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小さなレディ 15

翌日。

迎えにやって来る侯爵家の馬車の到着を待ちながら、カルミナさまの見送りに外に出た。

この場にはカルミナさまと私、ラルフ殿下とオーディンさん、そしてなんとグリフィス殿下がいる。


昨日あれからカルミナさまが落ち着いてから二人で色々な話をしたのだそうだ。

夜寝る前にカルミナさまが嬉しそうにその様子を話してくれた。

グリフィス殿下は、いったん研究をはじめると、一区切りつくまで外界の音が一切耳に入ってこなくなるそうだ。

王妃さまの騒動も、カルミナさまの凄まじい泣き声も一切聞こえてなかったらしく、「ああ、部屋に来ていたのか。僕は熱中すると周りが見えなくなってしまってね。失礼した」とあっさり言われたそうだ。

(物腰は柔らかだけど…やっぱり変な方だわ)



「ねえ、エレイン」

傍に立っていたカルミナさまが、私のスカートをひっぱる。

身をかがめると、背伸びをして私の耳に手をあててナイショ話のように小さい声で言った。

「グリフィスさま、お菓子美味しかったって言って下さったわ。エレインが毎日届けてくれたんでしょ?」

そう。カルミナさまと二人で一緒に作った菓子を、こっそりグリフィス殿下付の小姓に頼んで、グリフィス殿下に差し入れをしていたのだ。

誰から、とは言わなかったが、昨日の会話からカルミナさまが作ったものだとわかったらしい。

カルミナさまは、はにかみながら嬉しそうに笑う。

「ありがとう、エレイン」


(この笑顔だけで、私は充分だわ)


グリフィス殿下と意思の疎通は果たしたものの、カルミナさまはこれからが大変だろう。

貴婦人になるための勉強、過保護な親の説得、恋した男は一筋縄ではいかない変人だ。

でも今のカルミナさまなら、きっと乗り越えていける。



「カ~ル~ミ~ナ~!!」

物凄い勢いで馬車が飛び込んでくる。

止まるか止まらないかのうちに、馬車から転がるように出てきたのは、リデル侯爵だ。

普段だったら威厳に満ちた堂々とした風采の方だが、今は見る影もなく憔悴しきっている。

「カルミナッ!!無事だったかいっ!心配したんだよっ!」

周りには目もくれず、カルミナさまをガバッと抱きしめ、頬ずりする。

寝付いていただけあって、頬のあたりはこけているが、久しぶりに愛娘に会えた喜びで滂沱の涙を流している。


「お父さま」

カルミナさまは落ち着き払った声で、侯爵からほんの少し身を離す。

「カルミナの我侭をきいて下さってありがとうございます。そして、長い間留守にして申し訳ありませんでした」

内気でオドオドしていた娘が、人が変わったように改まった口調で口上を述べたのを見て、侯爵は目を白黒させている。


「私、立派な貴婦人になって、グリフィス殿下と結婚いたしますわ」

「カ、カルミナッ!!」

侯爵には気の毒にも腰を抜かしてしまった。

「お父さま、家庭教師の先生を増やして下さいませ。ダンスやマナーに加えて、乗馬や歴史なども勉強しますわ。まつりごとも学びます。お婿さんに頼らなくても、リデル家を私一人の力で支えていけるようになりますわ」

「カ…カルミナ…」

侯爵は呆然となっている。きっと頭の中は真っ白だろう。

「グリフィスさま」

カルミナさまは振り返ってグリフィス殿下を見つめる。

ひたむきな、一途な目だ。

「私が16歳になるまで、待っていて下さい。きっと…グリフィスさまの気に入る女性になりますわ。リデル家がグリフィスさまの負担にならないよう、私が一生懸命勉強します。お手伝いできるよう、魔法学も学びます。たとえお父さまが許して下さらなくても、許しを得られるまで、私が説得します…」

「カルミナさま」

私は、言い募るカルミナさまを止めた。

「結婚というものは、男女双方の責任です。女性の側ばかりが重い荷を背負うものではありませんわ」

にっこり笑ってグリフィス殿下を見据える。


(まさかカルミナさまに全部背負わせるつもりじゃないでしょうね!?)

という無言の圧力をかけながら。

グリフィス殿下は私の視線にかすかに苦笑いし、身をかがめてカルミナさまと目を合わせた。

「彼女の言うとおりだ。父君に結婚の許しを請うのは男の役割だよ。君が16になるまで待とう。君が素敵なレディになって、たくさんの人と出会って、それでもまだ僕と結婚したいと思うなら、またおいで」

「は…はい!」

カルミナさまの頬が薔薇色に染まった。

「カ…カルミナ~…」

バタン。

リデル侯爵が完全に気を失った。



カルミナさまが馬車に乗り込む。別れのときだ。

馬車の窓からカルミナさまが顔を出した。

「ラルフ殿下!」

「ん?」

「私もがんばるから、ラルフ殿下もがんばって下さいね!きっとエレインと結婚して、私の義妹にして!」

「まかせとけ」

二人、顔を見合わせて笑いあう。いつの間にこんなに仲良くなったのか。

「エレイン!」

「はい」

カルミナさまは少しばつが悪そうに言った。

「ねえ、私、グリフィスさまとお話したとき、泣いてしまったわ。“ここぞ”って時にしか泣いちゃいけないって言われてたのに。これって、まだまだ子どもってことかしら?」

馬車が少しずつ走りはじめる。

私は馬車に駆け寄った。

窓から身を乗り出すようにしたカルミナさまの耳に、答えを吹き込んだ。

「いいえ。カルミナさま。あの場面こそ、“ここぞ”という時ですわ。カルミナさまはもう、立派なレディにおなりです」と―――。

私の言葉にカルミナさまは微笑んだ。

その一瞬、少女っぽさが陰をひそめ、女性の微笑がちらりと姿を現した。きっと数年後の彼女の姿の欠片だ。

あっという間に馬車が過ぎ去っていく。小さなレディをのせて―――。




「しかし、グリフィス兄上、よくカルミナ嬢を受け入れましたね。今までどんな良縁も蹴ってこられたのに」

侯爵家の馬車が見えなくなったころ、ラルフ殿下が言った。

「ああもまっすぐ向かってこられるとね。僕は別にどっちでもいいんだよ、結婚してもしなくても。興味がないからね。ただこういう男が相手だと女性も不幸だろう。カルミナ嬢は“それでもいい”と言うからとりあえず申し出を受けたんだよ」

ほりほりと頬をかきながら、熱意のこもっていない口調でグリフィス殿下が言う。

「僕のほうにも打算がまるっきりないわけではない。とりあえず4年、こういう形にしておけばその間は縁談を断れるだろう?思い切り研究にうちこめる」

グリフィス殿下は、ちらりと私を見て、「こういうことを言うと、あなたは怒るかな?」と面白そうに言う。さっき睨みをきかせたのを揶揄しているのだ。


「カルミナ嬢と正式な婚約をかわさなかったのは、4年の間、彼女が別の男に惚れたとき、簡単に約束を反故できるようにですか」

ラルフ殿下の問いに、グリフィス殿下は、

「母上を見てきたからね。王族と縁を結ぶといらぬ苦労を背負い込むことになる。他に好きな男ができたらそっちにいったほうがいい」

と、淡く微笑んだ。

“グリフィスさまのやさしいところが好き”とカルミナさまが言っていたことを思い出す。

(カルミナさまの幼く真摯な思いをそのまま受け入れることもできず、突き放すこともできず、というところか…)

世間に興味のない人のわりには、カルミナさまのことを真剣に考えてくれたようだ。

変人だけど、カルミナさまはいい相手に恋をしたと思う。


(でも、女の恋心を甘くみてるわ)

カルミナさまの幼さに予防線をはったんだろうけど、カルミナさまは本気だ。

(4年後、成長したカルミナさまに振り回される姿が目にみえるようだわ)

足元すくわれるかもね、とちょっと意地悪な気持ちで思う。



「さて、僕は部屋に戻るかな。…そうだ、ラルフ」

グリフィス殿下が歩き出そうとして、ふと振り返った。

「僕のことがとりあえず片付いたんだから、義姉上はお前の縁談に集中するようになるだろ。早く身を固めたほうがいいよ?」

(げっ!!そうだった!)

王妃さまにカルミナさまの件をご報告したらさぞお喜びになるだろうけど…その先は考えたくない。

「で、殿下!グリフィス殿下もこうおっしゃってることですし、早く奥方さまをお決めになって下さい!」

私は思わず横から口を出した。

ラルフ殿下は、余裕の表情でニヤリと笑って私に言った。

「義姉上のことなら大丈夫だ。今朝、内々の知らせが届いてな。懐妊されたらしい。しばらくはご自分のことで一杯で、俺のことなんか構っちゃいられないだろ」

「まあ!おめでとうございます!!」


王妃さまはこの国に嫁がれてもう数年がたつ。

陛下との仲は大変睦まじいが、なかなか子宝に恵まれなかったのだ。

陛下と王妃さまの第一子の誕生は、ますます国内の活気はさかんになるだろう。


「…じゃあ、あれが効いたのかな」

グリフィス殿下がひとりごとのようにボソリと言う。

ラルフ殿下が「何です?」とうながすと、グリフィス殿下は顎に手をやりつつ、首をかしげながら言った。

「…いや、きのうカルミナ嬢と話をしたときね、“私は意味がわからなかったけど、グリフィスさまはわかりますか?”って聞かれたんだよ。何でも義姉上からお聞きした“男女の相互理解を深める方法”なんだそうだ。兄上と義姉上の睦まじさも、これによって培われているらしい。たしか、“もし男が疲れていても、○○○を×××して、女が上にまたがって△△△すると―――”」

「グリフィス殿下っ!!」

私の絶叫に驚いたグリフィス殿下は、なぜ止められたのかわからない、という顔で目をぱちくりさせている。

(ま…まさかこの方は、世間に興味がないって言ってたけど、そっち方面の知識もまるでないんじゃあ…)

全身の血の気がひく。

「グリフィス殿下…私の口からは詳しく申せませんけど…その話は絶っ対に他人にしてはいけませんわ…陛下と王妃さまとカルミナさまの名誉がかかっております」

「…うん…?」

グリフィス殿下はまるで理解できないというように曖昧に返事をすると、説明を求めるようにラルフ殿下の方を向いた。ラルフ殿下は体を二つに折って大笑いしている。


(もう~!!王妃さまはカルミナさまに一体何を吹き込んでいるのよっ!)

あの方にまったく悪気はないのはわかってる。

だが、無邪気すぎるのも困りものだ。

ラルフ殿下がヒーヒー息を切らしながら言う。

「あ…義姉上、傑作だ!エレイン、グリフィス殿下に教えてやれよ。お前も得意だろ、“上にまたがって”のところは―――」


スパァン!!


「セクハラです!!」


平手打ちが見事に決まった。


怖ろしく世間知らずなグリフィス殿下を加え、私の王宮生活はさらに混乱したものになりそうだ―――。



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