第70話 デート開始
四月はあっさりと終わり、ゴールデンウイークとなった。
半袖でも良い程に外は温かいが、着替えを終えた亜梨栖はいつもと変わらず、長袖を着ている。
白色の簡素なシャツとベージュのロングスカートというシンプルな装いだが、だからこそ彼女の清楚さを際立たせていた。
そして唇が普段よりも瑞々しく、睫毛もくっきりとしており、化粧をしているのが分かる。
「何だか気合入ってるな」
「そりゃあそうですよ。折角のデートですし、好きな人には可愛いって思って欲しいじゃないですか」
「……そうか」
男女が出掛けるのがデートの定義だし、今はお互いに想いを知っているのだ。
その点で見ても、これからデートに出掛けると言ってもいい。
堂々と好意をぶつける相変わらずの姿に、頬が熱を持つ。
亜梨栖が気合を入れてくれたのだから、感想を言うのが男の義務だ。
恥ずかしさに顔を逸らしそうになるが、ぐっと我慢して彼女を見つめた。
「似合ってる。凄く可愛いぞ」
「はうっ」
先程まで自信満々な態度だったのに、亜梨栖は一瞬で頬を真っ赤に染める。
悟を直視出来なくなったようで、思いきり顔を逸らし手で頬を抑えた。
それでも緩んだ唇がちらりと見え、喜んでいるのがこれでもかと伝わってくる。
「アリスのそんな顔を見られるなら、もっと早くデートに行けば良かったな」
「……いじわる」
揶揄った訳ではないのだが、非難するような視線をいただいた。
しかし全く怖くは感じず、拗ねたような上目遣いと合わさってむしろ可愛らしい。
頬を緩めて亜梨栖の姿を眺めていると、落ち着いたのか彼女が悟へと顔を向けた。
「はぁ……。心臓に悪いですねぇ」
「普段の俺の立場を思い知ったか?」
「はい。ですが、やられっぱなしは趣味じゃありません」
悪戯っぽく笑んだ亜梨栖が、悟へと一歩近づく。
ふわりとシトラスの匂いが鼻を掠め、心臓がざわめいた。
先程とは違い、揶揄いと歓喜を混ぜ込んだ笑みが、すぐ近くから向けられる。
「兄さんもかっこいいですよ。大人の男性って感じです」
「ただの薄いジャケットにジーンズだから」
「でも、これまでそんな格好しなかったじゃないですか。気合を入れてくれて、ありがとうございます」
「……偶々だっての」
悟が着ているのは、一年以上前の大学時代に買ったものだ。
当時は女性と遊ぶ事も少ないがあったので、それなりに良い物にしている。
亜梨栖と出掛けるのだから、気合を入れようと引っ張り出したのがあっさりとバレていた。
それだけでなく、先程の仕返しとして真正面から褒められて、我慢出来ずに今度こそ視線を逸らす。
「ふふ、そうですか。なら、そういう事にしておきましょうか」
「そうしてくれ。ほら、行くぞ」
くすくすと面白そうな、幸せそうな笑みが悟の心を擽った。
この場に居る事すら我慢の限界で、強引に話を切って玄関に向かう。
外に出て亜梨栖を待っていると、靴を履き終えた彼女が悟の横を抜けて外へと出た。
くるりと振り返った亜梨栖が、淡く微笑して澄んだ瞳を細める。
「日中のデートはしてみたいと思ってましたが、別にしなくても良かったんですよね」
「それは、俺達の事情からか?」
「いいえ、単に日光が嫌だからですよ。ケアとか対策とかめんどくさいですし、兄さんとは家でずっと一緒に居られますからね」
意外にも怠惰な理由から、日中のデートは叶わなくても良いと思っていたらしい。
もちろん亜梨栖の事情から考えると面倒臭がって当たり前なのだが、女子としての願いが折れるとは思わなかった。
苦笑しつつ肩を竦める亜梨栖の姿に、心からそう思っているのが分かる。
ただ、彼女の表情はすぐに満面の笑みへと変わった。
「でも、準備だけでも楽しめました。こういうのも悪くないですね」
「そうだな。……うん、悪くなかった」
誰もが見惚れるであろう亜梨栖の隣に並んでもおかしくないように。
そんなことを考えつつ服を選ぶのは大変だったが、先程の亜梨栖の照れようを見れば、悟の苦労など安いものだ。
そして、亜梨栖も同じ考えをしてくれている。
嬉しさに頬を緩めつつ扉を閉めて戸締りを終えれば、面白いものを見つけたかのように亜梨栖が唇の端を吊り上げていた。
「あれぇ? さっきは誤魔化したのに認めていいんですかぁ?」
「…………しまった」
口を滑らせてしまった事に言われて気付いたが、もう遅い。
顔を顰める悟へと、亜梨栖が体を寄せる。
「今までも楽しかったですが、これからが本番です。デート、楽しみましょうね?」
「ああもう、茶化すんじゃない!」
このまま玄関の外で問答をしていたら悟に勝ち目はない。
声を張り上げ、エレベーターへと向かう。
そんな悟の後ろを、鈴を転がすような笑い声を出して亜梨栖がついてくるのだった。
「やっぱり車は便利ですねぇ」
大型ショッピングモールの駐車場で、亜梨栖が感嘆の声を漏らした。
「電車と違って周囲を気にしなくていいし、日光もきちんと対策出来るからな」
「そうなんですよね。もう本当に面倒臭くて嫌です」
「だから後ろに座らせたけど、ちょっかいを出すのは本当に止めてくれよ……」
これまで、亜梨栖を車に乗せたのは夜だったり雨の日だった。
しかし今日は快晴であり、そんな状況で車を走らせれば、時間次第で助手席が日光に晒されてしまう。
すぐに出来ないとはいえ対策そのものは行えるのだが「後ろに座ればいいだけですし、必要ありません」と亜梨栖に言われたのだ。
なので今日は助手席が空だったものの、亜梨栖が悟の首に腕を絡ませたり、顔を寄せて来たりと大変だった。
運転が出来なくなる程ではなかったし、彼女もそれなりに気を遣っていたのだろう。
それでも精神がすり減った事には変わらない。
思いきり溜息をつけば、少しの罪悪感とそれ以上の満足感が混ざった笑みが向けられた。
「ごめんなさい。楽しくって、つい」
「……頼むから、程々にしてくれ。事故を起こしたくないからな」
「分かりました」
流石に亜梨栖も危険なのが分かったらしく、素直に頷いてくれた。
ただ、細められた朱い瞳の奥が輝いていたので、懲りずに何かする可能性が高い。
今回以上に酷い事にはならないはずだが、覚悟を決めておいた方がいいだろう。
「よし、じゃあ本格的にデートといきますか」
「はい。手を繋げないのが残念ですが、これはこれで良しですね」
「そこは仕方ないから諦めてくれ」
「分かってますよ」
恋人ではないので手は繋げないし、仮に恋人であっても大勢の人が居る場で繋ぐ事は不可能だ。
悟達は周囲に仲の良い幼馴染と見られなければならないのだから。
もちろん、世の中には手を繋ぐ幼馴染の関係もあるかもしれない。
けれど、悟達はただでさえ年齢が離れているし、亜梨栖の高校の人もここに遊びに来ているはずだ。余計な火種は無くすべきだろう。
申し訳ないと思いつつもハッキリと告げれば、納得はしていても未練があるのか、亜梨栖が淡い微笑みを浮かべて頷いた。
「でも、隣に居るくらいはいいですよね?」
「もちろん。幼馴染って、そんなもんだろ?」
「ええ、こんなものです」
肩が触れ合う程に近く、けれど決して触れ合う事のない距離。
もどかしさすら覚える微妙な位置を保ちつつ、ショッピングモールへ向かうのだった。




