第9話 目指した味
その後は再び亜梨栖に挑み、惨敗を喫しては再戦を申し込むのを繰り返した。
気付けばもう少しで晩飯時であり、カーテンの隙間から入ってくる光も無くなってきている。
「そろそろご飯の準備をしますね」
「頼んだ。手伝いは要るか?」
「いいえ。兄さんはゲームの片付けをお願いします」
「分かったよ」
悟の家のキッチンは二人並んで料理が出来るゆとりがあるのだが、どうやら手伝いは必要ないらしい。
強引に手伝っても怒られそうだったので、リビングの片付けを行う。
すぐに片付けは終わり、手持ち無沙汰になった。
先程は断られたものの、何か出来る事はないかとキッチンを覗き込む。
「やっぱり手伝おう、か……」
自分の家のキッチンに、女性が居る。
それが美しく成長した幼馴染であり、唇を引き結んだ真剣な表情だった事で、その光景に見惚れてしまった。
ともすれば、先程までゲームをしていた人とは別人とも思えてしまう。
しかし紅に輝く瞳が悟を見た事で、現実に引き戻された。
「別にいいですよ。私が作るって言ったでしょう?」
「いや、待ってるだけってのも暇なんだよ」
「適当に時間を潰してください。ほら、戻って」
意地でも手伝わせる気はないらしく、亜梨栖が悟に近付いてくる。
このままでは体に触れてしまいそうで、後ずさりして距離を取った。
それでも彼女は近付いてくるので、つい彼女に背を向けてしまう。
柔らかく、少しひんやりしたものが悟の背に触れ、心臓が騒ぎ立てる。
「さあ、リビングへ」
「分かった、分かったから」
思ったよりも強い力で押され、リビングへと戻ってきた。
ようやく亜梨栖の手が背中から離れたので、振り向いて彼女へと視線を向ける。
亜梨栖はというと、文句を言いたそうに腰に手を当てていた。
「兄さんは待っていればいいんです。昔料理していたとはいえ、今は私が作る番なんですから」
「どっちが作るとかじゃなくて、単に手伝った方が手間が省けると思っただけなんだが」
「そういう訳にもいきません。これは住まわせてもらう上での、私の役割なんですから」
「……役割?」
本来言葉にするつもりはなかったようで、悟の呟きに亜梨栖がしまったという風に顔を顰めた。
それから顎に手を当てて悩み始め、話す決意が出来たのかおずおずと口を開く。
「私はまだ高校生ですし、住まわせてもらうのに兄さんに何も返せません」
「いや、奏さんからアリスの食費とかもらう事になってるし、気にしないでいいんだけど」
亜梨栖を家に住まわせる上で、悟が負担する費用というものは非常に軽い。
家賃も便宜を図ってくれるだけでなく、亜梨栖の食費等も出してくれるのだから。
なので、彼女が何かを頑張る必要はないのだ。
だが亜梨栖としては納得が出来ないようで、不満そうに唇を尖らせる。
「それはそうですが、お母さんや兄さんに甘えっぱなしというのが嫌なんですよ。この家に住まわせてもらうのですから、何か役に立ちたいです」
「それで料理と」
「そうです。兄さんの食生活が悲惨なものでしたし、ちょうどいいかなと。それと部屋の片付けも私がしますよ」
「うーん……」
以前までの悟の生活から、掃除や炊事等を何もしないと思われているのだろう。
だが亜梨栖が住むのだから生活を改めるつもりだったし、飯に関しても主な所は亜梨栖に譲ったが、手伝いはするつもりだった。
(でもこの様子だと、これからも手伝いを断るよなぁ……)
突然押しかけて同居を提案した者として、周囲に甘え続けるのが嫌だという気持ちは理解出来る。
彼女の立場が保護者の庇護下である高校生という事が、その決意を余計に強くさせているに違いない。
少し悩んだものの、条件付きであればいいだろうと判断した。
「分かった。でも今から言う事をしっかり守ってくれ」
「はい」
「絶対に無理しない事、掃除とか飯を作るのが辛かったら必ず言う事。守れるか?」
「でも……」
「部屋は掃除しようと思えば掃除出来るし、料理だってコツを忘れちゃいない。やろうと思えば出来るんだ。信用して欲しい」
亜梨栖達が来るという事で部屋を大掃除したが、完璧な出来になっているはずだ。
元々実家の掃除を彩から任されていた事もあり、出来ない訳ではない。単にやる気が湧かなかっただけだ。
それは料理も同じで、何も出来ない程に忘れてはいない。
亜梨栖の言葉を遮り、真っ直ぐに深紅の瞳を見つめれば、彼女が仕方ないなという風に溜息をついて頷いた。
「分かりました。絶対に無理はしません」
「約束だからな」
「はい」
「それじゃあ、悪いけど晩飯を頼む」
「任せてください」
亜梨栖がくるりと身を翻し、キッチンへと戻る。
その後姿を見つつ、ソファへと腰を下ろして体を力を抜く。
朝から大掃除、亜梨栖との再会、先程までのゲームと、この一年間では有り得ない程に休日が充実していた。
そのせいか、ジッとしているとだんだん瞼が重くなってくる。
亜梨栖の調理の音が眠気を誘い、目を閉じるのだった。
「兄さん、起きてください」
鈴を転がすような声と体を優しく揺さぶられる感覚に、意識が浮上する。
ゆっくりと目を開ければ、視界の殆どを美しい少女の顔が埋めていた。
「うわぁ!」
「起きましたね。……そこまで驚かれるとは思いませんでしたが」
亜梨栖がほんのりと不服そうな顔をしつつ体を離す。
人の顔を見て驚くのはマナー違反なのかもしれないが、かなり近い距離に美少女の顔があったのだ。声を上げるのは許して欲しい。
吸い込まれそうな程に澄んだ紅玉の瞳や、シミ一つない瑞々しい頬、柔らかそうな唇を思い出し、心臓が激しく鼓動する。
「いや、そりゃあそうだろ。びっくりするって」
「ただ起こしただけじゃないですか。昔も同じ事をしてたのに、変な人ですね」
「……まあ、そうなのかもしれないけどさぁ」
呆れ交じりの視線を受け、苦笑を零す。
昔と今とでは亜梨栖の見た目が違い過ぎるのだが、口に出すと彼女を意識していると言うようなものだ。
亜梨栖は悟が起きればそれでいいようで、テーブルへと向かっている。
「ご飯が出来ましたよ。寝起きですが食べますか?」
「もちろん。滅茶苦茶腹が減ったんだ」
寝起きでも腹は容赦なく空腹を訴えてきており、今すぐに食べたい。
テーブルに移動すれば、肉じゃがにほうれん草のおひたし、味噌汁とこれぞ和食という料理がずらりと並んでいた。
「おぉ……」
「こんなの、昔はいつも兄さんが作ってたじゃないですか」
「それはそうだけど、アリスが作ったってのに驚いてるんだよ。頑張ったな、アリス」
全く料理が出来なかった亜梨栖が、こんなにも美味しそうな晩飯を作ってくれたという事実が嬉しいのだ。
素直に賞賛の言葉を送れば、真っ白な頬にさっと朱が混じる。
「……まあ、それなりには。取り敢えず食べましょう」
「だな。こんなに美味しそうなんだ。冷やすのは勿体ない」
焦ったように話題を逸らす亜梨栖にくすりと笑みを零し、テーブルについた。
きちんと手を合わせ、まずは肉じゃがへと箸を伸ばす。
しっかりと火は通っているようで、少し力を込めればじゃがいもが綺麗に崩れる。
口に含むと、出汁とじゃがいもの風味が口の中に広がった。
「うん、うまい」
「……そうですか」
亜梨栖がほうと安堵の溜息を吐き出す。
自信はあったようだが、悟に食べてもらうまで内心では不安だったのだろう。
悟とて初めての料理を亜梨栖に出す際は不安で胸が一杯だったので、気持ちはよく分かる。
「本当に美味いぞ。ほうれん草にもしっかり味が染みてるし。何というか、凄く食べやすい」
「それはそうでしょうね。これは兄さんの味ですから。再現出来て良かったです」
「俺の味? 俺は亜梨栖に教えてなんかないだろ」
妙に箸が進むと思ったが、確かに味付けは悟のものに非常に似ていた。
首を捻れば、彼女が懐かしむように目を細める。
「ええ。でも、私はずっと兄さんの料理を食べていたんです。味を覚えるに決まってるでしょう?」
「まさか、それだけで再現を?」
「はい。私にとっては、兄さんの味が家の味でしたから」
奏が忙しくて料理が出来なかったからか、どうやら亜梨栖の中では悟の料理が基準だったらしい。
悟の味に近付ける為にどれほど努力したのか、既に食べられない料理を目標とするのがどれだけ苦しいのか、悟には想像もつかない。
嬉しさや申し訳なさで心がぐちゃぐちゃになる。
ただ、これほどの料理を作ってくれた亜梨栖には、心からの労いの言葉を送るべきだ。
「ありがとう、アリス。味わって食べるよ」
「…………そうしてください」
亜梨栖が小さく呟き、黙々と箸を動かす。
ほんのりと頬が朱を含んでいるのは、きっと気のせいではないのだろう。
少しだけむず痒い空気の中、優しい味の料理に舌鼓をうつのだった。
明日からは二十時投稿にします。




