第79話 インドア二人のスポーツ日和
亜梨栖がひとしきり悟の胸に顔を押し付けていたが、満足したのか離れた。
未だに頬は少し赤いが、指摘はせずに周囲を見渡す。
生温い視線があちこちから向けられており、亜梨栖も気が付いたのか頬の赤みを強めて顔を俯けた。
「さてと、取り敢えずやりたい事はあるか?」
「そ、そうですね。まずは何があるか確認したいです」
ここに居続けるのは駄目だとお互い判断し、案内板へと向かう。
隣を歩く少女の後ろで銀色の髪が跳ねるのが、妙に気になってしまった。
「今日は髪を纏めてるんだな」
「ここまで伸ばしていると運動の際に邪魔ですからね。駄目ですか?」
「いや、似合ってて可愛いぞ。それに、アリスのそんな姿も新鮮でいいな」
瞳に僅かながら不安を浮かべて尋ねて来たので、遠慮なく感想を伝える。
髪型が違うのも良いが、普段は見えないうなじが見えるのも色っぽくて非常に良い。
流石に変態の発言なので、口にはしないが。
微妙に誤魔化したものの悟の感想がお気に召したらしく、亜梨栖の頬がへにゃりと緩んだ。
「ありがとうございます。では、偶に家でもしますね」
悟に喜んで欲しくて髪型を変えるのは嬉しいが、念の為に釘を刺す。
家というのは、住んでいる人が一番寛げる場所なのだから。
「有難いけど、無理しない程度にな」
「もちろんですよ。あ、これですかね」
話が纏まった所で、ちょうど案内板についた。
分かってはいたものの、大型の施設内に所狭しとアトラクションが敷き詰められている。
「卓球にビリヤード、スカッシュゲーム。アーチェリーもあるんだな」
「でも卓球は円筒の台――これ、台っていうんでしょうか――ですし。ビリヤードも普通とは違ってますね」
「そういうのが売りらしいからな」
大型の運動施設ではあるが、ここはただ単にスポーツが出来る場所ではない。
主に少人数で、しかも一風変わったものがある。
だからこそ、あまり運動をしない亜梨栖も楽しめると思って連れて来た。
「それで、気になったのはあるか?」
「ではまず卓球ですかね。……既に卓球とは呼べない気がしますけど」
「よし、なら行くか」
時間はたっぷりとあるので、焦る必要はない。
周囲のアトラクションを見つつ、目的地へ向かうのだった。
「何でそんな跳ね方するんだよ!? よ、っと!」
「はぇっ!? 球が顔に!?」
まずは亜梨栖がしたいと言った卓球だが、早速お互いに悲鳴を上げている。
なにせ台がとても卓球台と言える物ではなく、円筒の中に球を打ち込むのだ。
当然ながら、跳ねる場所など全く予測が出来ない。
「こ、これ、経験者も何もありませんよね!?」
「むしろこれに慣れてる方がおかしいっての!」
悟は運動が苦手ではなく、それなりに出来る方だ。
それは亜梨栖も同じで、体を動かす事に抵抗はない。
体質的に日光が危険なのと、体が弱いのは別問題なのだから。
曰く、体育の授業はほぼ室内種目を選択しているらしい。
それでも、卓球はお互いに苦戦した。
「アーチェリーなんて普通しませんが、こんな風になってるんですね」
「いや、こんな玩具じゃないだろ。それにしては雨で飛ばなかったり風で流されたりっていうのをゲーム上で再現してて、妙に本格的だけど」
アーチェリーが出来るという事で卓球の後に来たが、流石に本物は使えないようだ。
しかも的がデジタルで表示されている割に、気候を気にしなければならない。
「実際、本物は影響あるんですかね?」
「さあ? 俺もやった事がないから分からないなぁ……」
経験した事がない事を想像で話すのがおかしくて、お互いにくすりと笑みを零した。
「「はぁ……」」
その後もあちこちのアトラクションを楽しみ、今はベンチに座って休憩中だ。
悟も亜梨栖も普段は進んで運動しないからか、たった数時間動いただけでも疲労が来ている。
「へんてこなものばっかりでしたねぇ」
「小さい足場の上で迫ってくるポールを避けたり、ダーツなのにボールを蹴って当てたり、あんなの普通しないよな」
「はい。でも、楽しいです」
屈託のない笑顔を浮かべ、頬を緩める亜梨栖。
あまり見せない笑顔を唐突にぶつけられ、悟の心臓が鼓動を早めた。
「なら良かった。インドアの俺達でも、偶にこういう事をしてもいいな」
「ですね。屋内ですし、遠慮なく遊べます。ありがとうございます、兄さん」
「どういたしまして。それじゃあ、もう一遊びしますか」
感謝の言葉を素直に受け取り、腰を上げる。
それなりに疲れてはいるが、まだ帰るには早い。
亜梨栖も元気が残ってそうなので提案すれば、彼女の瞳が意地悪気に細まった。
「でしたら、やりたいものがあります」
「……何か嫌な予感がするけど、取り敢えず行くか」
「スポーツをするだけですし、変な事なんてしませんよぉ」
「うさんくせぇ……」
外なので過剰な接触は出来ないが、明らかに亜梨栖は何か企んでいる。
心臓が虐められる覚悟をしつつ、彼女についていく。
着いたのは、マットの上に小さな台があるだけの場所だ。
アトラクションの内容を見て、呆れ気味に溜息をつく。
「この上に乗って押し合いか。何と言うか、昔ながらの遊びだなぁ」
内容的には中学生や小学生がやっているものを、よりアトラクション向けにしたものだ。
小さな台がぐらつきやすくなっているので、単に踏ん張るだけでは上手くいかないだろう。
もちろん友人の居なかった悟はした事がなく、クラスメイトがしているのを見た事があるだけだが。
「これで勝負といきましょう。負けた方が勝った方へ膝枕でどうでしょうか」
「しかも賭けるのかよ。いやまあ、嬉しいけどさぁ」
悟は亜梨栖に膝枕をした事があるものの、逆の経験はない。
魅力的な提案を却下出来ずに苦笑を零せば、亜梨栖がくすりと嬉しそうに微笑した。
「ならいいでしょう? ほら、やりますよ」
「分かった。でも、手加減はしないからな?」
ご褒美は別として、勝負なのだから全力で取り組まなければ失礼に当たる。
先に小さな台に立った亜梨栖が、不敵に微笑んだ。
「その意気です。さあ、遠慮なくどうぞ」
「……吠え面をかかせてやる」
こいこいと手の平を上に向け、露骨に煽る亜梨栖に悟も唇の端を吊り上げる。
気合を入れて台に立ったものの、なぜか亜梨栖が甘い微笑を見せた。
「押し合うのは手だけですが、例外として胸なら触れていいですからね?」
「そんな事しないって! というか距離があって無理だから!」
ラッキースケベのような事など、外で出来るはずがない。もちろん、家の中でも。
そもそも手以外の場所に触れないよう、絶妙な位置に台が配置されているので不可能だ。
心を乱す発言に声を荒げれば、くすくすと軽やかに亜梨栖が笑う。
「残念です。では、覚悟してくださいね?」
「ホント、勘弁してくれよ……」
心理戦を仕掛ける亜梨栖に溜息をつきつつ、勝負が始まった。
彼女は感情の読めない微笑を浮かべるが、ここで焦ってはいけない。
「どうした? あれだけ煽っておいて来ないのか?」
「先手は譲りますよ。どうぞ」
「いや、レディファーストってやつだ。一回くらい譲ってやるよ。どうせアリスは俺を倒せないからな」
「……そこまで言うなら、やってやりますよ」
やれるものならやってみろと煽れば、亜梨栖が表情を消した。
普段は悟をよく煽るものの、自分が煽られると冷静でいられなくなる姿に笑みを零す。
「ほら、ここだぞ。ちゃんと押せよ?」
「分かってます。馬鹿にしないでください」
彼女が叩きやすいように、両手を触れ合わせる。
そして彼女が手を伸ばし切った瞬間、悟も手に力を込めて押し出した。
「ひゃっ!?」
亜梨栖が短い悲鳴を上げて、後ろに倒れ込む。
申し訳ないとは思うが、彼女の力では成人男性の悟を突き飛ばす事はかなり難しい。
なので彼女が力を逃がせない状態を作り、体重と力に物を言わせればこの通りだ。
小さな台から降り、尻餅をついている亜梨栖へと手を伸ばす。
「大丈夫か?」
「はい。でも、やっぱり兄さんは強いですねぇ」
負けたにも関わらず、亜梨栖の顔には悔しさなど欠片も込められていなかった。
おそらく、心のどこかで悟に勝てない事を分かっていたのだろう。
差し出された華奢な手を握り、彼女を起こす。
「何でこんな不利な条件を出したんだよ」
「勝てればそれでよし。負けても兄さんに膝枕をして誘惑出来るので、どっちに転んでも得でしたからね」
「……そういう事だと思ったよ」
結局のところ、これはどちらに転んでもお互いにメリットしかない。
下手をすると悟が勝つのを狙い、誘惑する所まで考えていた可能性もある。
計算高い少女に呆れつつも、どうしようもなく胸が弾むのだった。




