恋は思案のほか 5
「うなじがみえるよう、金髪を高く結い上げたわ、こうやって顔のまわりに少し髪の毛を垂らして揺らめかせると色っぽいわよ。…もうちょっと、こう…そう、これでいいわ。仮面を顔にあててみて、そう。この仮面は顔半分がかくれるからエレインだってばれないけど、あなたの緑の目が印象的にみえるデザインにしたのよねー。…うん、仮面の装飾と、緑の目が合ってるわ。ちょっと上向いて。口紅塗るわよ。ここでベッタリ真紅のルージュを塗っちゃうのは二流よー。ここは、淡くて瑞々しいピンクね!動かないで…よし!キスしたくなる唇になったわっ!これで“落ち着いた大人の女だけど、清純な色気も持ち合わせている謎のレディ”の完成よっ!」
ついにやってきた舞踏会当日。
適当な理由をつけて王妃さま付の仕事を抜け出してきたジーナに、舞踏会がはじまる数時間も前から部屋に引っ張り込まれた。
ジーナはノリノリだ。私は口をはさむ間も与えられず、されるがままにあれこれと飾り立てられる。
やっとジーナの許しを得て動けるようになり、大きな姿見の前に立つ。
鏡をのぞきこむと―――。
(誰!?)
そこにいるのは見たこともない女だった。
ふんだんに布地が使われているのに、体の線があらわにみえる細身のドレス。
落ち着いた色味の白のドレスの、胸元や裾など要所要所に金と緑の細かい刺繍が縫いこまれている。
「コルセットがすごくきついんだけど…」
ドレスを着る前にコルセットでぎちぎちに体を締め上げられた。
ジーナいわく「手加減してる」そうだが、胸が圧迫されて呼吸がしづらい。
「エレインはスリムだがら、胴回りにはあまり必要ないんだけどね。コルセットしたほうが胸が綺麗に見えるのよ。谷間もできるし」
(どうせ胸はないわよっ!!)
確かに広い襟ぐりからのぞくと胸の谷間がちらりと見える。
それを見た途端急に恥ずかしさが増した。
「ね、ねえ、ちょっと露出しすぎじゃない?それに、体の線が出すぎだと思うんだけど」
「何言ってんのよ!それくらい、おとなしいほうよ!みんなもっと肌出してるし、派手にしてるんだから!エレインだってパーティの給仕したことあるんだから、知ってるでしょ?」
「そうだけど…」
「大丈夫だって!それに、仮面つけてるんだから、エレインだってわからないわよ」
「…」
仮面をつけた顔をもう一度鏡に映し出す。
黒いベルベットでできた仮面に、ところどころ色とりどりの宝石が上品に並べられている
確かに顔半分隠れているから私だってわからない。
(…でも…何か、隠れてるのが逆に淫靡な感じがする…)
謎めいた仮面に魅入られたように鏡を見ていると、ジーナが焦れたように背後から声をかけてきた。
「そろそろ出る時間よ!大丈夫、今のエレインはどこからどう見ても貴婦人よ。自信もって!」
ぐいぐいとドアのほうへ押しやられる。
ジーナがいたずらっぽく耳元で囁いた。
「仕上げの首飾りは、ラルフ殿下につけてもらいなさい」
(ラルフ殿下―――)
胸がぎゅっと引き絞られた。
「ね、ねえ!」ドアのノブを掴むジーナを呼び止める。
ああ、私、きっと泣きそうな顔をしてる。
「で、殿下の隣に立っても、おかしくない…?…殿下恥をかかせたりしない…?」
私の必死の形相に一瞬目をみはったジーナは、安心させるようににっこり笑って言った。
「大丈夫。きっと誰もが羨む似合いの一対になるわ」
ジーナに連れられて、ラルフ殿下の部屋へと向かった。
途中、誰に会うかわからないから仮面はつけたままだ。
ラルフ殿下はこの姿を見てどう思うだろう?
(心臓がバクバクする…)
コンコン。
「失礼します。お嬢さまのお支度が整いました」
内側から扉が開く。
(ダメ、殿下の顔が見られない!)
部屋の中に進むものの、どうしても殿下の顔を見ることができず、殿下の足元に視線を下に泳がせる。
殿下も今夜は正装だ。
いつもだったら、“この人は王族なんだ”と遠い世界の人だと認識させられるこの正装姿は少し苦手だったが、今はそれどころではない。
「フォフォフォ。とてもお似合いですぞ、エレインさん」
扉を開けてくれたオーディンさんが、にこにこ微笑みながら声をかけてくれる。
私は小さく「ありがとうございます」とお礼を言った。
「…」
殿下は黙ったままだ。
(何か言ってよ…)
顔を上げられないまま、不安が胸をよぎる。
私の背後にいたジーナが、笑いを含んだ声で言った。
「ラルフ殿下、これで完成ではありませんわ。真珠の首飾りをつけてくださらないと」
「あ、ああ…」
弾かれた様に殿下が動く。大股で部屋を横切り、私のすぐ傍で立ち止まった。
「…」
傍へ来てもまだ何も言わない。
あいかわらずうつむいたままの私に見えるのは、殿下の上着の胸釦だけだ。
ややあって、殿下が上着のポケットを探りだす。(首飾りかしら?)と思い、私は受け取るために手を出すが、殿下はそれを止めた。
「俺がつけてやる」
「動くなよ」
首飾りの留め金を外し、前から私の首の後ろに手をまわし、不器用そうに留め金をいじる。
抱き寄せられるほど近い二人の距離に、心臓が早鐘を打つ。
「よし、できた」
苦心の末留め金をとめても、殿下は離れていこうとしない。
私の肩にかるく手をかけて、
「エレイン」
と、私の名前を呼んだ。
その呼び方があんまりやさしい響きだったので、思わず顔をあげたら―――。
「よく似合ってる」
満面の笑み。ちょっと照れたような、本当に嬉しそうな笑顔だった。
(ドクン!)
今日忙しく動き回っていた私の心臓は今までで一番の振動を感じた。
体が痺れたように動けない。
何か言おうにも、舌が動かない。
(どうしよう…何か言わなくちゃ…どうしたら)
真っ白になった頭の隅で、“どうしよう”という困惑ばかりがめぐる。
すると、ラルフ殿下は、それまで私の顔にあてていた視線をちょっと下に下げて、
「初めて見たな、エレインの胸の谷間」
ゲシッ!!
「どこ見てるんですかっ!!」
条件反射のように、殿下の脛を思い切り蹴り上げた。
…舞踏会直前に、顔に平手打ちしなかった咄嗟の判断を誉めてもらいたい…。
広間に足を踏み入れた途端、別世界に来たような心地がした。
貴婦人たちの笑いさざめく声。色とりどりのきらびやかなドレス。むせかえるような香水のかおり、ひるがえるサテンにレース。華やかな女たちに寄り添う男たち。燻らす葉巻の煙があたりにたちこめている。
メイドとして何度もパーティの給仕をしてきたのに、初めて見るように感じるとはおかしなことだ。
(緊張してるんだわ…)
手足のこわばりを感じる。
広間に入った時から、鋭い視線が突き刺さるのがわかった。
ラルフ殿下が連れているあの女は何者だ、と。
頭のてっぺんからつま先まで、品定めされるように眺められているのがわかる。
傍のラルフ殿下が、私の耳に睦言を囁くように唇を寄せた。
「何を聞かれても、喋らなくていい。お前はただ笑って俺の傍にいてくれるだけでいい」
顔を離す直前、私の耳たぶをペロリと舐めた。
「!!~~~!!」
耳をおさえて、真っ赤になる。
(な、な、何を!!)
驚きすぎて言葉にならない。
ラルフ殿下は片目をつぶってニヤリと笑った。
「緊張がとれたろ。自分を世界一のいい女だと思ってりゃ大丈夫だ。…ほら、さっそくやっかいなのがおでましだ」
小声で言って、私の肘に手を添える。
今まで遠巻きにしてジロジロ眺めていた貴婦人方の中から、ボーセアン男爵夫人がこちらへやってくるのが見えた。
むっちりと肥えた体に派手な橙色のドレスをまとい、これまた派手な仮面をつけて、扇で口もとを隠しながら、ラルフ殿下に声をかける。
「ご機嫌よろしゅう、ラルフ殿下!わたくし、殿下がお出ましになった時、びっくりして心臓がとまりそうになりましたわ!今まで一度も女性をエスコートなさらなかった方が、女性とご一緒とは…!まあまあ、わたくしの娘もぜひ!!殿下とご一緒したいと申しておりましたのに!」
甲高い声でまくしたて、ちらりと私の方へ視線を向ける。
「…どちらのご令嬢ですの?こちらの方は?殿下がお連れになるくらいですもの、さぞかし高貴なお嬢さまなんでしょうねえ!?」
響き渡るようなデカい声に、周囲から視線を浴びる。
このボーセアン男爵夫人はお喋りで、社交界の噂の発信源のような人だ。
この人に話すと、あっという間に話が広がる。
ラルフ殿下はボーセアン夫人にも負けないデカい声できっぱりと言い放った。
「このレディは私の最愛の女でしてね。昼も夜も求愛し続けて、ようやくこの舞踏会に同伴することを承知してくれました。ですから今夜はこの女の心を完全に掴むために、片時もこの女の傍から離れないつもりです。
ライバルを増やしたくはありませんから、この女の正体を明らかにするわけにはいきません。今夜は折りしも仮面舞踏会。身分も浮世のしがらみも全て忘れさせてくれる夜です。私は今夜、王族ではない、一人の男として、このレディに身も心も捧げ尽すつもりでいますよ」
(よくもまあペラペラと適当なことが言えるものだわ)
「ま…まぁ!」
ボーセアン夫人は、ラルフ殿下のエロくさい笑みと、“昼も夜も”の一言に真っ赤になって眉をひそめた。
キョロキョロと私と殿下の顔を見比べるので、私は無理やり笑みをつくって微笑んだ。
ラルフ殿下は長身をかがめ、ぐぐっと顔を夫人に近づけて、一言。
「恋の酸いも甘いも噛み分けてこられたボーセアン夫人なら、私の気持ちもわかってくださいますよね?」
美形の男に間近で囁かれ、更に顔を赤らめたボーセアン夫人は、「ホ、ホホホホ…そうですわね、私も若い頃はそりゃあ…。若いお二人の邪魔をするのは野暮というものですわね…。そ、それでは失礼いたしますわ」としどろもどろに言って、そそくさと去っていった。
(…傍から見てると、脅迫してるように見えるんだけど…)
顔は笑っていたが、目は“邪魔はするなよ!”と威圧感たっぷりに語っていた。
「よし!この調子でひと回りするか!」
調子づいた殿下は、やけに楽しそうに私の腰をつかんで歩きだした。
(…もう、なるようになれ、だわ…)
何度か同じようなやりとりをこなしたところ、興味本位で近寄ってくる人たちもだんだん減っていった。
私もだいぶ慣れてきて、周囲の様子を見回す余裕も出てきた。
仮面舞踏会ということで、女性たちは皆、さまざまなデザインの仮面をつけている。
私のように顔の半分が隠れるほどの仮面をつけている人もいれば、申し訳程度の大きさのファッショナブルな仮面をつけている女性もいた。
男性も、女性ほどではないにしろ、意匠をこらした仮面をそれぞれつけている。
ラルフ殿下は素っ気ない黒い仮面だ。一応顔は隠れているが、がっちりしたしなやかな長身は、どこにいてもラルフ殿下とわかる。
こうしてラルフ殿下の隣にいると、たくさんの若い令嬢方が殿下を見つめているのがわかる。
(この中には本気でラルフ殿下に恋焦がれている方もいるはずだ)
でも、今殿下の隣にいるのはメイドなのだ。
優越感など何もなく、自分は場違いだという思いが冷たく胸の隅に巣食う。




