小さなレディ 7
翌日、厨房の隅を借りてカルミナさまとクッキー作りをはじめた。
「粉はいっぺんに入れないで、少しずつ加えていきます。…そう、お上手です」
たどたどしい手つきながら、目を輝かせて一心に作業している。
昨日は泣き顔と寝顔しか見ていなかったが、こうしてじっくり見ていると本当に美少女だ。
まだ幼さが抜けきっていないが、数年後には王宮でも指折りの美女になるだろう。
雪のように真っ白な肌と、赤くて小さい唇。
ふわふわの金髪は早くに亡くなったという侯爵夫人ゆずりか。
青い瞳は察するに父親のリデル侯爵から受け継いだものだろう。
だが、どうも内気というか人見知りが激しいようで、常にオドオドして表情にハリがない。
厨房に来る間も私の手をずっと握りしめて、人が通り過ぎるとスカートの陰に隠れた。
でも、お菓子を作りはじめた途端、急に生き生きとなった。「したことがない」と言っていたが、こういう女の子らしい作業が好きなのだろう。
「カルミナさまは、お屋敷でどんな風に過ごされているのですか?」
カルミナさまの表情が少し曇る。
「…レディになるためのお勉強。ダンスとかマナーとか。お父さまが、最高のレディになるためには必要だっておっしゃるの」
リデル侯爵。娘に甘いとは聞いていたが、教育はしっかりとほどこしているようだ。
「お母上さまはどんな方でしたか?たいそうお美しい方だとうかがっていますが」
「お母さまはとてもお綺麗な方だったわ。私が小さい頃病で亡くなってしまったから、あまり覚えてないんだけど…。私がお見舞いに行くと、いつもベッドから優しく微笑んで下さったわ」
と言って、急にもじもじと顔を赤らめて私を見上げる。
「…お母さまとエレイン、おなじ香りがするの…。だからエレインといると、お母さまのそばにいるみたい…」
香り?
「グリフィスさまからも同じ香りがしたわ。とっても安心できる香り」
(…あ!)
これはおそらく薬草の匂いだ。
病で寝付いていた侯爵夫人は薬湯を飲んでいただろうし、私は日常的に薬草やハーブに触れている。
魔法学の研究や実験をしているグリフィス殿下も薬草を扱っているのだろう。
(それで私になついてこられたわけか)
でも、それだけでグリフィス殿下に恋をした、とは考えにくい。
「カルミナさま。このクッキー、上手に焼けたらグリフィス殿下にお持ちしましょうか」
「えっ…!」
カルミナさまは真っ赤になって、そのあと急に青くなり、目を泳がせていたが、迷った末に小さく頷いた。
ジーナの話によると、毎日殿下の部屋に訪ねていきその度に大泣きして何もできずに終るらしい。
それでも、この内気な少女が気持ちを奮い立たせて何度も挑戦するというのは大したものだ。
今回も泣いて終わる可能性が高いけれど、やってみないとわからない。
(カルミナさまが殿下の部屋でどんな風になるのか一度見てみないと、対策がとれないわ。グリフィス殿下のご様子も知りたいし)
さらに一生懸命になってボウルをかきまぜるカルミナさまを横目に、そんな算段をした。
「さあ、これをお持ちになってグリフィス殿下に差し上げてください。私はここで見守っておりますから」
グリフィス殿下の部屋の前。
でに顔面蒼白で小刻みに震えているカルミナさまに何とかクッキーの入った籐かごを持たせる。
ギコギコ音がするようなぎこちない動きでドアをノックし、恐る恐る部屋へと入っていく。
ドアは細く開けたままにしておき、そこから私が部屋の中を様子をうかがった。
グリフィス殿下は、部屋に誰が入ってこようともまったく動じた様子もなく、窓のほうに身体を向け書物を読んでいる。ここからは黒いローブと寝癖のついたままのえんじ色の髪しか見えない。
「グ、グ、グリフィス殿下…、お、お…、お菓子を、ど、どどうぞ…」
やっと殿下の間近に近寄ったカルミナさまは、震えながら小さい声で声をかけた。
「…」
沈黙。
いくら小さな声とはいえ、あれほど間近で声をかけられて気づかぬはずがないと思うが、依然グリフィス殿下は微動だにしない。
「…あ、あ、あの…あの…」
さらに勇気をふりしぼって声をかけるが、状況は変わらず。カルミナさまの震えはだんだんひどくなる。
(まずい)
身をのりだしたその時。
「う…うえええ~!!」
絶叫ともいえる泣き声がグリフィス殿下の部屋に響き渡る。窓ガラスも震えそうな勢いだ。
(こ、これか)
耳を塞ぎながらも、部屋の中で立ち尽くして泣きわめいているカルミナさまを連れ出そうと部屋に飛び込んだ。
「カルミナさま、お部屋にもどりましょう!ねっ!」
身体を抱きかかえようとするが、前後不覚に泣きながらイヤイヤと身をよじるので、なかなか連れ出すことができない。
(ああっもう!オーディンさんにも一緒についてきてもらえばよかった!)
とにかくカルミナさまをなだめようと必死になっていると、
「何事ですか!?」
と、グリフィス殿下付の小姓が部屋に来てくれた。
「よかった!お願い、カルミナさまをここから連れ出してちょうだい!」
男性ならカルミナさまを抱えられるだろう。
彼は頷いてすぐにカルミナさまに駆け寄った。
「さぁ、お嬢さま。お手をお貸しいたします」
と、カルミナさまに触れようとした瞬間。
「い、いや~~!!こわい~~!!触らないで~!!」
火がついたように、さらにひどく泣きはじめた。近寄った彼も驚いて手をひっこめる。
(こ、これはまさか…)
「男性恐怖症?」
「おそらく。そこまで形のはっきりしたものでないにしろ、男性が近づくと極度に怯えられることはたしかです」
ラルフ殿下の執務室で今日の報告をする。
結局最後は失神してしまったカルミナさまを、小姓に運んでもらってベッドに横たえた。
(あれだけ大騒ぎになったのに、振り向きもしないグリフィス殿下…。すごいを通り越して呆れたわ…)
「そういえば、俺とはじめて顔をあわせたときも泣いたな。リデル侯爵はそんなこと一言も言ってなかったが」
「侯爵はご存じないのでは?」
少し考え込むようにしていたラルフ殿下は、しばらくしてから口を開いた。
「侯爵家の様子を少し探らせたが、出入りの庭師も商人も一度も令嬢の顔を見たことがないそうだ。令嬢を取り囲む使用人はすべて女で、令嬢が手ずから何もしなくてもいいように多くのメイドを抱えてなかなか外にも出さないそうだぞ。ものすごい猫っ可愛がりだ」
「じゃあ、父親のリデル侯爵以外の男性とはこれまでまったく接触のないまま育ってきたと?」
(どうしようもない親バカだ)
「ありうるな。今年の新年祝賀パーティーがカルミナ嬢の社交界デビューだったらしい。そこではじめて父親以外の男を見たんだろう。男性恐怖症の人間がよりによってグリフィス兄上に惚れる、というのは謎だが」
「カルミナさまの男性への恐怖心を取り除かないと、何もはじまりませんね…」
一目ぼれをしたというからには、出会ったその時にはグリフィス殿下に対する恐怖心はなかったと思われるが、今ではもう背中ごしであの始末だ。
王妃さまのところはメイドばかりの女の園だから、カルミナさまのこうした状況には気づかなかったのだろう。
(どうしたらいいんだろう…)
考え込んでいると、ラルフ殿下があっけらかんとした口調で言った。
「早い話、男っていうものに慣れさせればいいんだろう。王宮には男がゴロゴロいるじゃねえか。明日から王宮を連れまわせばいい」
「そんな乱暴な…」
「早くこの件を片付けて俺の傍に戻ってこいよ。世話をやくのがオーディンじゃ、仕事のやる気も出ない」
「この件を私にふったのは殿下ですよ!勝手なことをおっしゃらないで下さい!…そうだわ」
いつもの調子で殿下を怒鳴りつけ、その拍子にいい考えが浮んだ。
「殿下の仕事ぶりを見張ることができて、カルミナさまにも男性を慣れさせる、いい手がありますわ」




