第98話 ゴールデンウィーク最終日
亜梨栖とベッドでだらだらしていたが、流石に腹は減ってしまう。
なのでリビングに移動して昼食を摂ったものの、その後はこれまでの悟達と同じくソファで寛いでいる。
昨日の気まずい空気や、ベッドでの甘い空気などなかったようだ。
しかし距離が近いのは今更だし、これ以上近くなると流石に動き辛くなってしまう。
悟は別に構わないが、亜梨栖の邪魔はしたくない。
「……こうしていると付き合っていない時と変わりませんね」
亜梨栖も似たような事を考えていたらしく、嬉しさと呆れの混じった声が隣から聞こえてきた。
芸術品のように整った顔は柔らかく笑んでいるので、嫌ではないらしい。
「付き合ったからって全部を変える必要はないだろ? アリスが普段から不満に思ってる所があれば変えるけどさ」
「確かにそうですね。それに、兄さんとの生活に不満なんてありませんよ」
「そう言ってくれると助かる。でも、言いたい事やしたい事があるなら遠慮しないでくれよ?」
悟もそうだが、亜梨栖も相手が本当に嫌がるならば自分の意見を曲げてしまう性格だ。相手に合わせる、と言ってもいいかもしれない。
なので悟は本当に今の距離に不満はないが、亜梨栖が違う可能性はある。
そもそも、いくら幼馴染であっても、恋人であっても、全ての考えが同じだと思うのはおこがましい。
心配になって亜梨栖の顔を覗き込みながら尋ねれば、深紅の瞳が意地悪気に細まった。
「そうなんですよねぇ。なら、今まで通りゆっくりしましょうか――と言いたい所ですが、やってみたい事があるんですよ」
「……どうせロクな事じゃないんだろうけど、好きにしてくれ」
こういう場合の亜梨栖の提案で、悟の心臓は毎回忙しい事になっている。
とはいえ止める理由もなく、諦めの境地で許可した。
投げやりな態度を取られたのが心外だったのか、亜梨栖がむっと唇を尖らせる。
「兄さんに迷惑を掛けるような事なんてしませんよ。失礼ですね」
「迷惑という点で見れば、確かに前から掛けてないんだけどなぁ……」
亜梨栖がしてきた事を迷惑だと、そして嫌だと思った事は一度もない。
しかし悟の欲望を膨れ上がらせているのは確かなので、大変ではないと口にするのは嘘になる。
引き攣った笑みを落とせば、亜梨栖が立ち上がって腰に手を当てた。
「ならいいでしょう? では、そのままジッとしていてくださいね」
そう言うやいなや、亜梨栖が悟の正面に立って後ろを向く。
次の行動を予測して身を固める悟の膝へと、躊躇する事なく乗ってきた。
普段着越しに伝わる臀部や、お互いに短めのズボンを履いているせいで触れ合う太腿が柔らか過ぎる。
そして膝に乗せているせいで、亜梨栖の顔はすぐ傍だ。
ふわりと香ったシトラスの匂いに、悟の心臓がどくりと跳ねた。
亜梨栖という存在をこれでもかと感じてしまい、ぐっと奥歯を噛んで理性を縛り付ける。
そんな悟を、至近距離から悪戯っぽい瞳が見つめた。
「そんなに緊張してどうしたんですか? 朝は抱き合って寝てましたし、先日お風呂でも似たような事をしたでしょう?」
「いや、朝と全然状況が違うし、膝に乗られてるんだ。風呂とも違うだろ」
亜梨栖の肌の感触、という点で見れば一緒に風呂に入った時よりも抑えられている。
また、スクール水着という体のラインがくっきりと出るものに身を包んでいないお陰で、何とか理性は保てそうだ。
しかし膝に乗られているのは確かだし、柔らかな臀部の感触をしっかり堪能してしまっている。
あくまでマシというだけで、そこから意識を逸らすのは決して簡単ではない。
勿論、朝とは違った密着の仕方をしているせいでもあるのだが。
何にせよ悟の理性に悪く、緊張するなというのが無理な話だ。
少し動けば唇が触れ合いそうになる距離で呆れると、亜梨栖が楽し気に微笑し、吐息が悟の頬に触れた。
「でしたら、この状況を沢山堪能してくださいね」
「……いいだろう、覚悟しろよ?」
今日の朝もそうだったが、もう悟には亜梨栖との触れ合いを遠慮する必要はない。
とはいえやり過ぎると悟の欲望が暴走してしまうので、亜梨栖の腰に手を回す程度に留める。
風呂とは違って母性の塊に触れる事はない。
代わりに亜梨栖を引き寄せる形になってしまい、甘い匂いが一段と濃くなったが、まだ我慢できる。
急に抱き寄せられて亜梨栖がぱちくりと目を見開いたが、すぐに蕩けた笑顔になった。
「ふふ、兄さんに捕まっちゃいました」
「あれこれと俺を誘惑する悪い子におしおきだ。暫く放す気はないぞ」
「なら、もっと誘惑すれば、ずっと捕まったままでいられますか?」
「……しまった。そう来たか」
悟に拘束されるのを喜び、甘さを帯びた笑顔を浮かべる亜梨栖。
失敗を悟って苦い笑みを浮かべると、彼女が僅かに悟へと振り返り、唇の端を吊り上げた。
「当然じゃないですか。まだまだ甘いですね」
「はぁ……。まいったよ。好きなだけここに居ていいから、なるべく大人しくしてくれ」
「はぁい」
悟を揶揄って満足したのか、それとも元々逆らう気はないのか、亜梨栖はジッとしてくれた。
ほぼ同じ高さに顔があるのは違和感だが、それでもテレビを見たりスマホを眺めたり等、普段と変わらない時間を過ごす。
「……昔のように膝に乗っても、見える景色は全然違いますね」
突然聞こえた小さな呟きには、哀愁と歓喜が混じっていた。
おそらく昔のように悟に包まれなくなったという悲しさと、成長できたという喜びがない混ぜになっているのだろう。
「そりゃあそうだろ。俺も、亜梨栖が重くなったって実感してるよ」
昔の亜梨栖も今と同じように悟の膝に乗って来る事があったが、彼女の体は成長したのだ。当然、昔のようにはいかない。
悟が腕を回すだけで包み込めていた体は、腕を腰に回すだけしか出来なくなっている。
そして人形のように軽かった体重も、しっかりと女性らしい重さになっていた。
しみじみと呟けば、銀の髪から覗く耳が真っ赤に染まる。
「……もしかして、無理してますか?」
「ああいや、そういう訳じゃないんだ。変な事言って悪かった。単に、膝に乗られるだけじゃなくなったなって思っただけだ」
つい口にしてしまったが、女性に体重の話をするのはマナー違反だ。
決して嫌ではないのだと亜梨栖の頭を撫でれば、美しい顔から負の色が抜ける。
「なら良かったです。ダイエットしなきゃならないと思いましたよ」
「アリスにはそんなの必要ないだろ。細すぎるくらいだっての」
腰に手を回しているので亜梨栖の細さは分かってしまうし、そもそも一緒に風呂に入った際に知ってしまっている。
悟の体質を羨む亜梨栖だが、むしろ彼女は殆どの女性から羨望を受ける立場だろう。
きゅっと腕に力を込めると、深紅の瞳が恥ずかし気に揺らいだ。
「……今思うと、私の体型って兄さんにバレバレなんですよね」
「おう。申し訳ないけど把握済みだ。具体的な数値は知らないけどな」
「別に口にして困るようなものでもないですけど、流石に止めておきます」
「そうしてくれ。俺も理性に悪い」
散々悟を誘惑してきた割に体型を知られる羞恥はあるらしい。
また、悟も何とか断ったが、頬に熱が集まっているのを自覚している。
お互いに頬を染めるが、決して離れようとはしない。
「でも、兄さんの膝に乗って抱き締められるの、気持ち良いですよ」
「俺も、こうしてアリスを抱き締めるのは良いな」
心臓の鼓動はうるさく、頬は熱いまましっかりと体をくっつける。
それでも、胸を満たしている感情は羞恥だけでない。
幸福感に満たされつつ、ゴールデンウィーク最終日はゆっくりと過ぎていくのだった。




