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第99話 新たな決まり事

「♪~♪~」


 聞き慣れない音楽が耳に届き、悟の意識を強制的に覚醒させる。


「ん……。何だよ、このアラーム」


 瞼をこじ開けて音の出所を探れば、亜梨栖ありすのスマホだった。

 右手だけを動かして強制的に停止させ、時刻を確認する。


「今日から学校だもんな。そりゃあこの時間に起きるか」


 ゴールデンウィーク最終日は午前中をベッドで、午後はリビングで普段通りに過ごした。

 とはいえ距離は近かったし、偶にキスをねだられたのだが。

 それでものんびりとした日常で最終日を終え、一緒のベッドで寝たのだ。

 結果としてアラームで叩き起こされたのが悟だけなのは、皮肉としか言いようがない。

 そしてアラームを掛けた本人はというと、悟の胸に顔を埋めて緩みきった笑みを見せている。


「ん、ふ……」


 楽しい夢を見ているようで、亜梨栖が小さな笑い声を漏らした。

 彼女の表情があまりにも気持ち良さそうで、起こすのを躊躇ためらってしまう。


「まあ、早く起きて準備するのも悪くないか」


 悟達は朝食の役割分担をしておらず、亜梨栖に任せっきりだったのだ。

 偶に悟が用意する時もあったが、回数は片手で数えられる程に少ない。

 ならば、これからはアラームで起きる悟が準備しても良いだろう。

 眠気はあるものの、亜梨栖の朝食を作れるのなら苦にはならない。


「ちょっとごめんな、アリス」


 なるべく亜梨栖を起こさないように、そっと彼女の頭の下から腕を退ける。

 代わりに悟が使っていた枕を差し込めば、頭が揺れた事が不快だったようで形の良い眉がしかめられた。


「む、ぅ……」

「ごめんごめん。大丈夫だからな」

「ん……」


 悟が朝食の準備をするのだから、亜梨栖にはギリギリまで寝ていて欲しい。

 あやすように頭を撫でると、彼女の顔が安らかなものへと変わった。

 安堵に胸を撫で下ろし、ベッドを揺らさないようにそっと抜け出す。


「うし、ミッション完了だ」


 妙な達成感に浸りつつ、歯磨き等の身だしなみを整える。

 着替えに関しては焦る必要などないので、次は料理だ。

 フライパンを火にかけ、卵とウインナーを取り出す。

 味噌汁は悟も亜梨栖も朝はインスタントで構わないので、お湯を準備すればいいだけだ。

 フライパンが温まったので卵を落とし、ついでに端の方でウインナーを焼く。

 他の家はどうか知らないが、悟達流の調理をしていると、自室の扉が開いた。

 普段の綺麗な所作はどこに行ったのかと思えるくらい緩慢かんまんな動きで、亜梨栖が部屋から出てくる。


「何か、音がする……。お兄ちゃん、どこ……?」


 芯の入っていないふにゃりとした言葉から察すると、悟の温もりが無い事に気付いて起きてしまったらしい。

 それほどまでに求めてくれている事が嬉しくて、悟の唇が弧を描く。

 ただ、亜梨栖をこのまま放っておく事も、再び寝かしつける事も出来ない。

 フライパンに注意しつつ、キッチンから声を掛ける。


「おはよう、アリス。取り敢えず顔を洗ってきたらどうだ?」

「ふわぁ~い」


 欠伸あくび混じりの返事をしつつ、亜梨栖が洗面所に向かった。

 この後の展開を予想しつつ、目玉焼きとウインナーが焼き上がったので皿に盛っていく。

 リビングのテーブルに乗せた瞬間、勢い良く洗面所への扉が開かれた。


「兄さん!? 何をしてるんですか!?」

「え? 朝飯を作ってただけだが」

「私がするので寝ててくださいよ! 兄さんは仕事なんですし、ギリギリまで寝ているべきです!」

「そうは言っても、起きたのは仕方ないだろ。何か、二度寝する気分じゃなかったし」


 亜梨栖の目覚ましで目が覚め、彼女を起こして一人だけ二度寝するのが嫌だったなど言えはしない。

 そもそも、そんな事をすれば罪悪感に襲われて絶対に寝付けなかっただろう。

 適当に誤魔化して味噌汁等の準備に移るが、亜梨栖は納得のいかなさそうに眉を顰めている。


「……散々私が作る言ってますし、それだけの理由で兄さんがご飯を作るはずがありません」

「俺、ぐうたら過ぎるって呆れられてないか?」

「いえ、そういう訳じゃないんですよ。こう、腑に落ちないというか……」


 出来ればあっさりと流して欲しいのだが、亜梨栖は立ったまま思考を続けた。

 そして悟にとっては悪い事に、原因が思いついたようで顔をさっと青ざめさせる。


「も、もしかして、私の目覚ましですか?」

「……………………さてと、お湯を入れて味噌汁は完成だな。後は米と」

「そうなんですね!? そうなんですよねぇ!?」

「知らん知らん。さあ食べるぞー」

「に、い、さ、ん!」


 何が何でも話を逸らそうとしたのだが、亜梨栖が腰に手を当てて問い詰めてきた。

 その割には顔が申し訳なさに彩られ、瞳が潤んでいるのだが。

 悟を起こしてしまったと気に病みながらも怒る姿に、誤魔化しを諦めて重い口を開く。


「アリスのアラームで起きたのは確かだけど、その後は俺が勝手にやった事だ。アリスが気にする必要はないぞ」

「う、うぅ、やっぱりそうですよねぇ……」


 亜梨栖が絶望に打ちひしがれたような表情でテーブルに着き、朝食を摂り始めた。

 ただでさえ華奢きゃしゃな肩が、今はいつも以上に小さく見える。

 とはいえ悟が声を掛ければ追い打ちになってしまいそうで、無言で食事を終えた。

 手を合わせて食材に感謝をすれば、亜梨栖が決意を秘めた瞳で悟を見つめる。


「私、次の日が平日の時は兄さんと寝ません」

「そこまでするものじゃないだろ……。それでいいのか?」


 何度も亜梨栖は一緒に寝たがっていたし、昨日も寝る前はご機嫌だった。

 にも関わらず、悟が寝ている間に朝食を準備したいというだけで、自らの欲望を捨てるのだ。

 本心では嫌だろうと悟が確認を取ると、亜梨栖が痛い所を突かれたかのように無言で目を逸らした。

 それでも譲れない事のようで、ぐっと感情を飲み込むように瞬きした後、強い視線が向けられる。


「構いません。兄さんを起こさず私が起きるにはこれしかないですから」

「分かったよ。別々に寝るのが無理してるっていうのは変だけど、無理はしないでいいからな」


 亜梨栖に起こしてもらうようにお願いされれば、悟は間違いなく今日と同じ事をする。

 例え、亜梨栖が「絶対に起こして欲しい」とお願いされてもだ。

 その事を十分に理解しているからこそ、絶対に悟を起こさない選択肢を取ったのだろう。

 分かり合っているが故のやりとりに頬を緩めつつ、亜梨栖を気遣った。


「まあ、これまでと殆ど同じになったと思えばダメージを受けても立ち直れますが、それ以外の日は覚悟してくださいね」

「そんな獲物を見るように言われると怖いんだが……」


 全く甘くなく、真剣そのものの表情で宣言した亜梨栖に苦笑を零す。

 とはいえ彼女にとっては一大事のようで、皿を纏めながらむっと唇を尖らせた。


「兄さんと寝るのは、私にとってご褒美なんですよ? マジになるに決まってます」

「……好きにしてくれ」


 ここまで来たら亜梨栖は意見を変えないし、悟も強引に変えさせるつもりはない。

 後片付けを任せて肩を竦め、自室に戻って出勤の準備をする。

 早めに終わったので亜梨栖の髪を手入れしようかと思ったが「自戒の意味も込めて今日は自分でします」と断られた。

 そしてお互いに準備を終えて、玄関で靴を履き替える。

 外に出ようと思った所で、シャツの裾を引っ張られた。


「どうした?」

「あ、あの、日中は会えませんし、その……」


 頬を紅色に染め、もじもじと居心地悪そうに体を揺らす姿に悟の心臓が忙しい事になる。

 亜梨栖の要求を正確に把握出来た事も、心臓の鼓動が早まっている要因の一つだ。

 髪の手入れは断ったが、その要求は別問題らしい。

 思わず抱き締めたくなる可愛さの亜梨栖にくすりと笑みを落とし、滑らかな頬に触れた。


「ぁ……」


 深紅の瞳が期待と歓喜に染まり、瞼の裏に隠れる。

 何かの到来を待つ亜梨栖の唇へと、悟のものを軽く触れさせてすぐに離した。


「今日からこれも忘れないようにしないとな」

「…………はい」


 結婚もしていないのに新婚夫婦のようなやりとりだが、少しも悪くなく、むしろ胸が温かいものに満たされる。

 ふにゃりと蕩けた笑顔の亜梨栖と共に、家を出るのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] そうか、結婚してからはや1週間かぁ(違 つまりアリスはスヌーズ機能でなんとか起きてたってことですかね?ここまで起きれないとなると一回の目覚ましじゃ起きれなさそうですが。
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