おまけ 王宮騎士団の憂鬱
(あ、エレインさんだ)
王宮の渡り廊下を、ランドリーバスケットを抱えたエレインさんが通り過ぎる。
我々騎士団の鍛錬場である広場から、よく彼女が通りかかる姿を見かける。
エレインさんは、ただ一人のラルフ殿下付のメイドだ。
ほっそりとした体で、きびきびと動く、隙のない姿は、いかにも仕事のできる女性という感じだ。
派手さはないが、凛とした綺麗な人で、騎士団の連中の中でも密かに人気がある。
俺は王宮騎士団の副団長をしている。
団長のネイサン殿にかわって若い者の指導をしているのだが、最近少々頭の痛いことがある。
「ああ~~、エレインだん、今日もキレイっすね~~」
こいつだ。
頭の中に花が咲いたようなツラをして、彼女が通り過ぎた後の廊下をうっとりと眺めている。
「ねえ!副団長っ!この前エレインさんに“恋人はいますか?”って聞いたら“いない”って言ってたっスよ!俺、年下だけど、チャンスはありますよねぇ!?」
いきなり俺のほうを振り向いてまくしたてる。目は爛々と輝き、鼻息が荒い。
(だめだ、こりゃ…)
思わず空をあおいだ。俺が何を言っても聞き入れようとしないんだ、コイツは。
この若造、フランツは最近騎士団に入ったばかりの新米だ。
この前賭博場の取り締まりで、ラルフ殿下の供をしたとき、フランツは軽い怪我をした。
「医者にいくまでもない」と言ってぞんざいに扱っていたところをエレインさんに見咎められ、叱責されて、彼女の手製の傷薬をくれたのだ。
エレインさんという人は、愛想はあまりないが、実はやさしくて世話焼きだ。
たまに手作りの菓子を差し入れしてくれるし、すぐボロボロになる練習着もよく繕ってくれる。
フランツはエレインさんのやさしさにすっかりのぼせあがってしまったのだ。
俺やまわりの同僚たちが、“やめとけ”“お前には無理だ”と止める声もまるっきり聞こえないようで、毎日エレインさんが渡り廊下を通るたびに、駆け寄っていって声をかけたり、うっとりと眺めたりしている。
「フランツ…悪いことは言わん。エレインさんはやめておけ。お前じゃ…役不足だ」
「やってみなくちゃわからないですよ!俺、今度の休みにエレインさんを芝居に誘います!そして告白します!俺の恋人になってくださいって!」
「面白そうな話だな」
低い声とともに、ポンッとフランツの肩に大きな手が置かれた。
「ラルフ殿下!」
フランツは、憧れの殿下の突然の登場に驚いたようだったが、喜びに顔を輝かせた。
…反対に、俺やまわりの騎士たちの体は硬直した。
(ついに、ラルフ殿下の耳に届いてしまったか…!)
ラルフ殿下は陛下の弟君だが、王族の誰よりも気さくに俺たちに接してくれる。
物凄く腕がたち、何か騒動が起ると単騎でも事件解決に乗り出していく。
時折、騎士団の中から何人かを供に連れていくこともあるので、常日頃から我々とは懇意にしてもらっている。
王族というより気のいい兄貴といった雰囲気の殿下は、ワイルドな美丈夫かつ剣豪で、騎士団の若い連中はみんな殿下に憧れの眼差しを向けている。
フランツももちろんその一人だ。ラルフ殿下に間近で話かけられて興奮している。
「ラルフ殿下、何か事件がおこったら、また俺も連れていってください!」
「フランツ…だったかな」
「はいっ!名前を覚えていただいて、光栄ですっ!」
ラルフ殿下はフランツの肩に手をおいたまま、にっこりと笑った。
「フランツ。今夜俺と飲みにいかないか?もちろん俺がおごる」
「ええええっ!?俺とっ!?も…もちろん、ご一緒させていただきますっ!」
フランツはあまりの興奮に声が裏返っている。
ラルフ殿下はその返事を聞くと、またにっこり笑って片手をふりながら去っていった。
フランツは上気した顔で放心している。
俺と、他の騎士たちは、互いに目配せしあった。
(ついに…呼び出しがきたな…)
(ああ…)
そして、フランツ以外の全員が深い溜息をついた。
(はぁ~~~っ!!)
ラルフ殿下はエレインさんに惚れている。
別に秘密でもなんでもない。
なにしろ、ラルフ殿下は公然とエレインさんを口説くものだから、殿下を身近に知る者なら誰でも知っている。
いくらエレインさんがそっけなくあしらっても、ラルフ殿下はまるでめげない。
あまりにも堂々とエレインさんを口説くものだから、他の連中がエレインさんに好意をもっても、“ラルフ殿下の思い人”に手を出せる奴はいないのだ。
ただ時々、命知らずな奴や、フランツのように騎士団に入ったばかりの何も知らない奴がいる。
そういう奴が現われると、ラルフ殿下はどこからかその話を聞きつけて、何事もないような顔でやって来て“飲みに行こう”と誘い出すのだ。
(翌日の彼らの様子ときたら…)
思い出すのもゾッとする。
エレインさんのことを「あのお固くまとめた金髪を、ベッドの上で思い切り乱してやりたいぜ」等々、猥雑なことを言った男は、殿下と飲みに行った翌日、廃人のような顔色になっていて、数日のうちに騎士団をやめてしまった。
そこまでいかなくても、かなりゲッソリして出勤してくるのが大半で、「何があった?」と聞いてもなかなか口を割ろうとしない。
わかっているのは、ラルフ殿下が王族の権威や腕力で脅したりするわけではないということ。
“正々堂々と”“男同士のガチンコ勝負”をさせられるそうなのだ。…その結果、彼らは、男としてヘコまされ、しばらくの間使いものにならなくなる。
「フランツ…明日、出てくるだろうか…」
空に向かって呟くが、もちろん答えは返ってこない。
もしかしたら何日か休みをとってやらなければならなくなるかもしれない。
(この人手不足のときに!)
王族の恋愛問題なんて俺たちの関知するところじゃないし、つれないエレインさんが本心ではラルフ殿下をどう思っているかなんて俺にはまるでわからない。
(でもエレインさん、頼むから早いとこラルフ殿下とくっついてくださいよ…)
さもないと、こっちの業務に支障をきたす…。
俺は、クールな緑の目の女性を思い、深い深い溜息をついた―――。




