、音を立てないようそっと内側から扉を閉めた。

(外部の人間にこの場を見られるわけにはいかないわ)


一触即発の空気に、部屋の中の人間は誰一人動けない。

リリーさまは、懐剣の切っ先をランバード子爵の方に向け、じり、じり、と近づいていった。

「ダニエルさま…、わたくしと一緒に死んでください…」

正気を失った、うつろな瞳。

ランバード子爵は、部屋の壁に背を押し付け、怯えきって叫んだ。


「やめろ!!冗談じゃない!!やめてくれ!!」

「あああああっ!!」


獣のような声をあげて、リリーさまがランバード子爵に襲い掛かる。


(刺されるっ!)

…と思った瞬間、横合いからラルフ殿下が飛び出して行き、ランバード子爵の前に立ちはだかった。

一瞬怯んだリリーさまの隙を見逃さず、向けられた懐剣の刃を右手でぐっと掴んだ。


「ラルフ殿下っ!」

思わず叫び声をあげる。

刃を掴んだ右手からは、血の雫が滴った。


「もう終わりにしたほうがいい」

ラルフ殿下のその一言を潮に、リリーさまはガタガタと大きく震えはじめ、はじめて自分の怖ろしい所業に気づいた、というように、ぱっと懐剣から手を離した。

「あ…ああ…あああ…」

不明瞭な呻き声をきれぎれに呟きながら、我を失ってその場にへたり込む。

「オーディン。とりあえずここから連れ出してくれ」

ラルフ殿下は、オーディンさんに声をかけた。

オーディンさんは頷いて、扉の傍に立っていたメイドに声をかけてリリーさまを連れて行かせ、自分はショックで口もきけないランバード子爵を伴って部屋から出て行った。


ラルフ殿下はそれを見届けると、

「とりあえず一件落着だな」

と言って、事もなげに、握っていた懐剣から手を離した。

カランッと思いのほか軽い音がして懐剣が床に落ち、それと同時にラルフ殿下の右の手のひらからボタボタと血が流れ出す。


(―――もうっ!何が一件落着よ―――!)

ラルフ殿下の血を目にした途端、私の頭の中も真っ赤に染まった。






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