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恋は思案のほか 3

「こちらのお嬢様はこのところ毎日いらっしゃって…。とても長い時間祈っておられます。日に日に思いつめた様子になっていかれるので、気にしてはいたのですが…」

教会の中の一室。

リリーさまは質素な寝台に寝かせられている。

先ほど帰った医師の話では病の心配はないそうだ。寝不足からくる貧血であろうとのこと。

傍に心配げに立っている牧師さまに、フォレスト家へ知らせてくれるよう頼んだ。

牧師さまもこの令嬢がフォレスト家の令嬢であることは知っていたらしい。

私とジーナに後のことを頼み、部屋を出て行った。


「余程思いつめていらしたのね…」

横たわるリリーさまを見つめる。

青白い顔。顎の尖った細い顔にかすかにそばかすが散っている。赤っぽい栗色の髪の毛が枕に広がる。貴族的な面立ちだが、どこか寂しく陰気な印象を見る人に与える。プレイボーイの男が好きで手を出すタイプではない。

寝かせるときにゆるめた襟元から、小さな十字架が見えた。

古いが大事に手入れされてきたと一目でわかるその十字架が、彼女の敬虔な信仰心を表しているように思えた。


「…う、う…ううん…」

リリーさまがうなされる。悪い夢でも見ているようだ。

隣に座っていたジーナが私の耳元に囁く。

「この様子だともうすぐ目を覚ますわね。私はリリーさまと面識があるから席を外すわ。私たちが王宮メイドだとバレるとちょっとまずいでしょ」

その言葉に頷く。今の時期にリリーさまに余計な警戒心をあたえるのはまずい。

ジーナは静かに部屋を出て行った。


「う…、うう…、お許しください…神よ…」

リリーさまが苦悶の表情を浮かべる。額に汗がふきでる。

(首飾りを盗んだこと、夢の中で悔いているのかしら)

「王妃さま…お許しください…!わたくしは…わたくしは…!」

苦しそうに王妃さまを呼び、何度も神に呼びかけて、不明瞭な言葉をうめき続ける。

すると一転、熱に浮かされたように男の名をつぶやきはじめた。

「…ダニエルさま…わたくしを…置いていかないで、ダニエルさま…!」

リリーさまが身悶えしはじめる。ダニエルとは確か子爵の名前だ。

「…ダニエルさま…!愛しています…愛して…」

胸を掻きむしり、狂ったように頭を振り乱す。何かを求めるように手をさし伸ばしている。

その異様な姿は、狂気の一歩手前のように見えた。


「お嬢様、目を覚ましてください、お嬢様!」

あまりにひどくうなされるので、体に手をかけて揺り起こす。

リリーさまははっと目を開け、体を強張らせた。

私はとにかく落ち着かせるためにできるだけ穏やかな声で話しかける。

「お嬢様、気づかれたのですね。ここは教会です。教会の外で急にお倒れになったので、ここにお運びしたのです。すぐにお屋敷から迎えがきますからね」

リリーさまは何度も瞬きをする。

まだ混乱しているようだが、現状をつかもうとしているようだ。次第に貴族令嬢の顔を取り戻していく。


「…あなたは?」

「私はエレインと申します。教会に用があって来たところに、お嬢様がお倒れになるところをお見かけしたものですから」

慎重に答える。

「そう…迷惑をかけてしまいました…」

そう言って、深く息をつく。まだ夢の余韻が残っているようだ。

「…ずいぶん、うなされておいででした」

リリーさまは苦しげに顔を歪めた。

「…わたくしは、恐ろしい罪を犯しました…神を裏切る行為を…ああ、なんてことを…」

その目はもはや私を映していない。独白のように続けた。

「…でも…、わたくしはあの方が恋しくてならない…罪に恐れおののく間も、あの方への想いがとめどなくあふれ出てくる…なんて罪深い女なんでしょう…!」

そこまで呟いて、はっと傍の私の存在に気づく。

取り繕うように言った。

「あ、ああ…。ごめんなさいね、世話をかけてしまって。お礼をするわ。屋敷の者が到着するまで待っていてくれる?」

「私はもう帰りますわ。今、外で馬車の音がしました。きっとお屋敷の方ですわ。それでは失礼いたします」

早口に言って席を立つ。

フォレスト家の者と顔を合わせて、こちらの身元を探られてはかなわない。

リリーさまが呼び止める声を後ろに、一礼してそそくさと部屋を出た。



廊下にいたジーナと合流して、フォレスト家の迎えの者と鉢合わせしないよう、急いで教会を出た。

通りに出て馬車をつかまえ二人で乗り込んだが、なぜかジーナはさっきから難しい顔で黙り込んでいる。

リリーさまのうわ言は、廊下のジーナにも聞こえたはずだ。

私は探るように声をかけた。

「…リリーさま、まだあの男が忘れられないみたいね?」

ジーナは少し逡巡したあと、重い口を開いた。

「…ランバード子爵本当はどういう男か、とっくにご存知のはずなのに…。まだあんなことをおっしゃっておられる…。愚かだわ」

悔しげに吐き捨てる。こんな険のある口調のジーナは初めてだ。


ジーナは、私の顔をじっと見て言った。

「エレイン。今回の舞踏会のこと、また王妃さまが突拍子もないことをはじめた、と思ってるでしょうね?」

「え?ええ」

「王妃さまも最初は内々のうちに話をおさめようと思われたのよ。事件があって、リリーさまが屋敷に閉じこもってから、何度もお手紙をやったり、密かに使いをフォレスト家につかわせたりしたわ。私も二度、フォレスト家を訪ねた」

これは初耳だ。

てっきり一足飛びに大々的な計画をたてたものとばかり思っていた。

私の驚いた顔を見てジーナが苦笑した。

「ああ見えて、王妃さまは気のつく方よ。確かに派手好きで面白いことが大好きだけど、むやみやたらにそういうことはなさらない。今回のことだってリリーさまの性格を考えて、できるだけ穏便に解決しようとなさったわ」

ふうっ…と疲れたように溜息をつく。

「王妃さまは、あの男の悪い噂の裏付けを全てとって手紙に書き綴ったわ。“こういう男だから、やめておきなさい”ってね。手紙の中では首飾りの件には何も触れてないようだったけど、あのタイミングだもの、王妃さまが気づいてるってことを、リリーさまも知ってると思う。王妃さまが犯人に気づいていて、公表を差し止めているってこともね。

でも反応はまるでなし。手紙の返事はかえってこないし、フォレスト家にメイドを出向かせて面談を求めても“臥せております”って追い返されて。

そうまでされても、王妃さまはますますリリーさまの心理状態を心配されて憂いてらっしゃるのよ。王妃さま、今は一層大事にしなければならないお体なのに!」

ジーナの目が怒りに燃える。

「さんざん王妃さまのご好意を踏みにじっているんだから、盗人として罪をあきらかにしてもいいと思うわ。悪い男にひっかかって国宝を盗むなんて、取り繕いようのない大罪なんだから!」

厳しいジーナの言葉には、リリーさまへの軽蔑の念と、主である王妃さまの御身を心配する気持ちが現われていた。


「そこまで一生懸命になってリリーさまを救おうと心を砕かれる…それが王妃さまの素晴らしさね」

ジーナの波立つ心をなだめるように、私はつとめて穏やかな声で言った。

ジーナは口端を上げて微笑み、「そうね」と深く頷いて続けた。

「それで舞踏会の計画をたてたのよ。…舞踏会には、リリーさまは必ず出席するという確信があったわ」

「どうして?」

ジーナは唇を歪めて言った。

「ランバード子爵も出席するからよ。あの男は女漁りのためにパーティというパーティには必ず出席してる。今回は特にその可能性が高いわ。リリーさまを切り捨てて、目下つきあってる女性はいないからね。新しい女を探しに必ず顔を出すはず。リリーさまはそういうことを全て知ってる上で、まだあの男に会いたいんだわ。恋に狂ってるから」


恋に狂う…。


「そして多分、王妃さまがお出しになった招待状も相当効いているんじゃないかと思うわ。舞踏会には来るわよ、必ず」

そういえば王妃さまは“揺さぶりをかけた”とラルフ殿下も言っていた。

「招待状に何てお書きになったの?」

「“神様がすべてご覧になっています”―――。その一言だけ」


神様がご覧になっている―――。

脳裏に、寝台の上で神の名と男の名を呼んで身悶えるリリーさまの姿が浮んだ。

きっと彼女は引き裂かれそうになっているのだ、神への信仰と男への愛に。

ジーナが厳しい声で言った。

「この舞踏会がリリーさまの最後のチャンスよ。これを逃せば、破滅するわ。リリーさまも、フォレスト家も」

王妃さまは、舞踏会で他の女に誘いかける男の姿を見せてリリーさまの恋を諦めさせようというのだろう。

そして、首飾りを自分から返還させようというのだ。

「上手くいくといいわね…」

そう言いながら、一抹の不安が胸をよぎった。

それは、さっき狂気の炎が揺らめくリリーさまの瞳の奥をのぞいてしまったからだろうか。

(何事もなければいいけど…)




(恋に狂う、か…)

王宮に戻り、自室のベッドに体を投げ出した。馬車に乗ってこわばった体をうんと伸ばす。

今日起ったこと、ジーナから聞いた話をラルフ殿下に報告しなければならない。

でもその前に頭の中を整理したかった。

(ジーナは、リリーさまのことを蛇蝎のように嫌っていたけど…私はリリーさまの気持ちが少しわかるような気がする)

もちろんリリーさまがやったことは間違っている。罪はきちんと償わなければならない。

(でも…)

それまで信仰という枷で自分自身を固く縛っていた娘が、ある時突然その枷を外されて―――。

(箍が外れてしまったんじゃないかしら)

それまで知らなかった自分自身の内から湧き出る激情を、とどめる術もしらず、まわりも見えなくなり、ただ流されるままに。

(恋に狂うって、こういうこと?)

そこまで考えて自嘲する。恋をしたこともないくせに、と。

「恋」という言葉で、つい脳裏に浮んだ見慣れた顔を、目をつぶって頭の中から追い出した。


(私を縛り付ける枷は、あのメイド服かもしれない)

城下に出かける時に着替えて吊るしておいたメイド用の制服に目をやる。

シンプルな紺のワンピース。白いエプロン。

伯爵家にいた頃は少し違う服だったが、基本的にメイド服にそう変わりはない。

ほんの少女のころから身につけてきて、別段それが辛いとも息苦しいとも感じたことはなかった。

もはや私の体の一部となっている。きっと、ただのエレインとして過ごした時間より、メイドとして過ごした時間のほうが長いだろう。


(だから、どうしたらいいかわからなくなる。メイドではない、ただの私を求められたときは…)


恋の激情。狂気の色を含んで切なげに男を呼ぶ声。今日見たリリーさまの姿が頭を離れない。

メイド服を脱ぎ捨てて、私自身を縛る枷から解き放たれた時、彼女と同様の姿を私も晒すのではないか。あの愚かしい狂態を。


(怖い…)

ギュッと枕に顔を押し付ける。

いつものメイド服ではなく、舞踏会で貴婦人が着るようなドレスを着れば、何かが変わるだろうか。

いいや、メイドはメイドだ。私は私以外のものにはなれない。

ドレスを着たくらいでレディに変身するわけはないのだ。


カチリ。

部屋の小さな時計が夕刻を告げる。

思考は中断され、私の体は考える間もなく自動的に動き、ベッドから身を起こした。

そろそろ夕食の給仕の準備をしなければならない。

くすり、と笑う。長年メイドとして身に付いた習い性だ。体が仕事を覚えている。


(何かが変わるかも、なんて考えること自体愚かしいことね)

先ほどまで頭を占めていた考えを振り払い、メイド服を手に取った。


仕事の時間だ。



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