第8話 暇つぶし
買い物を終えた後は真っ直ぐ家に帰り、冷蔵庫前のゴミ袋を退かす。
そして、亜梨栖が取り敢えず側に置いた食材を冷蔵庫に入れた。
大量のゴミ袋はキッチンにあっても邪魔なので、ベランダへと退避させる。
カーテンをしっかりと引いて日の光を遮り、リビングのソファに腰を下ろせば、亜梨栖の眉がへにゃりと下がった。
「今はベランダにも行けませんし、食材も任せてしまってすみません」
「一緒に買い物に行ったんだから、これくらいはさせてくれ。それに光の事なんて今更気にしないでいいって」
既に三時を過ぎており、日差しの強さは多少衰えたものの、亜梨栖にとっては好ましくない。
下手をすれば、火傷の可能性だってあるのだ。
そもそもベランダに出なければいけないのは悟のせいでもあるのだから、彼女が気に病む必要などない。
ひらひらと手を振って応えれば、ルビーの瞳が柔らかく細められた。
「ラーメン店でもそうでしたけど、兄さんは変わりませんね」
「……高校生の頃からあんまり変わった気がしないって、俺も思うよ」
高校生から大学生へ、大学生から社会人へ。年齢が上がる度に大人になれると思っていたが、結局あまり成長を感じられなかった。
強いて挙げるのなら、社会を生きる狡賢さがそれなりに身に着いた事くらいだろうか。
苦笑を浮かべて同意すれば、亜梨栖がくすりと笑って首を振る。
「それはそれで嬉しいですけど、そういう事ではありませんよ」
「というと?」
「昔と同じで私の体の事をよく分かってるなって。気にしてくれてるなって思ったんです」
「そんなの当たり前だろ。忘れる訳がないって」
五年離れていたとはいえ、それ以上の時間を亜梨栖と過ごしたのだ。
彼女が何を嫌がり、どうすれば良いかは十分に分かっている。
とはいえ、それはあくまで亜梨栖の体質に関する事だけなのだが。
「……ありがとうございます」
くすぐったそうに深紅の双眸が細まった。
男を魅了する笑みをいきなりぶつけられ、胸に気恥ずかしさが沸き上がってくる。
「そういうアリスは滅茶苦茶変わったな」
スーパーで容姿を褒めた際、悟は怒られなかった。
なので多少なら容姿に触れても大丈夫だろうと、話の流れを強引に変える。
すると、亜梨栖が再び無表情へと戻った。
「五年も経てば、小学五年生から高校一年生になります」
「確かにな。……改めて、ごめん」
「もういいと言ったじゃないですか。謝る必要はありませんよ」
「でも――」
「代わりに、兄さんが五年の間に何をしていたか、聞いても良いですか?」
「大した事はしてないけど、それでもいいなら」
大学時代はまだ自炊していた事。大学で出来た友人に料理が上手いとバレてしまい、家でパーティーをした事。
古い軽自動車である悟の車で、無理にラーメン店を巡った事。
二十歳になって最初にお酒を飲んだ際に羽目を外し過ぎた事等、様々な出来事を話す。
亜梨栖は少し羨ましそうにしつつも、真剣に聞いてくれた。
「充実してたんですね」
「……そうでもあるし、そうでもないとも言えるな」
楽しかったのは間違いない。けれど心から楽しめたかと言われれば、首を捻ってしまう。
心の片隅には、幼馴染に何も伝えず去ってしまったという負い目が、ずっと残っていたのだから。
曖昧な答えを口にしたからか、亜梨栖が無垢な表情で首を傾げる。
「そうなんですか?」
「そうなんだよ。まあ、それなりに良い所に就職出来たから、その点は嬉しかったな。お金も貯まったし」
もちろん勉強を疎かにしてはいなかったので、問題なく就職出来た。
そのお陰である程度貯蓄が出来たのだから、ある意味では実家を離れたのは正解だったのかもしれない。
単に、悟があまり散財しないだけなのかもしれないが。
「その割にはあまり物がありませんよね」
亜梨栖が部屋を見渡し、意外そうな呟きを漏らした。
リビングにはテレビとゲーム機、寛ぐ為のソファに食事用のテーブルと椅子だけだ。
寝室の方も、リビングと同じくあまり物がない。
「あれこれ手を出そうかと思ったけど、結局休日はだらだらして一日が終わるんだ。偶にゲームするくらいだな」
一年前は大学生の友人が偶に遊びに来ていたものの、社会人となってからは来ていない。
ゲームの種類も、殆どのものが一年前で止まっている。
「へぇ……。ちょっと見ていいですか?」
「ああ、好きに見てくれ」
亜梨栖は体質的にインドア派にならざるを得ず、悟も昔からかなりのインドア派だ。
そして同じインドア派で、一緒に多くの時間を過ごすとなれば、おのずと趣味は似通ってくる。
ゲームの光は日光と違って紫外線がほぼないので、亜梨栖も平気だ。
また、悟の持っているゲームは、彼女と一緒に居た頃からジャンルがあまり変わっていない。
とはいえ少し古いので、お気に召すものがあればいいなと思いつつ、何となく亜梨栖の行動を眺める。
(……こういう所は変わんないな)
深紅の瞳を輝かせ、テレビ台の下を漁る亜梨栖の表情は、年相応の柔らかいものだ。
ラーメンの時の興奮した姿も合わせると、彼女の内面はあまり変わっていないのかもしれない。
胸に沸き上がる懐かしさに浸っていると、気になる物を見つけたようで「あ」と亜梨栖が声を上げた。
「良いのがあったか?」
「はい。古い物が多かったですけど、これは最新のものですね」
亜梨栖が取り出したのは、大勢のキャラクターが入り乱れつつ戦闘し、主に相手をステージから落とした人が勝利となるゲームだ。
大学の友人が来た際にも盛り上がり、インターネットに繋げば一人でも遊ぶ事が出来るので、暇つぶしにちょうどいい。だからこそ、これは最新の物を買っている。
しかも昔は亜梨栖とも偶に対戦していたので、詳しい説明は要らないはずだ。
「じゃあ晩飯まで時間あるし、暇つぶしに遊ぶか?」
「いいんですか!?」
花が咲くような可憐な笑顔から察するに、余程遊びたかったのだろう。
ゲーマー気質なのも変わらないなと笑みを零し、ゲームを起動させる。
慣れた手つきでコントローラーを握る姿が、歴戦の戦士のような風格を醸し出していた。
「昔はやってたけど、今はどうなんだ?」
「……試してみます?」
唇を吊り上げて悪戯っぽく目を細める姿は、寒気がする程に様になっている。
しかし、言葉の内容は悟を煽るものだ。
対戦ゲームで挑戦を吹っ掛けられれば、応えるのがゲーマーというものだろう。
「よし、良いだろう。ルールは三ストック、アイテムは?」
「無しで。真剣勝負といきましょう」
「よしきた」
最近はだらけていたものの、全く動かせない程に酷くはないはずだ。
それに、亜梨栖と遊んでいたのは確かなものの、彼女に真剣勝負で負けた事はない。
お互いに使用するキャラクターを選び終え、ついに試合が始まった。
「そこ!」
「甘いですよ。バレバレです」
「は? え? ちょっと!?」
攻撃を綺麗に防がれただけなら、まだ納得出来る。
その後、悟のキャラがお手玉のように打ち上げられ始めたのには、驚きを隠せなかった。
みるみるうちに吹っ飛びやすくなり、抵抗も全て躱され、ステージ外へと叩き飛ばされる。
「…………はい?」
「ほらほら。兄さんの実力はその程度ですか?」
画面の中では、丸いピンクのキャラが露骨なアピールをしていた。
それだけでなく、亜梨栖が得意気に胸を張る。
ここに来て、悟の意識は完全に切り替わった。
(昔のアリスだと思ってたら、絶対に負ける。それにここまで煽られたんだ、絶対に勝ってやる!)
先程の動きからして、亜梨栖はちょっとやり込んでいるどころの話ではない。
だが、ここまで虚仮にされて黙っているほど、大人しくはないつもりだ。
気合を入れて二ストック目を開始する。
「……」
「おや、動きが変わりましたね。……まあでも、隙だらけなんですが」
「あ!」
「ベクトルを変えないとまた吹っ飛びますよー」
「分かってる! ……こっちだ!」
「でしょうね。はい、これで二回目です」
「あー!」
完全に動きを読まれ、何も出来ずに二回目が終わった。
明らかに対人戦慣れしている動きに、背筋に冷たいものが這いあがってくる。
「……なあアリス。実は滅茶苦茶やり込んでるだろ」
「私はまだまだですよ。ちょっと特別なマッチングに行けるだけです」
「いや、それって上手い人しか行けない場所じゃねえか!」
「何の事か分かりませんね」
悟の知らぬ間に、幼馴染は凄まじいゲーマーへと成長したようだ。
もう力の差は理解したし、逆立ちしても敵わない。
だが、ここで投げ出すような事はしない。例え、負けるのが決まっていてもだ。
「……見てろよ。最後の最後まで勝負は分からないもんだ」
「その心意気です。さあ、兄さんの本気を見せてください」
その後は相変わらず何もさせてもらえず、一方的な勝負だった。
しかし、五年も離れていた幼馴染と遠慮なく勝負するというのは、心の底から楽しかった。
コントローラーを置き、カーペットに身を投げ出す。
「負けたー! 強くなったなぁ、アリス」
「ふふ、いつでもリベンジを受けますからね」
あまり表情が変わらなくなった幼馴染が、柔らかく破顔した。
その顔があまりにも楽しそうで、嬉しそうで、つられて悟も嬉しくなる。
まだ同居を開始してもいないのに、昔のように仲良く過ごせる気がしたのだった。




