第85話 邂逅
「何だか凄い事になったなぁ……。この家に四人も招待するなんて初めてだぞ」
「手狭なのは仕方ないでしょうね。全く、あの人は……」
ゴールデンウィークも五日目となった。
今日は会社の同期や友人である、信之や佳奈が遊びに来る日だ。
それだけならば、悟と亜梨栖の母である彩と奏が来た時と変わらない。
しかし、なぜか来客が倍にまで増えてしまったのだ。
その一番の原因である親友に、亜梨栖が遠慮なく悪態をつく。
「柊さんは一度遊びに来たからって遠慮しなさ過ぎです。『お姉ちゃんが行くなら私も行く!』とか言って余計な手間を増やすんですから」
「流石に男女比が偏るからって信之に連絡したら、こっちはこっちで『じゃあ嫁とならいいよね?』って言うしな……」
高校生をカウントに入れるのはいかがなものかと思うが、信之の嫁が来なければ未婚の女性が三人になる。
そんな場所に夫が向かうなど、普通の人ならば許可しない。
なので話が流れるかと思ったのだが、まさかの提案をされて大所帯になってしまった。
普段から惚気を聞かされており、明るい人だとは想像していたが、ここまでとは思わなかった。
もちろん信之の嫁に関しても、悟達の事情を他人に漏らさないように約束してもらっている。
「まあ柊に関しては事情も知られてるし、いきなり来ても構わないけど」
「えぇ……? ある意味一番関係のない人ですよ? 突っぱねたら良かったじゃないですか」
「ホントあの子に容赦ないなぁ……」
仲が良いが故の悪態なのは分かっているし、何だかんだで亜梨栖は佳奈の妹である真奈を歓迎するはずだ。
ある意味では悟以上に感情をぶつけているが、同年代がゆえだろう。
引き攣った笑みで呟いた悟へ、亜梨栖が平坦な顔で肩を竦めた。
「だって今日の目的は、兄さんの友人との顔合わせなんですよ? それがどうしてこんな事に……」
「いつの間にか単に飲む為に集まるみたいになってるもんな」
大学時代のノリを思い出し、懐かしさに笑みが零れる。
とはいえ、高校生二人に社会人四人の集まりだ。信之の嫁がどの立場かは知らないが、普通に考えれば社会人だろう。
しかも男女比一対二と、昔からは考えられない程に華がある。
あくまで華があるだけで、亜梨栖から気持ちを外す事はないのだが。
「そうなんですよね。なのに、柊さんが来て兄さんは喜ぶんですか?」
深紅の瞳は寒気がする程に澄んでおり、華奢な背から静かな圧が発せられている。
こてんと小首を傾げる姿は普通なら可愛いはずが、心臓が締め付けられる気がした。
「変な意味は無いぞ。俺達が飲む時に、アリスが一人になるからな。でも、柊さんが居るなら安心出来るって事だ」
決して亜梨栖を除け者にするつもりはない。しかし飲む人と飲まない人では、どうしてもテンションに差が出てしまう。
それが彼女にとって辛いかもしれないと危惧していたが、同じ境遇の人が居れば気も紛れるだろう。
しかし亜梨栖は全く問題にしていなかったらしく、ほんのりと微笑を浮かべた。
「その時は兄さん達のお酌をしようと思ってたんですけどね」
「そこまで気を遣わなくていいって。自分の分は自分で注ぐさ」
「……そういうつもりで言った訳じゃないんですがね。そういう所は兄さんですねぇ」
「は、はぁ……」
やれやれと言わんばかりに、呆れた風な溜息をつかれる。
他にどんな意味があったのかと首を捻っても、亜梨栖は感情の読めない微笑を浮かべるだけだ。
答えたくないという意思表示に、まあいいかと思考を切り替える。
すると悟と亜梨栖のスマホが同時に振動した。
「信之がもうすぐ駅に着くみたいだ。そっちもか?」
「ですね。一緒に迎えに行きましょうか」
「わざわざ日の下に出る理由もないし、待っててもいいんだぞ?」
今回来る人はほぼ悟の顔見知りだ。逆に、亜梨栖は殆ど面識がない。
それに、今はちょうどお昼時だ。大丈夫だと十分に理解しているし、そう長い時間外に居ないとしても、強い日差しの下を歩かせたくはない。
心配する悟へ、亜梨栖は両目を細めて優しい笑みを向ける。
「いいえ。兄さんだけを頑張らせる訳にはいきませんよ。それに、皆で食べる物を買うって約束だったでしょう?」
「……確かに。じゃあ一緒に行くか」
悟と亜梨栖だけに準備させるのは申し訳ないとの事で、全員でスーパーへ向かい、食材とつまみを買うと事前に決めていた。
五人も居れば荷物は十分に持てるのだが、それでも一緒に行きたいらしい。
信之達が来るので亜梨栖は外出用のワンピースを既に着ており、すぐに準備を終えて外に出る。
もう夏の暑さが僅かに押し寄せている空気の中、日傘を差した亜梨栖と駅に向かえば、そこには見目麗しい男女達が居た。
「期待していいですよ! あの子、すっっっごく可愛いんで!」
「ずっとそればっかり言ってるけど、佳奈から見てもそんなに可愛いの?」
「うん! 学校どころか、この地域で見ても一番じゃないかな?」
「へえ……。柊さんの妹さんが言うんだから、相当だろうね」
「ややこしいので真奈でいいですよ、信之さん! 美琴さんが良ければ、ですけど」
「もちろん大丈夫よぉ。堅苦しいのは私も遠慮したいし、気にしないでね」
どうやら悟と亜梨栖を待つ間に自己紹介を終えたらしい。
はしゃぐ真奈に戸惑いがちな佳奈。人好きのする笑みを浮かべた信之の隣には、栗色の髪を背中まで伸ばした女性が居る。
ほぼ間違いなく信之の妻だろうが、穏やかな笑みを浮かべており、明るくはあるがおっとりしてそうだ。
(……というか、あそこだけ雰囲気が違い過ぎるだろ)
駅前で談笑する四人は、いかにもな陽キャといった感じで凄まじく絵になっている。
普段なら背筋を曲げがちな佳奈も、妹の前だからかしっかりと背筋を伸ばしており、可愛らしさを前面に出していた。
周囲から視線を集めている彼等に呆れつつも近付けば、信之が悟に気付いて目を輝かせる。
「おーい、悟ー! こっちこっちー!」
「分かってるっての。皆、こんにちは」
手をぶんぶんと振るという、社会人よりかは少年と思える仕草の信之に嘆息しつつ近付いた。
顔見知りである信之と佳奈、そして真奈が笑みを浮かべる。
「こんにちは、悟」
「こんにちは、先輩。今日は妹がすみません……」
「松原さんがいつでも来ていいって言ったからいいでしょー? こんにちは、松原さん!」
「こんにちは。柊は相変わらず元気だなぁ……」
「真奈でいいですよ! どっちか分からなくなるんで!」
真奈が日傘を差した亜梨栖をちらりと見たが、何も反応しなかったので許可したのだろう。
とはいえ、姉である佳奈が顔を顰めたのだが。
「もう……。真奈、少しは遠慮しなさい」
「だって柊って呼ばれて二人共返事するなんて変じゃん」
「それは分かるけど……」
「まあまあ、俺は気にしないから」
仲の良い姉妹のやりとりに呆れと感心を混ぜた笑みを浮かべれば、信之の隣の女性が頭を下げた。
「今日は無理言ってすみません。前坂美琴です。よろしくお願いしますねー」
「いえいえ、大丈夫ですよ。松原悟です。よろしくお願いします」
咲き誇る花のようにではなく、静かに、けれど鮮やかに咲く花のように信之の妻である美琴が笑んだ。
左手の薬指には、信之と同じシルバーの指輪をしている。
悟への挨拶を全員済ませた事で、悟の隣で日傘で顔を隠している少女へと視線が集まった。
「それで、その子が?」
「ああ。アリス、挨拶だけでもいいか?」
あまり日の差す場所に長居すべきではないが、自己紹介くらいは済ませておいた方がいい。
柔らかな声で促せば、日傘を傾けて白銀の髪を持つ少女が不安に揺れる瞳を覗かせた。
「は、はい。三城亜梨栖です。よろしくお願いします」
悟には小悪魔だし、真奈には雑な対応をしているが、亜梨栖は基本的に人見知りで初対面の人に緊張してしまう。
ただ、周囲の人に興味が無い場合や遠ざけたい場合は距離を保つために壁を張るので、あまりそれが表に出ない。
しかし今日の相手は悟の友人達なので、壁を張れなかったのだろう。
誰もが見惚れるであろう容姿の少女が、小動物のように肩を縮こまらせている。
庇護欲を掻き立てる可愛らしい姿に、大人三人の胸が見事に打ち抜かれた。
「か、かわいい……」
「でしょー? 私の自慢の親友ですから!」
「なるほど、これは凄いね。真奈さんがあれだけ持ち上げたのに、その上を行ってる」
「そうねぇ。こんなに可愛い子と知り合えるなんて感激だわぁ」
「あ、あの、えっと……」
昔の事もあり、いくら悟の友人達とはいえ、自らの容姿を忌避するのではと亜梨栖は怯えていたのだろう。
数少ない友人達だが、そんな事はしないと自信を持って言える。
美琴に関しては謎だったが、好印象らしい。うっとりと目を細めていた。
大人達からの賞賛を浴びて目を白黒させる亜梨栖に笑みを落とす。
「ここで長話するのも何だし、移動しようか」
「あ、あの、その前にいいですか?」
駅に何か用事がある訳でもないだろうに、佳奈が小さく手を上げた。
疑問はあるものの、わざわざこの場で言い出したならば相応の理由があるはずだ。
「別にいいけど、どうした?」
「先輩にというか三城さんに、ですけど……」
佳奈が亜梨栖へと一歩踏み出し、視線を合わせた。
「松原悟さんの後輩で、柊佳奈です。よろしくね」
堂々とした態度とにこやかな笑顔からは、立派な大人の風格が出ていた。
あえて一人だけ先に名前と立場を亜梨栖へ告げる意図は分からないが、どこか必死さが伺える。
亜梨栖はというと、悟と飲みに行った女性だと認識したからかすっと目を細めた。
「貴女が……」
「そうなの。でも、謝らないからね?」
主語が抜けた会話に、何の事を言っているのかさっぱり理解出来ない。
もしかすると、悟と飲みに行った事を謝罪したのだろうか。
そういえば亜梨栖は佳奈に会って話したかったと言っていた気がする。
口を挟めないどこかひりついた空気の中、亜梨栖が深紅の瞳を瞼の奥に隠す。
再び瞳が見えるようになると、彼女は惚れ惚れするような美しい笑みを見せた。
「はい。私も謝りませんから」
「……うん」
佳奈が羨むような、遠くを見る目をして淡く微笑む。
そして悟へと視線を向けたが、その頃には佳奈はいつもの雰囲気に戻っていた。
「すみません。もう大丈夫です」
「そ、そうか。なら改めて移動するか」
「だね。……全然気付かなかったなんて、僕の目も節穴だなぁ」
どうやら亜梨栖と佳奈の話は終わったらしい。
悟の言葉に信之が同意し、みんなでスーパーへ歩き出す。
ただ、信之の後半の言葉が小さすぎてよく聞こえなかった。
「信之、何か言ったか?」
「柊さんと三城さんが仲良く出来そうで良かったねって言ったんだよ」
「確かに。何か仲良く話してるし、これで一安心だ」
後ろを見れば、亜梨栖が悟から離れて佳奈と話していた。
先程のような雰囲気ではなく、どちらも笑っている。
ホッと胸を撫で下ろし、大所帯となった六人で、学生のようにわいわいと話しながらスーパーへ向かうのだった。




