第69話 ゴールデンウィークの予定
ゴールデンウィークは頑張ると決意したものの、やはり平日の短い時間しか亜梨栖とは触れ合えず、最後のイベントの内容を決めているうちに四月は残り数日となった。
今日は土曜日であり、腹に軽くはあるが確かな重みを感じて目を開ける。
彼女に乗られて起こされるのは、最早恒例行事となっていた。
「おはようございます、兄さん」
「……おはよう、アリス」
悟の下半身が生理現象を起こしているが、亜梨栖はお構いなしだ。
間違いなく気付いているだろうに、それでも誘惑してくる姿に溜息をつきつつ挨拶を返した。
(まあ、慣れる訳がないんだけどな)
薄着なせいで柔らかな感触がはっきりと分かる太腿。
最近では悟を覗き込みながら起こすせいで、シャツの襟ぐりから見える素晴らしい谷。
寝起きから美少女に無防備な姿で迫られて、毎回悟の心臓は忙しい事になっている。
もちろん、今の段階で手を出すつもりはない。ただ、何度言っても聞かないし、決意をしたものの何も出来ていない悟が悪い部分もあるので、諦めて肩の力を抜いた。
これまでずっと亜梨栖を引き剥がすか悟が逃げていたからか、深紅の瞳が驚きに見開かれる。
「おや、今日は逃げないんですか?」
「逃げられるのを前提にする起こし方ってどうなんだよ」
「それはそれで兄さんのベッドで寛げますし、私としてはメリットですから。実際、その通りですよね?」
「……まあ、そうだな」
亜梨栖がベッドから離れないので、悟がリビングへ退散するのがこれまでの流れだった。
本人は欲望に素直になっているだけなのだろうが、甘え上手なだけに質が悪い。
呆れ気味に溜息を落とせば、亜梨栖の顔に意地悪気な笑みが浮かんだ。
「それで、逃げないって事は私の好きにしていいんですよね?」
「割といつも好きにしてた気がするんだが……。まあ、ある程度まではいいぞ」
「えへへー。それじゃあ遠慮なく」
ふにゃりと緩んだ笑みを浮かべ、亜梨栖が悟の脇へと倒れ込む。
体をずらしてベッドの半分を譲れば、当然のように占拠された。
「こういうのは?」
「……今日だけだぞ」
「本当に珍しいですね、どうしたんですか?」
「いや、何と言うか……」
正直に口にするのはあまりにも情けない。
けれども現状は否定出来ないので、天井を見つつ口を開く。
「頑張るって言った割に今日まで殆ど何もしてないし、駄目出しする事も多かったからな。そのお詫びだ」
「そんな事、気にしないでいいんですがねぇ。でも、それなら遠慮なくさせてもらいます」
隣から小さな笑い声が聞こえ、ぐりぐりと腕に亜梨栖の額が擦り付けられた。
無邪気で信頼しきった姿に、悟の心臓が鼓動を早める。
どうせここまで言ったのだから、先の予定を確定させてもいいかもしれない。
「それとだな、もう少ししたらゴールデンウィークだろ?」
「そうですね。私は一週間休みですが、兄さんはどうですか?」
「俺も一週間休みだ。折角だし、出掛けないか? スーパーに行くとかそういうのじゃなくて、デートとして」
「……いいんですか?」
亜梨栖が体を起こし、悟の視界に入ってくる。
深紅の瞳には、紛れもない嬉しさと、悟への気遣いが浮かんでいるのが分かった。
出掛ける際の建前は彼女が最初に話したとはいえ、悟が思いきり否定したので叶うと思っていなかったのだろう。
そんな考えをさせてしまった事が悲しくて、苦笑を零す。
「もちろん。そういう時は『幼馴染』っていう建前だからな」
「……ふふっ。なら、早速予定を決めないとですね」
澄んだ瞳を大きく見せ、その後嬉しさを滲ませるような微笑を浮かべながら、亜梨栖が悟の胸へと頭を乗せてきた。
ちょうどいい位置にある彼女の頭を、ゆっくりと撫でる。
すると、ご機嫌な顔が幸せそうに蕩けた。
「んー、さいこうです。それで、どの日に出掛けるんですか?」
「そうだなぁ」
亜梨栖とてインドア派なので、毎日出掛けるとは思っていない。
同じ考えをしてくれる事が嬉しく、頬を緩めつつ予定を擦り合わせていく。
最終日前はどうしても譲れないので悟がもらい、最終日は家で休む事に決める。
また、一日だけ信之と佳奈を招待する日として使わせてもらうが、それでも一日だけ予定が空いた。
無理に予定を詰め込む必要はないので、その日はのんびりしようかと思っていると、「あの」と不安げな声が耳に届いた。
「どうした?」
「空いた一日ですが、友達を家に招待していいですか?」
「アリスがそう言うって事は俺達の関係をバラしてもいい人だってのは分かるし、俺も友達を誘うから別にいいけど……」
悟が亜梨栖から離れるまで、彼女には友人と呼べる人が居なかった。
代わりに亜梨栖は悟にべったりだったし、それが嬉しかったのも否定しない。
しかし、彼女の学校生活を不安に思っていたのも確かだ。
そんな亜梨栖が、かなりプライベートな事を話してもいいと思える人を作っていた事に驚きを隠せない。
「友達、出来たんだなぁ」
「……前々から友人と話しているの、教えてましたよね。馬鹿にしてますか?」
余程不服なのか、亜梨栖の顎がぐりぐりと悟の胸に押し付けられる。
流石に痛いので謝罪を込めて銀糸を梳くように撫でると、あっさりと抗議は止んだ。
「そうじゃないって。その子、かなり親密な関係なんだろ?」
「ええまあ。私の数少ない――というか唯一の――本当の友人ですね」
柔らかく緩んだ頬からは、友人への確かな信頼が伝わってきた。
悟以外の人を真っ直ぐ信頼する姿に少しだけ黒い感情が沸き上がるが、必死に押さえつける。
例え亜梨栖から好意を向けられていても、それを表に出す権利などないのだから。
ただ、悟の胸に沸き上がった感情は一つだけではない。
心を許せる友人を作ったという、目覚ましい成長を遂げた亜梨栖に目の奥が熱くなる。
「断言出来るアリスは偉いなぁ。その子を大事にするんだぞ」
「そんな事、言われなくても分かってますよ。子供扱いしないでください」
「痛い、痛いから」
再び始まった顎での抗議を宥めつつ、安堵の溜息を吐き出した。
「でも、本当に良かったよ。学校生活は満喫するんだぞ? 遊びに行ってもいいからな?」
悟の事を優先してくれるのは嬉しい。
けれど本当の友人が居るのなら、是非遊びに行って欲しいのだ。
それは、昔の亜梨栖が出来なかった事なのだから。
普通の高校生活を謳歌出来るのに、彼女は迷いなく首を振る。
「私は兄さんと一緒に居たいんです。それに、友達も分かってくれてますよ」
「それならいいんだけど、遠慮するなよ?」
「分かってますって」
放課後に殆ど遊ばず帰るような生活は心配だが、無理強いは出来ない。
一度だけ念を押すと、嬉しそうに目を細められた。
ゴールデンウィークの予定を決め終わり、のんびりする為にか亜梨栖が体勢を変える。
再び悟の横に寝そべった亜梨栖へと顔を向ければ、淡く頬を紅潮させて、緩んだ口元をそのまま曝け出した笑みを見せていた。
「ゴールデンウィーク、楽しみですね」
「……そうだな」
ほぼ全ての予定は決まり、いよいよ行動に移すだけとなった。
最終日前は勝負に出るが、亜梨栖の性格は熟知しているし、おそらく失敗はないだろう。
それでも、悟から誘った初めてのデートを含めて、どうしようもなく不安を覚える。
同時に、楽しみにしている自分を自覚するのだった。




