小さなレディ 14
「…っ!…はぁっ…はぁっ…」
全速力でグリフィス殿下の部屋の前まで来て、はずんだ息を押し殺す。
以前のように、ドアを細く開けて部屋の中の様子を眺め渡した。
部屋の中には、依然変わらぬ姿で背中を向けて書物を読みふけるグリフィス殿下。
その少し後ろに、カルミナさまが体をこわばらせてじっと立ち尽くしている。
急いで飛び出したせいか、片手に編み物を入れたカゴを持ったままだ。
(よかった…間に合った…!)
泣きわめくという最悪な状況にはなっていないようだ。…しかし、沈黙におされ、カルミナさまの肩が小刻みに震えだす。
(や、やばい、泣く?)
思わず部屋に飛び込む体勢をとるが、カルミナさまは、体にぐっと力を入れて泣くのをこらえた。
(えらい!成長しましたわ、カルミナさま!)
ドアにひっついたまま、ガッツポーズ。しかし沈黙は続く。
「…」
「…」
「…」
ふと、カルミナさまが部屋の隅に置いてあった書架用の踏み台のそばに行き、そこに腰掛ける。
(何をされるつもりかしら?)
カルミナさまは手に持っていたカゴから編み棒と毛糸を取り出し、編みかけのひざ掛けを編みはじめた。
「…」
「…」
「…」
相変わらずの沈黙の中、カルミナさまが震える指で不器用に動かす“カチッカチッ”という編み棒がぶつかる音がかすかに聞こえる。
(そうか…普段し慣れたことをして、気持ちを落ち着かせようというんだわ)
「…」
「…」
「…誰だい?」
(!!)
グリフィス殿下が振り向いた!
今まで誰が来ても、何をしようとピクリともしなかったグリフィス殿下が!
カルミナさまも驚いて、手に持った編み棒を取り落としている。
殿下はあっさりと立ち上がってカルミナさまの目の前に行き、落とした編み物を拾ってカルミナさまに手渡した。
「ああ、君はたしか…カルミナ・リデル嬢だね。新年のパーティでお会いした」
穏やかに話しかける。
カルミナさまは怯えとは別の理由で震えているようだ。
カゴの中の毛糸に目をやり、「これ君の?」と聞く。
カルミナさまは声も出せず、こくこくと頷くばかり。
グリフィス殿下は懐かしそうに毛糸玉にふれた。
「懐かしいな。私の亡き母上はいつも編み物をしていたよ。数多くいた妃の一人でね。父上の関心をひこうといつもピリピリしていた方だった。私のことを見てはくれなかったが、一心不乱に編み物をしているときだけは、母上の膝に寄り添うことを許して下さったよ」
亡き前王の女癖の悪さは有名だった。
何人もの妃や側妾を持ち、使用人や、臣下の妻にも手を出し…。
後宮の女性たちはさぞかし気の休まる時がなかっただろう。
グリフィス殿下の母君はたしか殿下が幼い頃に亡くなったと聞いている。
(だから、何にも反応しなかったグリフィス殿下が、編み棒の音に反応したのか…)
「グ、グリフィスさま!!」
やっと口をきけるようになったカルミナさまが、堰を切ったように叫んだ。
かなり興奮しているのがわかる。
「私を、グリフィスさまのお嫁さんにして下さいっ!!」
(と、唐突すぎます、カルミナさま…!)
「私、私をお嫁さんにして下さい!きっといい奥方になりますわ!お菓子作りも、編み物も習ってます…クッキーとマドレーヌとレモンケーキとブラウニーが作れますわ!もっと練習してむずかしいパイもきっと作れるようになります!苦手だけど、ダンスもマナーもがんばりますわ!何でもできる貴婦人になります!グリフィスさまのお好きな魔法学のお勉強もしますわ!お手伝いします!!だから…だから…」
今まで抑え込んできたものが溢れ出てくるように、息をつく間もないくらいしゃべり続けるカルミナさま。
最後のほうは、大粒の涙をボロボロとこぼし、言葉にならない。
グリフィス殿下は少し困ったような表情でカルミナさまを見つめている。
「僕は学問しか興味がない男だよ。正直、女性とか結婚はどうでもいい。こんな男のお嫁さんになりたいの?」
カルミナさまは頬につたい落ちる涙をぬぐいもせずに頷く。
「はい…!私、12歳の子どもだけど…16歳になるまで待っていて下さい…!お願いです、お願い…!!」
グリフィス殿下は、ご自分のローブの裾でカルミナさまの涙を拭きながら「う~ん」と唸っている。
えんじの髪をがしがしと掻いて、頭が鳥の巣のようになってしまった。
(“待つ”と言いなさい!“待つ”と!女にここまで言わせて、何をのほほんとしてるのよ!)
一言言ってやらなくちゃ、気がすまない!
部屋に飛び込んで加勢しようと身を乗り出した時、大きな手で口を塞がれ、体を羽交い絞めにされた。
「!!」
目を後ろにやると、ラルフ殿下だ。
口もとに人差し指をあて、羽交い絞めのまま、ズルズルとその場から連れ出される。
(~~~!!)
人通りのない廊下の陰まで来て、ラルフ殿下はやっと口を塞いでいた手を離した。
「…もうっ!いきなり何をなさるんですかっ!!」
羽交い絞めにされたままなので、首を後ろに向けて睨みつける。
「お前があそこで出て行っても、できることは何もないだろ。チビは言いたいことを伝えた。あとは当人同士の問題だ」
殿下の言葉に、頭が冷える。
「そう…ですね。私がカルミナさまにして差し上げることはもう…ないですね…」
支離滅裂だったが、カルミナさまの思いはグリフィス殿下に伝わった。
最初、泣きわめいて震えてばかりいた少女が、大した進歩だ。
(私にできることはもうないのね)
巣立っていった小鳥を眺める心境だ。
嬉しいんだけど、寂しい。心にぽっかり穴があいたようだ。
「お前、母親みたいだな」
殿下が笑みを含んだ声で、そう言う。
「…殿下のおっしゃるとおり、私はカルミナさまを甘やかしていました。我をなくしてしまって…申し訳ありません。この件を殿下から任されましたのに」
「いいさ、たまには。我をなくしたエレインなんてそうそう見れるもんじゃないからな」
羽交い絞めにしていた手は、いつの間にか私のお腹のところで組まれ、殿下に後ろからふんわりと抱きしめられている格好になった。
(あたたかい…安心する…)
いつもだと早々に身を離すところだが、今日は少しだけ甘えさせて欲しい。
「エレイン」
「はい」
「子どもが欲しかったら、つくってやるぞ?」
ドスッ!!
間髪いれず、殿下の胴にヒジを入れた。
「ふざけたことをおっしゃらないで下さい!!」
(もうっ!すぐ茶化すんだから!)
手加減なしで思いっきり力を込めたので、さすがにうずくまってゲホゲホ言っている。
そんな殿下を置き去りに、さっさと廊下を歩きだした。
…もう少しだけ、黙って抱きしめていて欲しかったのは、殿下には内緒。




