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伯爵家のメイド 16


翌朝。

誰にも見つからないよう、こっそりと厨房の裏にまわる。

この時間だと朝食の片付けをすべて終えたマーサさんが一人でいる頃だ。

「マーサさん」

小窓から、小声で呼びかける。

マーサさんは驚いた顔をしながら駆け寄ってきてくれた。


「エレイン!あんた、ゆうべヴァルターさまに手を出されかけて殴って逃げたんだって!?

ヴァルターさまはカンカンだったよ!…かわいそうにねぇ、あんたみたいにいい子にまで手を出さなくってもいいのにねぇ…。こういっちゃなんだけど、ヴァルターさまは自業自得だよ!」

マーサさんは目に涙を浮かべて同情してくれる。

「でも、あんた、これからどうするんだい?噂では恋人がいるって話だけど…。その人と一緒にこの土地を離れるのかい?」


恋人って…。

アレックの噂話が、マーサさんにまで伝わっているのか…。

ちょうどいいのでその話に乗っかることにする。


「そうなの。彼と一緒にここを離れるつもりなの。でも、ゆうべ着の身着のままで飛び出してしまったから、今何も持っていないのよ。マーサさん、お願い。私の部屋からお金だけでも持ち出してきてくれないかしら?こんな迷惑なこと頼んで、とっても悪いと思うんだけど…」

そう言うと、マーサさんは「迷惑なことがあるもんかね!」と、お金の置き場所を聞き出すと、「そこで隠れて待っておいで!」と言って厨房から飛び出して行った。


(騙してごめんね、マーサさん)

心の中で謝りながら、厨房の隅にある残飯入れのところに行き、用意した眠り薬を混ぜ込んだ。




マーサさんと別れたあと、屋敷の裏が見渡せる少し離れた物陰に隠れて待機した。

しばらくすると、マーサさんが犬小屋にエサをやりにやってきた。

遅効性の薬だから、マーサさんに怪しまれずに犬を眠らせることができるだろう。


(……。)


薬の効き目を自分で分かっていても、緊張する。失敗したらどうしよう…。


マーサさんが屋敷に戻るのを見届けて、待つことしばし。キャンキャン吠えまわっていた犬たちが、一匹ずつ静かになっていく。

(やった!)

これで次の行動にうつれる。

私は全部の犬が眠り込んだのを確認して、物陰からそっとはなれ、教えられた抜け道をとおって、奥さまの部屋の窓に近づいた。




コンコン。

「奥さま!エレインです!」

窓を叩き、小声で呼びかける。

しばらくすると、ためらいがちに窓が開いた。

「まあ、エレイン…!」

「しっ!私はアレンさまの命を受けています。私を信じて、このまま私についてきてください。安全なところまでお連れします」

驚きの表情を浮かべた奥さまは、はじめ訝しげだったが、“アレンさま”の名前を聞くと、目を見開き、しっかりと頷いて下さった。

「さあ、まいりましょう。私の手につかまってください」


ちらりと部屋の時計をみると、正午にはまだ間があった。

屋敷内の様子から見ても、まだ来客が来たようではない。

ずっと寝たきりで足弱になった奥さまをゆっくりお連れしても、小屋にたどりつくまでには充分時間がある。

私はいくぶんほっとして、しかし気を抜かずに奥さまの手を引いて歩き出した。




「お疲れになったでしょう。お楽になさってください」

なんとか無事に小屋にたどりついたが、久しぶりに長く歩かれた奥さまは相当お疲れのようだ。

椅子に座ってもらい、リラックス効果のあるハーブティーをお出しする。

お茶を飲まれている間、私は知っている限りのことを奥さまに説明した。

話し終わったあと、奥さまは申し訳なさそうに私を見やった。

「ごめんなさいね、エレイン。危険なことに巻き込んでしまって…。

私としては髪の染粉のことだけ、あなたにお願いしたかったのだけど…」

何度も「ごめんなさいね」と繰り返す奥さまに私は慌てた。

「いいえ!奥さま、いいんです。これは私の意志で決めたことです」

少し笑って、続けた。

「失礼ですけれど…。奥さまを見ていると亡くなった私の母を思い出すんです。もちろん、奥さまのほうがずっとお綺麗ですけれど。

私の母もメイドでした。一人で私を育てるために、幼い私を祖母にあずけて王宮でずっと働いていました。たまの休みに私に会いに来ると、“いつもそばにいてあげられなくてごめんね”って悲しそうに言うんです。自分がそばにいてあげられないかわりに手作りのウサギのぬいぐるみをくれて…。

その母の悲しそうな顔が、アレンさまのことを思って悲しそうにされる奥さまに重なるんです。…奥さまには笑顔でいてほしい。お仕えしながら、ずっとそう思っていたんです」


そう。ずっと歯がゆく思っていた。

奥さまの悲しみを癒してさしあげられない自分が情けなくて。

しょせん、メイドでは何も出来ないと半ばあきらめていた。

あの男が突然私の日常に現われたことは、確かに静かな日常をぶち壊す迷惑なものには違いなかったけれど、この停滞した日々を誰かが壊してくれることを、心の底では願っていたのかもしれない。


奥さまは私の話を聞いて、「そう…。ありがとう、エレイン」と静かにやさしく微笑まれた。

いつもの悲しみが影をひそめた、あたたかい笑みだった。





それからは、奥さまと小屋の中で二人、迎えが来るのを待った。

あと私にできることはない。

一応、万一のために懐剣を忍ばせてはいるけれど、絶対に成功するだろうと、心のどこかで男を信じていた。

いけすかない男だが、彼の全身からみなぎる絶対の自信は、そのまま私も素直に信じることができた。


短くて、長い時間が過ぎた。


トン。トン。トトン。

「!!」

打ち合わせどおりの拍子のノックが鳴り、飛びつくようにドアを開けた。

「すべて終わったよ、エレイン」

そこには、穏やかな笑みを浮かべたアレンさまが立っていた。


「アレン!!」

奥さまが小屋の奥の椅子から立ち上がってアレンさまに近寄ろうとする。

アレンさまは急いで奥さまに駆け寄り、よろけた奥さまを抱きとめた。


「アレン!!生きていてよかった…!私は…信じていました」

アレンさまの胸に顔を埋める奥さま。

低くやさしい声で小さく奥さまに語りかけるアレンさま。


私はそっとドアの外に出た。


奥さま、良かった…。本当に良かった…!




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