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恋は思案のほか 6

「おい。リリー嬢が出てきたぞ」

すぐ傍らにいたラルフ殿下から声をかけられる。

いつのまにかぼうっとしていた自分を内心叱咤し、意識をラルフ殿下の指す方へ向けた。

広間の中央あたりに、うら若い令嬢方の一団がいる。

皆、同じデザインのドレスを着ている。仮面も皆同じデザイン。

そして胸元には真珠の首飾り。違うのはドレスの色だけだ。

「…首飾りはいくつ用意したのですか?」

「12個だ。リリー嬢を含めて、義姉上の茶会にいつも来る面々に事前に配った。リリー嬢が首飾りを返す気になっているなら、今夜は本物の首飾りをつけてるはずだが」

令嬢方のかたまりを、目をこらして見る。


いた。

皆の背後に隠れるようにしている淡い藤色のドレスの女性がリリーさまだ。

首飾りはちゃんとつけているようだが…。

「ここからだと本物かどうかわかりませんね」

「やはり回収してからでないと真贋鑑定はできないな」

リリーさまは、楽しそうに笑いあう他の令嬢方の会話の輪にも入らず、一心にどこかを見つめている。視線の先を追うと、そこには一人の男の姿。

「あれがランバート子爵ですか…」

ひときわ目立つ銀造りの仮面をつけた男。

3,4人の女性に囲まれて惜しみない笑顔を振りまいている。

端正な身のこなしの、いかにもなプレイボーイぶりだが、仮面からのぞく口もとには、隠し切れない酷薄さがある。

切ない視線を向けるリリーさまに気づこうともしない。

(この軽薄な姿を見て、リリーさまが思い切ってくれるといいんだけど…)



出席客がだいたい出揃ったころ、陛下と王妃さまが登場された。

陛下は王妃さまの体を気遣いゆっくり手をひいて歩いてこられる。

王妃さまは、少し膨らんだお腹をふんわりとしたドレスに包んで、満ち足りた柔らかな笑顔を振りまいていた。

ばちっ、と。

(やばい、目が合った)

咄嗟にラルフ殿下の背中に隠れる。

「どうした?」

「王妃さまが…私たちの方を見ておられます」

王妃さまは扇を口もとにあてながら、にこにこと興味津々な眼差しでこちらを見ている。

まわりを挨拶にきた貴族たちに囲まれ、また身重の体もあってか、自らこちらへやってこようとはなさらないけれど、表情は好奇心ではちきれんばかりに輝いている。

ラルフ殿下の連れている女が誰か気になってしかたないのだろう。

「まずいな…一度義姉上たちに挨拶にいかないと。お前はここにいろ。義姉上の近くに行くとバレるかもしれないからな。俺が行って適当にごまかしてくる」

「はい」

ラルフ殿下は急いで王族方のところへ行きかけたが、ふと立ち止まって振り返る。

「?どうされたのですか?」

あたりを見回し不機嫌そうな顔になって私の肩を掴む。

「俺はすぐに戻ってくるが、他の男に声をかけられてもついていくなよ」

「そんな心配は無用です」

「馬鹿を言うな。さっきから男たちがお前を見る視線が突き刺さってくる。一人にはしておけないな。…そうだ」

ラルフ殿下は長身を伸びあげて、広間の片端にいる人物に手で合図した。

人垣をすり抜けてやってきたのは…。

「アレンさま!」



アレンさまは私が以前勤めていたブローク伯爵家のご当主だ。

相変わらずやさしげな顔立ちで、お母さま譲りの銀髪をゆるくまとめた優美なお姿だ。

ラルフ殿下ににこりと笑いかける。

「お久しぶりですね。殿下。…こちらは?」

窺うように私を見つめる。

アレンさまにもわからないほど変わったのか、と気恥ずかしくなった時、アレンさまがあたりを憚るように小さな声で言った。

「…エレイン?」

「そうだ。だが今は謎のレディで、俺のパートナーだ。俺が兄上たちに挨拶に行く間、悪いが傍についててくれ」

思いっきり端折ったラルフ殿下の説明にも驚いた様子を見せず、アレンさまは「わかりました」と笑って頷いた。

そして、私の手をやさしくとる。

「ラルフ殿下がいない間、僕と踊ろうか?さっきから見ていたけど、こんな麗しいレディと一度も踊らないなんて、男の風上にもおけないね」

「だめだ」

ラルフ殿下が噛み付く。

だが、アレンさまはこたえた様子もなく、にっこりと笑って言った。

「麗しのレディと踊りたければ、殿下も踊れるようになることですね。面倒くさがって貴族としての教養をなおざりにしてるうちに、意中の女性を他の男にかっさわれてもしりませんよ」

「~~~…すぐもどる!」

ラルフ殿下は苦々しい顔になりながらも、急いで広間の中央へと向かった。


アレンさまはやさしく紳士的な方だが、実は食えない人でもあることを、伯爵家に勤めている間に知った。

ラルフ殿下とも親しい友人関係にあるらしい。

くすくす笑いながら、アレンさまが私の方へ向き直った。腰に軽く手を添えてくる。

「あの調子じゃ、本当にすぐに戻ってくるね。じゃあ、踊ろうか、レディ?」

私は慌てて言う。

「ア、アレンさま、私は踊れないんです!」

まわりを見渡すと、ゆるやかな音楽に合わせ寄り添って踊っている男女が何組かいる。

「大丈夫、教えてあげるから。僕に素直についてきて。簡単なステップからいくよ。ほら…」

(うわっ…!)

アレンさまのなめらかなリードにのせて、私の体が動きだす。

アレンさまが耳元で小さく「右、左、そうそう上手」とステップを教えてくれるが、自分で足を動かしているというより、アレンさまに自在に操られているという感じだ。

「なかなか筋がいいよ」

ステップに慣れたころ、アレンさまが言った。

私も少し余裕が出て、アレンさまの顔を見つめる。

「アレンさま…お元気そうで何よりでございます。お屋敷の皆様もお変わりないですか」

伯爵家を辞めてから一年。

時折殿下のもとを訪問されるので、まったく会えなくなったわけではないが、こうして面と向かって話をするのは久しぶりだ。

「母上も、マーサも、みんな元気だよ。母上もだいぶ体の調子が良くなって、君が残していったハーブや草花の手入れを自分でしてみたい、と言い出してる」

「まぁ、奥さまが…!それはようございました!」

アレンさまが可笑しそうに言う。

「母上が楽しそうに言ってたよ。今度エレインに会うときは、ラルフ殿下の妃としてご挨拶しなければなりませんねって」

「…」

思わず目を逸らす私を、アレンさまが覗き込む。

「エレイン?…君は、ラルフ殿下を受け入れることはできないかい?」

「…なぜ、私のまわりの人は、いえ、殿下のまわりの方々は、ラルフ殿下をお止めにならないのです?メイドと王弟殿下なんて、釣り合わないにもほどがあるでしょう?」

伯爵家の人々にしろ、ジーナにしろ、殿下を止めないどころか、むしろ応援する勢いだ。

オーディンさんも私と殿下のやりとりを笑いながら静観しているだけだし、王妃さまだってこの状況を知れば、大喜びで話を進めるに違いない。

メイドと王弟殿下なんてあり得ない。

私が一番正論を言っているはずなのに、こんな人々に囲まれているとなんだか私が間違っているみたいな感覚に陥る。


アレンさまは流れるようなリードを止めることなく言う。

「それはラルフ殿下という方を良く知っているからだよ。あの方はおとなしい貴族の令嬢で満足する方ではない。愛する女性はご自分で選ぶ方だ。

そして、みんな君という女性を良く知っている。君は自分の仕事に誇りを持っている自立した女性だ。身分など関係なく、お似合いの二人だと思うよ」

「…どうして私なのか、わかりません。特に何をしたというわけではないのに…」

アレンさまは、含みのある笑みを浮かべて、面白そうに私を見た。

「ほぼ一目ぼれだと言っていたよ。初めて君に会ったときにガツンとやられたと。どういう出会いだったのかと僕が聞いても、どうしても教えてくれないんだ。ニヤニヤしてばかりで」

「えっ!!」

思わず踊りのステップが止まる。

(は、初めて会ったときって…!)

伯爵家のメイド部屋にラルフ殿下が忍び込んできたときだ。

あのときの状況は今思い出しても顔から火が出る。

一気に顔を真っ赤にした私を見て、アレンさまがからかうように言う。

「エレイン、君は教えてくれる?」

「…ぜ、絶対に、お教えできません!何と言われようとも、無理ですっ!!」

(も~~っ!アレンさまに何てことを言うのよっ!!)

アレンさまは止まったステップをさりげなく再開し、ふいに真剣な表情になった。

「ラルフ殿下は存外素直な、まっすぐな方だよ。信頼に値する人だ」

「…知っています」

一年傍にいた。悪いところもいいところも知っている。

「じゃあ」とアレンさまは続け、私の耳元に小さい囁きを落とした。

「あとは君の心の中の問題だね」と―――。



「お前、アレンと何を話してたんだ」

ラルフ殿下が不機嫌そうに言う。

あれからすぐに殿下が戻ってきて、アレンさまに礼をするのもそこそこに、人気のないバルコニーに私を引っ張ってきた。

「内緒です」

つん、とそっぽを向く。

(アレンさまに変なことをおっしゃって…!)

さすがに腹が立つ。殿下に目を向けないまま、夜の庭を眺め渡した。


夜風が気持ちいい。広間の人いきれと初めてのダンスで火照った体を心地良く冷ましてくれた。

バルコニーは城の庭に面していて、夜の闇の中から咲き誇った花々の香りが風に運ばれてくる。

“お前が15の頃はどんな感じだったんだ”―――。

いつかラルフ殿下から聞かれた問いがふいに頭に浮ぶ。


「…私、このバルコニーに来たのは二度目です」

外に体を向けながら、静かに話し出す。すぐ背後に殿下の気配を感じた。

「一度目は15のときでした。パーティの夜で、給仕をしていました。突然酔っ払った貴族の男性にバルコニーの陰に連れ込まれました。お相手の女性に振られてムシャクシャしていたんですね。“お前が代わりに相手をしろ”と言われました。私が抵抗すると、“メイドのくせに逆らうな。黙って相手をすればいいんだ”と頬を叩かれました」

背後の気配が緊迫するのがわかった。

私はことさら明るい口調で続けた。

「そのあと先輩メイドがきて相手を代わってくれて、手を出されずにすみましたけどね。別に私を助けてくれたわけじゃなくて、貴族のお手つきになるのを狙っていた人だったのでちょうどよかったんです。それからは私も、隙を見せないように気をつけたので、こんなことはもう起りませんでした」

「…」

「今、王宮はとても明るくなりました。使用人もとても楽しそうに働いている。少し前とは大違いです。これも陛下やラルフ殿下をはじめ、王族方のご尽力と人徳のおかげです。…でも」

私は呼吸を整えた。

「私の幼い頃や私の母の時代、メイドはただの使い捨ての消耗品だったんです。貴族のきまぐれでよく殴られたし、都合のいい性処理をさせられる子もいました。メイドはメイド。それ以上でもそれ以下でもないんです」

「…」

これはメイドを母君にもつラルフ殿下には言いにくい話だ。

でも聞いてもらわなければならないと思った。

「私の中で、メイドというものはまだあの頃のままなんです。メイドはメイド。余計な望みを抱いてはいけない、地味な裏方でいるべきものなんです」

みんなが身分なんか関係ない、と言う。

でも、越えてはならない線というものは確実に存在するのだ。

(だから、私が私自身に歯止めをかけなくては)

やさしくされ、特別扱いされて浮かれそうなこの心に。

育ちそうなこの気持ちに。


少しの沈黙のあと、ラルフ殿下は傍らから私の肩を抱いた。

色めいたものが何もない、友達の肩を抱くような親しげな抱き方だった。

ぬくもりがじんわりと胸に沁みた。

「これからも俺の傍にいてくれるな?」

疑問ではなく確認だった。

私は深刻に聞こえないように、明るい口調で答えた。

「はい。メイドとしてお傍にお仕えしますわ。殿下が無事に奥方を迎えられるのをしっかり見届かせていただきます。殿下のお子さまをこの手でお世話をするのが目下の夢ですわ」

「俺の子どもが抱きたかったら、お前がその気になってくれたらすぐに抱けるが…。まあいい。ゆっくりいくさ」

肩を抱かれたまま、あやされるように体をゆらゆらと揺らされた。

「まったく頑固な女だな」

「殿下も…しぶといですね」

どちらともなく、ふふっと笑いが漏れる。

穏やかな空気がバルコニーを包んだ。



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