第76話 今と昔のアリス
「はぁ……」
散々真奈に遊ばれて、亜梨栖がソファにぐったりと凭れている。
反対に、真奈は爽やかな笑顔でリビングの椅子に座った。
「ふー。満足満足!」
「……俺が言うのもなんだけど、程々にな」
「大丈夫ですよ。学校ではちゃんと抑えてますので」
「それならいいかな」
先程までの過剰なスキンシップは、学校でやるとあまりに目の毒過ぎる。
しっかりと谷を作っている胸元や、真っ白で滑らかそうな腹が見えていたのだから。
少なくとも、悟の高校時代にあんなものを見せられていたら、我慢が出来なかっただろう。
それに、亜梨栖の肌を他の男に見られたくない。
安堵に胸を撫で下ろせば、真奈が興味を宿した瞳で悟を見つめる。
「それにしても、女子高生と一緒に住むって凄い事ですよねぇ」
「アリスの母親から許可はもらってるし、捕まるとかはないけどな。それでも、危険な事は理解してるつもりだ」
「親公認だなんて、流石幼馴染ですね!」
「そうでもなければ、こんな生活出来ないっての」
真奈と他愛のない話をしつつ、仲を深めていく。
瞳を輝かせているが、その奥に悪意はない。
先程のようなスキンシップはあれど、亜梨栖が信用しているのが分かる気がした。
「女子高生と社会人が二人きりですもんね。もしかして、爛れた生活してます?」
「…………そんな事、する訳ないだろ」
あまりにも心臓に悪い発言に、思わず渋面を作る。
亜梨栖とは距離が近いものの、手を出してはいない。
ただ、悟の反応が遅れたせいで、真奈が勘違いしてしまったらしい。
ニヤリと口の端を吊り上げ、悟へと顔を近付ける。
「隠さなくても良いじゃないですか。大丈夫です、絶対誰にも言いません」
「ホントにそんな事してないから。そもそも、付き合ってすらいないし」
「へ? 付き合ってなかったんですか?」
「……まあ、まだ、な」
もう気持ちは決まっているし、約束もしているので付き合わないとは言えなかった。
そっぽを向きつつ答えれば、真奈が興奮に頬を赤く染める。
「きゃー! 同じ家に住んでるのに、まだ付き合ってない! でも恋人のような関係! どこの少女漫画ですか!?」
「少女漫画かどうかは分からないけど、後ろに気を付けた方がいいぞ?」
悟からは見えているが、亜梨栖が復活して真奈の背後ににじり寄っていた。
悟達の関係を思いきり茶化された事で、亜梨栖が真奈の頭に拳を振り下ろす。
「後ろ? あいたぁ!?」
「真奈? 余計な事は言わないでね?」
「だって、こんな状況は女子としてテンションが上がるに決まってるでしょ? うぅ……」
頭を抑える仕草の割に、先程響いた音は軽いものだった。
唇が僅かに弧を描いているのも合わせて、間違いなく真奈は亜梨栖の同情を引こうとしている。
しかし亜梨栖はお見通しのようで、溜息をつきつつ真奈を無視して椅子に座った。
「ホント、油断も隙もありませんね。兄さん、つられちゃ駄目ですよ?」
「分かってる。アリスが本気で人を叩く訳がないからな。全然痛くないはずだ」
絶対の信頼を置いた言葉を向ければ、白磁の頬に朱が混じる。
「……あ、ありがとうございます」
「わー。この幼馴染コンビ、滅茶苦茶息が合ってるなぁ……。いちゃつきだしたし」
「うるさい」
「あちゃぁ、怒られちゃった」
亜梨栖の雑な対応を受けても、真奈はへらりと笑う。
確かな信頼関係に頬を緩めていると、真奈が瞳にもう一度興味の色を宿して悟を見つめた。
「そうだ。松原さんは幼馴染ですし、アリスの昔を知ってますよね?」
「そりゃあ幼馴染だしな」
「でしたら、昔のアリスを教えて欲しいです。アリス、そういうの全然話してくれなくて」
「昔の事を話さないなんて普通でしょうが。何考えてるんですか? 兄さんも、話しちゃ駄目ですからね?」
「んー? うーん」
昔の亜梨栖の事を話すとなれば、殆どが褒め言葉だ。
その程度ならいくらでも話せるが、悟だけが話すというのも割に合わない。
真奈は悟が知らない亜梨栖を知っているはずなのだから。
「柊がアリスと知り合ったのっていつからだ?」
「高校に入ってすぐですね。滅茶苦茶可愛い子が居るって知って、お近づきになりました」
「なら、交換条件として知り合ってからのアリスを教えてくれ」
「兄さん!?」
亜梨栖が悲鳴のような声を上げたが、今回ばかりは無視させてもらう。
彼女の学校生活をあまり知らない悟にとって、こんな機会はそう訪れない。
直接亜梨栖に聞けばいいのだが、間違いなくはぐらかされるだろうから。
お互いに利のある条件を出せば、真奈が黒い笑みを浮かべて頷いた。
「その条件、受けましょう。どちらからにします?」
「先に柊が提案してくれたし、俺から話すよ。昔のアリスは――」
「あの、ちょっと、兄さん! 止めてください!」
「駄目だよアリス。大人しく恥ずかしい思いをしようね?」
亜梨栖が悟を止めないように、真奈が彼女に抱き着く。
満面の笑みを向けられて、亜梨栖の顔が絶望に染まった。
「そ、そんな……。放して! お兄ちゃん、やめてー!」
「ごめんな、アリス。これは必要な事なんだ」
申し訳ないと思いつつも、話すのは止めない。
おそらく、真奈が帰った後に悟は大変な思いをするだろう。
その時はその時の悟が何とかするはずだと割り切り、幼少期のアリスがどれだけ可愛いかを語るのだった。
それからたっぷり一時間後。悟と真奈がお互いに満足し、ようやく話が終わった。
ソファに目を向ければ、手で顔を覆って横になっている少女が居る。
「もう、むり……。はずかしいよぉ……」
残念ながら中学時代は謎のままだが、それ以外に関してはほぼ全てを悟と真奈に知られたのだ。
悟を誘惑する時以外のお淑やかな雰囲気など、見る影もなくなっている。
罪悪感が沸き上がるが、それでも確かな収穫を得られた。
「アリスがモテるのに嫉妬して、嘘だらけの噂を流した人の弱みを逆に握って脅したとか、凄い事するよなぁ」
「あれに関しては三股するあの馬鹿が悪いんですがね。自分がちやほやされたいからって人を貶めるのは違うでしょう」
「確かに。にしても、アリスが学校一の美少女かぁ」
亜梨栖の美しさなら十分に有り得る話だが、他の人から言われると誇らしくなる。
とはいえ悟は何も関与していないし、亜梨栖の努力の成果なのだが。
「アリスは凄いな。何と言うか、別の世界の存在って感じだ」
「……そんな事、ありません。分かってますよね?」
「分かってる。ホント、綺麗になったよ」
「うぅ……。今言わないでくださいぃ……」
他の人などどうでもいい。悟の傍に居て、褒めてもらえるならそれでいいのだ。
亜梨栖の願いをしっかりと汲み取って褒めれば、再び彼女がソファのクッションに顔を埋めた。
学校では絶対に見せない姿に、真奈が満面の笑みを浮かべる。
「はわー。アリスは可愛いねぇ」
「真奈も余計な事を言わないでよぉ」
「こんなの無理だって。今も可愛いし、昔も滅茶苦茶可愛いかったみたいだしね。あぁ、小さい頃のアリス、見たかったなぁ……」
「勘弁して……」
真奈が立ち上がり、耳まで真っ赤にしている亜梨栖の傍に向かった。
悟にすら聞こえない小さな声で何かを告げると、びくりと亜梨栖の体が跳ねる。
おそらく、悟から聞いた昔の亜梨栖の姿を揶揄っているのだろう。
「良かったな、アリス」
仲睦まじいと言うには亜梨栖が弄られ過ぎているが、それでも最高の光景に頬を緩めるのだった。




