第67話 送迎
「こうして送られるのは何だか不思議ですね」
助手席に座っている亜梨栖がぽつりと呟いた。
運転中なので顔が見えないものの、声色は柔らかかったのでおそらく楽しそうに笑んでいるのだろう。
「昔は歩きで送ってたのに、今は車だもんな」
「そうなんですよね。兄さんが大人になったって、物凄く思い知らされてます」
「俺の車に乗ったのは二度目なのにか?」
花見の際に一度車に乗っていても、亜梨栖にとっては衝撃的らしい。
彼女が制服姿なのが、余計にその実感を強くしているのかもしれない。
普段とは逆で悟の成長を実感させた事がくすぐったく、小さく笑みながら告げれば、亜梨栖が大きく頷くのが見えた。
「はい。むしろ今の方が大人っぽいですね。何と言うか、お父さん、みたいな」
「……お父さん、か」
悟の父には問題があり、亜梨栖の父は彼女が物心つく前に他界している。
なので、休日に年上の男性が高校生を送る姿に父性を感じたようだ。
素直には喜べず苦笑を零せば、小さな「すみません」という声が耳に届いた。
「変な事を言ってしまいましたね。忘れてください」
「いや、そこまで気にしなくてもいいぞ。あいつの事もあるけど、単に『お父さん』って呼ばれてもおかしくない歳になったんだなって思っただけだ」
落ち込んだのは、亜梨栖の言葉に父を思い出したからだけではない。
今年二十四歳の男性が父親になるだけなら、可能性として十分に有り得るのだ。
実際の所、子供からしたら父と呼ばれてもおかしくない程に年を取った、と自覚した事の方がダメージが大きかったりする。
とはいえ、女子高生に「お父さん」と呼ばれる事は絶対にないのだが。
ハンドルをしっかりと持ちながらも肩をすくめると、くすりと小さく笑われた。
「そういう事ですか。ならいっそ『パパ』とでも言った方がいいですかね」
「……それはマジでやめてくれ」
高校生に『パパ』と言われる社会人など、文句なしの犯罪者だ。
見目麗しい亜梨栖が口にしたせいで、余計にいがかわしくなっている。
とはいえ、彼女は先程の空気を変える為に、悟を揶揄っているだけだろう。
動揺を抑えて真剣に懇願すると、意地悪気な瞳が視界の端に映った。
「『パパ』からお金をもらってる訳でもないですし、いいじゃないですか」
「知ってるのかよ!」
悟があえて口にしなかった事は既に知っていたらしい。
亜梨栖がそういう知識を意外にも得ている事は理解していたが、そんな所まで知っているとは思わなかった。
思わず大声を出すと、くすくすと鈴を転がすような笑い声が返ってくる。
「知ってるだけですよ。私もそうですが、私の友人にもしている人はいません」
「はぁ……。心臓に悪いぞ」
「ふふ。すみません」
「男の店を知ってるのもそうだけど、女子の中でそういう会話をするのか?」
別に、亜梨栖に悪い事をするなと言うつもりはない。
犯罪にならなければ、ある程度の事は黙認するつもりだ。流石に『パパ』からお金をもらう事は許可できないが。
とはいえ、亜梨栖のそういう知識はどこから得ているのか疑問を覚えた。
「はい。女子の会話なんてそんなものだって前に言ったでしょう? これに関しては『有り得ないよねー』みたいな感じですが」
「そうしてくれると助かる」
普通の女子高生っぽい口調の亜梨栖が何だかおかしくて、小さく笑みながらもホッと胸を撫で下ろす。
詳細は聞けなかったが、亜梨栖がそういう事に加担していなければいい。
悟は顔も知らない女子高生を怒るほど聖人ではないし、亜梨栖を想っている時点でその資格はないのだから。
「まあでも、正直なところ兄さんを『お父さん』と呼びたくはないですね」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど、何でだ?」
散々揶揄ったものの、その呼び方をするのは嫌いらしい。
不思議に思って首を傾げれば、亜梨栖が小さな笑みを零した。
「だって、『お父さん』とは恋人になれませんから」
「……そうかよ」
父性を感じる時はあれど恋人がいいのだと告げられ、どくりと心臓が跳ねる。
どう答えればいいか分からず短く呟くと、ちょうど学校の近くの人気のない道に着いた。
いくら建前があるとはいえ、わざわざ火種を提供するつもりはない。
車を停めれば、亜梨栖が傘を広げて降りた。
「それじゃあ行ってきますね」
「あ、ああ、行ってらっしゃい」
運転中には殆ど見えなかったが、久しぶりに見た亜梨栖の顔は甘さを帯びた笑顔だった。
跳ねる心臓を抑えつつ送り出すと、彼女が運転席側へと回り込む。
窓を開けろ、という風に扉を叩かれたので素直に従った。
すると亜梨栖が窓から身を乗り出し、悟へと顔を近付ける。
「今日は家でゆっくりしてくださいね。私の部屋に入ってのんびりしてもいいですよ」
「……そんな事しないって。ほら、行ってこい」
「はぁい」
普段から亜梨栖が許可しているので、自室に悟が入っても本当に抵抗がないのだろう。
蕩けたような満面の笑みを浮かべ、彼女が学校へと歩いていった。
起きてから数時間しか経っていないはずなのに、妙に疲れた気がする。
「帰るか。休みだし、今日は俺が晩飯を作っていいかもな」
どうせ時間はたっぷりとあるのだ。晩飯を作る時間も、ゆっくり考える時間も。
気を取り直し、車を走らせる悟だった。
「おはようございます」
教室の扉を開け、挨拶の声を響かせて中に入る。
いつもと同じく大量の視線を受けながら席に着けば、よく話す親友が亜梨栖の傍に来た。
肩までの茶髪を揺らし、大きな瞳を目を細める姿に活発そうな印象を抱かせる。
「おはよー、アリス。……何か機嫌が良くない?」
「そうですか? まあ、そうですね」
朝から悟が髪に触れてくれただけでなく、学校の近くまで送ってくれたのだ。ご機嫌になるに決まっている。
とはいえ、見破られるとは思わなかった。
一瞬だけ目を見開いて僅かに頬を緩めれば、彼女が亜梨栖に抱き着いてくる。
相変わらずのスキンシップの激しさに、諦めの境地で肩を落とした。
「何かあったんでしょー。もしかして、あの人?」
「……そうですよ。わざわざ言わないでください、柊さん」
入学してからこれまでの間で、亜梨栖に好きな人が居るのはほぼ知れ渡っている。
知らないのは、入学したばかりの一年生くらいだろう。
それでも告白してくる二年生や三年生はいるし、一年生からの告白も多いのは悩みだ。
なので、わざわざ周囲へネタを提供したくはない。
数少ない本当の友人である柊真奈へと苦言を呈せば、けらけらと快活に笑われた。
「だいじょーぶだって、ちゃんと声を抑えてるし」
「本当に、頼みますよ」
「はいはーい。アリスがそんなに惚れ込んでるなら、一度くらい会ってみたいなぁ」
「…………真奈? 変な事はしないでね?」
悟に色目を使うのなら、例え真奈でも容赦はしない。
首を傾げて見つめれば、彼女の顔に焦りが浮かんだ。
「わお。名前で呼ばれたし、敬語も無くなってる。これマジなやつだ……」
「それで、分かった?」
「分かってるよぅ。でも、アリスが一瞬で変わったくらいだから、本当に会ってみたくなっちゃった」
「……まあ、気が向いたらいいですよ」
悟は友人を家に招待するようだし、亜梨栖も真奈を誘っていいだろう。
それに真奈とは一年以上付き合いがあるので、性格はよく分かっているし、信用もしている。
とはいえ場を掻き回しがちな所もあるので、溜息をつきつつ告げれば、真奈の瞳が輝いた。
「本当!? アリス大好き!」
「はいはい」
ある意味いつも通りの日常を過ごしつつ、朝のホームルーム前の時間は過ぎていった。




