小さなレディ 8
夜も更け、仕事を終えて、私にあてがわれた部屋で編み物をする。
ラルフ殿下のメイドは私だけなので無論一人部屋だ。
以前だったら編み物をしながらブツブツひとりごとを言う癖があったが、今はもうない。
(本音を出して仕事できるからストレスが溜まらないのかも)
ラルフ殿下に仕え始めた当初は、いつものように、メイドらしく自分の意見を控えて主人を立てることを心がけた。ところがラルフ殿下は顔をしかめて、
「思ってること全部言えよ。俺はおまえの性格もうわかってるしな。言いたい放題言ってくれたほうが面白い」
と言ってニヤリと笑った。
そのあとに「おまえが黙ったままだと気持ち悪い」と余計なことも言ったが。
ラルフ殿下の言ったとおり、王宮の様子も、以前私が勤めていた頃に比べて随分変わった。
以前は権力闘争の緊張感が王宮中にみなぎり、暗い閉塞感が漂っていたが、今の陛下が即位してから風通しのよい明るい雰囲気になった。
代替わりに乗じる政治的な動きももちろんあっただろうが、陛下の人徳と王妃のお人柄によるものが大きいだろう。
(伯爵家も働き甲斐のあるいい勤め先だったけど…。殿下に感謝すべきね。こんなにのびのびした充実した気持ちで働けるんだもの)
普段はなかなか素直に感謝の気持ちをあらわすことができない。
でも私が素直になれないのは殿下の態度にも一因があると思う。
(私をからかって楽しむ悪い癖さえなければいい方なんだけど…)
そんなことをつらつら考えながら編み棒を動かしていると、
「エレイン…」
ギッと小さくドアの音がして、カルミナさまがおずおずと入ってきた。
「カルミナさま、どうなさいました。お腹がおすきになりましたか」
失神してから、夕食時にも目を覚ますことがなかったから、空腹で目を覚ましたのかもしれない。
思わず編み棒を取り落として駆け寄ろうとしたが、先にカルミナさまが走り寄ってきて私の足に抱きついた。ぐすっぐすっとまだぐずっている。
「エレイン、一緒に寝て」
ベッドに一緒に入った途端私に身を寄せてきた。
ふわふわの金髪が顔に触れ甘い香りが鼻腔に満ちる。ミルクっぽい香り。
こういうところからもこの少女がまだ幼いことがわかる。
同じ年頃の少女よりも幼いくらいじゃないだろうか。
「また…グリフィス殿下のまえで泣いちゃった…こ、こんなのじゃ、嫌われちゃう…」
ぐずぐずと鼻を鳴らす。
(グリフィス殿下は、誰が来てるのかすら気にとめてなかったから、嫌われるってことはないと思うけど…)
でもこのままでは何にもはじまらないことは確かだ。
「カルミナさまはひょっとして…男の人が怖いのですか?」
カルミナさまはしゅんと頷いた。
「お、お父さましか知らないから…。他の男の人はおっきくて、怖いの」
(やっぱり。大当たりです、殿下)
「パーティで、お父さまとはぐれて…、まわりの男の人はニヤニヤ笑ってこっちを見るし…怖くて怖くて泣きそうになってたら、グリフィスさまが広間から連れ出してくれたの。“僕もここから抜け出そうとしていたからちょうどいいのです”って」
(それは多分、社交辞令じゃなくてグリフィス殿下の本心だろうなぁ)
その後、控えの従者に説明して、父親が戻ってくるまで客用の寝室で休ませてもらうことになったそうだ。
「私、ベッドに寝かしつけられても、グリフィス殿下に帰って欲しくなくて、ずっと手を離さなかったの。何かお話してくださいってお願いしたら、少し困った顔をしたけどお話してくださったわ。遠い昔の、魔法使いのお話」
カルミナさまは頬をピンク色に染めて嬉しそうに話す。
小さいけれど、恋をしている女の子の顔だ。
「私、男の人は怖いけど…なぜだかグリフィスさまは全然怖くなかったわ。お母さまと同じ香りがしたし…。それにとってもやさしいの」
パーティから帰ってからも、どうしてももう一度会いたくなって、でもどうしたらいいかわからなくて泣き暮らし、リデル侯爵の知るところとなり、王妃さまに話がきた、という経緯らしい。
「でも、お部屋に会いにいったら、声をかけても返事もしてくださらなくって、振り向いてもくれなくって、…まるで違う人の背中みたいで、怖くなって…」
ぐずぐずしくしくと、私の胸に顔を埋めて本格的に泣きはじめる。
「本当にグリフィス殿下がお好きなんですね?」
泣きながら、こくりと頷く。
大人になったら思い出になってしまうような、幼い恋かもしれない。
でも、内気なこの少女がはじめて自分の意志で立ち向かっていこうとしているこの思いを、途中で諦めさせてしまうのは大きな心の傷になってしまうかもしれない。
(結婚話までいかなくても…せめてグリフィス殿下ともう一度話をさせてあげられたら…)
ラルフ殿下の命令だけではなく、私自身の意志でそう思う。
柔らかい身体をギュッと抱きしめて、泣き続けるカルミナさまの目をのぞきこんで、言う。
「よろしいですか。グリフィス殿下に一人前のレディとして見てもらいたいなら、子ども扱いされたくないのなら、もう二度と無駄な涙は流さないことです。お好きな男性の前では“ここぞ”という時にしか涙を見せてはなりません。それがお出来になれないならば、いつまでたってもグリフィス殿下は振り向いてくれませんよ」
カルミナさまはびっくりして息を止めた。
(私が12のころはどうだっただろう)
ちょうど母が亡くなって、王宮に勤めだした頃だ。
ひとりぼっちで、まわりに甘えることもできなくて、早く大人になりたいと、そればかりを考えていたような気がする。
(12歳の子どもでも、真剣に思いつめたらその思いの強さは大人と一緒だわ)
それが無理な背伸びでも。
「わ、わかったわ…もう泣かない」
私の言葉の強さに一瞬ひるんだようだったが、カルミナさまは頬の涙をぬぐって力強く答えた。




