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恋は思案のほか 4

「…最後、ここで玉留めをするの。そう、こうするとちょっと裂けた布も上手く繕うことができるわ。ほら、表から見ると、繕った痕がほとんど見えないでしょう」

くるり、と布をかえして見せると、間近で見ていた少女たちは、はしゃぎ声をあげた。

「「わ~っ!!ホントだ~!!スゴ~イッ!!」」

至近距離からの甲高い声に、つい体をひく。

(う、うるさい…。っていうか、若い…。こんなことぐらいで大騒ぎするとは…。ったく、この年頃の女の子は何を言っても笑い転げるし、大袈裟に騒ぐし。…なんて、そんなこと言ってる私がオバサンみたいだわね)


ここは王妃さま付メイドたちのメイド部屋。人数が多いので広めの造りになっている。

私は時々ジーナに頼まれて、若いメイドたちの指導をしている。

最近では、王宮メイドになると嫁入りの時にハクがつくと言って、花嫁修業としてメイドに上がる子が多くなった。

15,6の若いうちに王宮に上がって、相手が見つかるとさっさと辞めてしまう。

なかなかメイドが居つかないのだ。新しい子が入るたびに、もうベテランと呼ばれる私やジーナが若い子の指導にあたらなければならない。

今日は三人の若いメイドを相手に、ジーナと二人で繕い物のやり方を教えている。


「ねえねえっ!エレインさんっ!マリーのこと、もう知ってますっ!?」

はしゃいでいた少女の一人が、弾むような声で私に話しかける。

「マリーのこと?」

マリーとは、この三人の中で一番おとなしく真面目な娘だ。見ると、顔を赤らめて下を向いている。

「マリー、結婚が決まったんですよぉ~!!騎士団の団員と!!来月にはもう、お嫁入りだそうですっ!!」

他の少女二人は、自分のことのように「キャーッ!!」と盛り上がっている。

「まぁ、そうなのマリー。おめでとう」

マリーはますます真っ赤になって俯いてしまった。

(とても幸せそう)

若いメイドのこういう姿を見ると、今の王宮メイドのあり方もいいものだと思う。

(以前はもっと、ドロドロしていた…)


私が以前王宮にいた頃、前王の時代は、王族や貴族に手をつけられていかに取り入ることができるかだけがステイタスだった。

メイドたちは貴族の仲間入りを出来るかもしれないという愚かな夢を抱き、身の丈にあった恋愛や結婚には見向きもせずに、適齢期を過ぎても王宮メイドとして居座り続けた。

メイド同士、女の意地をむき出しにして、足の引っ張り合いばかりしていて、いつもギスギスした雰囲気が漂っていたものだ。

(それを一掃したのが、今の陛下だったのよね)

即位してすぐ、王宮内の改革を断行した陛下は、臣下のみならず、メイドたちも含めて人心を一新した。

今まで王宮に巣食っていた古いしがらみを捨て、若く新しい人材を多く取り入れたのだ。

(私はちょうどその時は伯爵家に仕えていたから直接は知らないけど、昔からいたメイドはあの時大分辞めてったのよね…)

一年前私が王宮に戻ってきた時、見知った人がほとんどいなくなっていたくらいだ。

大勢解雇したといっても、ただ放り投げたのではない。

一人一人に城下の勤め先や嫁ぎ先を世話し、行き場所を与えた。その斡旋を手伝ったのが、城下に顔がきくラルフ殿下だったという。


マリーが潤んだ瞳を私に向けて言った。

「私、エレインさんやジーナさんのようなメイドに憧れて、立派なメイドになりたくて王宮に来たんです…結婚は嬉しいけど、嫁いだらもう王宮メイドとして働けなくなるしっ…」

マリーは人一倍仕事熱心な子だから、幸せの中にも心中複雑なようだ。

「あーあ、真面目な子から先に辞めてっちゃうのよねぇ~」

ジーナがやれやれとばかりに言う。

他の二人は頬をぷーっとふくらませ、「「ひどーいっ!わたしたちは~っ!?」」とかしましい。


私は、今にも泣きそうなマリーに言った。

「メイドとして習い覚えてきたことを、これから結婚生活で活かせばいいわ。あなたは仕事を辞めてもいいと思えるほど好きな人に出会えた。それでいいじゃないの」

「そうそう。本当の恋に出会ったら、何があろうともう引き返せないものよ」

ジーナが身を乗り出して口をはさむ。恋やら愛やらの話はジーナのほうが得意だ。

「私の生まれ故郷にこんな言葉があるわ。“恋は思案のほか”ってね。恋心は理性や常識ではかれないものってこと。気づかないうちにはじまって、走り出したら止まらないものなのよ!」

ロマンチックなジーナの言葉に、若いメイドたちはキャアキャアと盛り上がる。

ジーナは悪戯っぽく小首をかしげて私の顔をのぞきこみ、「ね、そうでしょ?」と言ってこちらに近寄ってきた。私の手をひいてさりげなく若いメイドたちから離れ、部屋の隅にきてささやく。

「…昨日城下に用事があったついでに洋装店をのぞいてきたんだけど、ドレス、順調に仕上がってるわよ」

採寸に行った日からすでに一週間がたつ。

日々の仕事に紛れてあっという間に日が経ってしまった。

「ねえ、エレイン」

ジーナが真面目な表情になって言った。

「ラルフ殿下が直々におっしゃたのよ、私に。“俺のパートナーがエレインだってことは内密にしておいてくれ”って。なんでだかわかる?」

「それは…殿下のパートナーがメイドなんて外聞が悪いからじゃ…」

「もうっ!本当はあなたにもわかってるはずでしょ?何ではぐらかそうとするの?私に黙っていて欲しいのは、まだ王妃さまに知られたくないからよ、エレインがラルフ殿下の本命だってこと」

「…」

「もし王妃さまに知られたら、あのロマンチストな王妃さまのことですもの。“身分違いの恋なんて素敵!”とかおっしゃって、ものすごい勢いでトントン拍子にあなたとラルフ殿下の結婚をまとめあげるに違いないわ。エレインの気持ちを無視してね。ラルフ殿下はそれをしたくないのよ」

「…」

何も言い返せない。

そんなのジーナの都合のいい想像よ、と笑い飛ばすこともできないし、ジーナの言葉をそのまま素直に信じることもできなかった。

黙り込んでしまった私を見て、ジーナは諦めたように溜息をつき、何となく暗くなってしまった雰囲気を吹き飛ばすように一転して明るい声で言った。

「ラルフ殿下は今回は純粋にエレインのドレス姿を見たいんだと思うわ!私にまかせて!どこの貴婦人にも負けない、とびっきりのレディのしてあげるから!」

「ジ、ジーナ、声が大きい…!」

慌てて部屋の中を見渡したところ、

「失礼しますぞ。エレインさんはおいでですかな?」

ノックの音がして、オーディンさんがメイド部屋に入ってきた。




「すいませんな、エレインさん。女性方の語らいを邪魔してしまいまして。私一人では全ての資料を集めるのに時間がかかりそうでしたのでな」

「若い子の指導はジーナがいるから大丈夫ですわ。…それにしても随分な量の資料ですね」

私が感嘆の声をあげると、オーディンさんは「フォフォフォ」と口髭を指先でひねった。


オーディンさんに連れられてやってきたのは王宮内の書庫の中。

国内随一の蔵書量を誇るこの書庫内は、見渡す限りに書物があり、敷地も広い。

私はオーディンさんに頼まれ、リストに書かれた資料を探し出して、個人が調べ物に使うことのできるこの小部屋に持ち込んだ。

この小部屋にはそれぞれ鍵がついており、内密な調査や研究をするのに適している。

机いっぱいに、所狭しと集めてきた資料が積み上げられている。

タイトルを見ると、財務諸表の記録や、租税の記録、各地の事件・事故の報告書など、実に様々だ。

通常なら、司書に頼めば資料を揃えるのを手伝ってくれるはずだが、今回私に手伝わせたのは、外部の人間に知られたくない内密の調べ物があるからだろう。


(おそらくラルフ殿下の命を受けてのことだろう)

私はそれ以上深いことは聞かず、オーディンさんに「他に御用はありますか?」と尋ねた。

「そうですな…、資料に目を通すのに一週間くらいここに篭もらなければなりませんのでな。その間、殿下のお守りをお願いできますかな?目を離すとすぐに、執務室を飛び出して外に出てしまいますのでな」

「わかりましたわ!執務室から一歩たりとも外へお出ししません!」

語気荒く答える。

(まったく…!殿下ときたら、やろうと思えば書類仕事なんてすぐに終らせることができるくせに、椅子にじっと座っていることのできない方なんだから!)

オーディンさんが楽しそうに言う。

「フォフォフォ。それでも一年前に比べると、殿下が外に飛び出して行く回数も減りました。殿下が王宮にこられたばかりの頃は、王宮の雰囲気に馴染まないらしく、あまり執務室にもお戻りにならなかったものですが…。エレインさんが来てくれるようになって、殿下も事件が解決するたびに王宮に戻って来られるようになりましたので、私としては大助かりです」

「そ、そうですか…」

こう何のてらいもなくにこにこと言われると、面映い。

オーディンさんは、殿下が私を茶化している時も、ただにこにこ笑いながら傍で見ているだけだ。

(自分の主がメイドを口説いてるのを一体どう思っているのだろう…)

本当のところを聞いてみたいが、そんなことを面と向かって聞けるはずもない。

ただ、

「…あとでお茶をお持ちしますわ」

とだけ言って、その場を辞した。




「殿下、手が止まっておりますよ」

「オーディンより厳しいな。もう休憩にしてくれよ」

「30分ほど前にお茶をお淹れしました!」

ラルフ殿下の執務室。

書類に囲まれる殿下の斜め前に椅子を置き、私は私で手作業をしながら、ラルフ殿下の仕事ぶりに目を光らせる。

「何してるんだ?」

殿下が興味を示して私の手元をのぞきこむ。

「ポプリのサシェにする小袋を作っているんです」

最初はオーディンさんがいつもやるように殿下の斜め後ろに控えて黙って見ていたのだが、殿下が「お前も仕事があるんだろう。椅子に座ってここでしろよ。仕事しながらでも俺の見張りはできるだろう」と言い出した。

使用人が貴人の部屋で手仕事をしながら控えるなんて普通だったら考えられないことだが、ラルフ殿下はそういう貴族の常識には全く囚われない。

私も、カルミナさまの件の時執務室で編み物をした、という経緯があるので、すんなりとその提案を受け入れた。

小さな袋を作る私の手元を「器用なもんだ」としげしげと眺めている。


「義姉上付のメイドたちに色々教えてるんだって?」

「ええ。ジーナに頼まれまして。時折、仕事が空いた時などに行っていますわ」

「指導が行き届いていると義姉上が感心していた。しかし、次から次と新しいメイドが入ってきて大変だろう?」

背もたれに寄りかかって足を組み、すっかり会話モードだ。

(…こうなるとしばらくは仕事を再開しないわね…)

小さく溜息をついて、執務机の上を見た。

さっき見た時より、決済済みの書類の山が随分高くなっている。

凄いスピードだ。

集中して取り組めば書類仕事もさっさと処理できる能力をお持ちだが、「外で体を動かすほうがいい、デスクワークは性に合わん」と言って、椅子に大人しく座ってくれないのが困りものだ。

机の上の決済済みの書類量がオーディンさんが示していった一日分のノルマを軽く越えているのを目測して、やれやれ、と口を開いた。

「…指導が大変ということはありませんわ。ただ、あの年頃の子は何を喋っても笑い転げて、始終遊びの延長のように楽しそうで…。正直ついていけません。別世界の人間のようですわ」

ちょっと自嘲気味に付け加える。「もうオバサンですわね」。

ラルフ殿下は、片眉を上げて言った。

「年齢は関係ないだろ。お前が15の時どうだった?同じようにギャーギャー騒いでたか?」

「…」

そう言われて考える。

私が15の時…。

「そういえば私が15の時はああいう感じではなかったですわね」

「だろ。性格だ、性格」

事もなげに殿下が言った。

(そうか…)

なんとなくホッとした。

若い子の楽しげな雰囲気についていけなかったことを、自分でも気にしていたようだった。


「お前が15の頃はどんな感じだった?好きな男はいたか?」

何が楽しいのか、ラルフ殿下が目を輝かせて身を乗り出して聞いてくる。

「どうって言われましても…。メイドとして働いておりましたわ」

正直あの頃のことは思い出したくない。

王宮メイドとして、貴族社会の汚い部分や人間の裏側を見せられてうんざりしていた。

私の面白くも何ともない答えを聞いて、殿下が眉根を寄せる。

「…12歳の時から王宮に働きに出たと言っていたな。今までずっと働きづめか。城下に遊びに出たことは?祭りに行ったことはあるのか?」

殿下は私が普通の娘がするような遊びをしてきたかどうかを聞きたいのだろうか?

困惑しながらも答える。

「…12歳までは祖母と二人で暮らしていました。山里の田舎のほうでしたので、街に出るのは買い物の時くらいでしたわね。メイドになってからは…そうですね。仕事で城下に出る時以外は特に出かけたことはありません。祭りは、ここ数年禁止になっていた期間はもちろんですが、それ以前も行く機会がありませんでしたので」

それで別段辛い思いをしたわけではない。

王宮の人間関係に疲れてはいたものの、仕事そのものは好きだったし、普通の若い娘のように遊び回りたいと思ったこともなかった。

なぜか、私が話すにしたがって殿下がみるみる不機嫌になっていく。

殿下の気持ちを引き立てるように、つとめて明るく言った。

「そういえばジーナから聞きましたけど、今年から城下の祭りが再開されるようですわね。この前ジーナと城下に行った時も、随分賑わっていましたわ。祭りの準備をしていたのでしょうか?」

殿下は私の問いに答えようとせず、不機嫌な顔のまま、腕を組んで私の顔をじっと見ている。

「今度一緒に祭りに行くぞ」

「は?」

「決めた。今年の祭りは一緒に参加しよう。俺が祭りの楽しみ方を教えてやる」

「…」


(そんなこと、できるわけない)

二人で王宮を抜け出して祭りに参加したら、もうメイドと主ではなくなってしまう。

仕事として舞踏会に同伴する、今回のこととはまるで意味合いが違ってくるのだ。

(どうしてこの人は、私の心をかき乱すことを平気で言うのだろう?)

メイドと主として仕事の範疇を超えないよう私が必死で線を引いても、この人は軽々とそれを飛び越えてくる。


自分の思いつきに満足したようで、途端に機嫌が良くなりあれこれと計画を練っている殿下の気をそらそうと、声をかけた。

「ラルフ殿下は子どもの頃、どういう感じの男の子だったのですか?」

「俺の子どもの頃?」

気をそらすための話題だったが、ぱっと私の方を向いて答えてくれる。

「そうだな。城下で近所のガキとまじって普通に遊んでたぞ。チャンバラごっこしたりしてな。時々兄上が訪ねてくれるのが、何より楽しみだった」

「陛下が!?」

「ああ。俺が10やそこらだったから兄上が15歳頃からか。俺の存在を知って、こっそりお忍びで会いに来てくれた。一緒に遊んでくれたし、勉強も教わったりした」

懐かしげに目を細める。

父王がメイドに産ませて捨て置いた異母弟を蔑むでもなく、お世継ぎとしての忙しい日々をぬって忍んで会いに来られるとは…。


「…だからラルフ殿下は、陛下をお助けするために王宮に入られたのですね」

こうして幼い頃の話を聞くと、あらためて兄弟の絆の深さを思い知る。

(暮しなれた城下から、慣れない貴族社会に飛び込んだのも、どんな危険な場所にでもためらわず乗り込んでいくのも、全て陛下のためなんだわ)

「兄上のためだけじゃないぞ」

「え?」

思わず殿下の顔を見る。

何か含みがあるような笑みを浮かべ…でもどこか真剣な目で私を見ている。

「俺が王宮に来ようと決心したのは、もちろん兄上を手助けしたかったからだが…それだけじゃない」

「それはどういう…」

聞き返そうとしたら、ふいに視線を外され、「さあ仕事するか」と机に向かった。

「…?」

思わせぶりな態度に戸惑ったものの、追及できるような雰囲気ではない。

ひっかかりをおぼえつつ、私も自分の仕事に戻った。




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