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第63話 敗者への願い事

「さあさあ、入ってください」


 晩飯と風呂を終え、亜梨栖ありすに連れて来られたのは彼女の自室だ。

 足を踏み入れるとシトラスの匂いが強く香り、悟の心臓が騒ぎ立てる。

 反応すると変態のようで、必死に表情を取りつくろいつつ部屋を眺めた。


「……何か、俺の家じゃないみたいだ」


 亜梨栖の部屋には、荷解きの際や彼女が寝落ちした際に入っている。

 しかし、改めて見ると約二週間前まで物置だったとは思えないくらい生活感に溢れていた。

 呆けたように呟けば、くすりと小さな笑みが耳に届く。


「紛れもない兄さんの家ですよ。まあでも、そんなに見られると何だか恥ずかしいですね」

「ごめん」

「いえいえ。勝手に入ってもいいと言ってますし、怒るつもりもありませんよ」

「そんな事しないから」


 雪のように白い頬をほんのりと朱に染めた亜梨栖に、呆れ気味に返した。

 何度許可されようと、例え彼女が悟の部屋でくつろいでいようと、意見は変わらない。

 女子高生の部屋で寛ぐ社会人男性など、想像しただけで吐き気がする。

 絶対に止めておこうと改めて誓っていると、亜梨栖がベッドに上がり、隣をぽんぽんと叩いた。


「それはそれとして、どうぞ」

「それじゃあ遠慮なく」


 亜梨栖が許可したので悟が遠慮する理由はないし、そもそも悟は言う事を聞く立場だ。

 諦めて覚悟を決め、彼女のベッドに上がって胡坐あぐらをかく。


「これでいいか?」

「はい。兄さんへのお願いの一つ目は、その体勢でいる事ですよ」

「一つ目、だって?」


 明らかに複数のお願いをする気の発言に、頬を引きらせた。

 反対に亜梨栖は悪戯っぽく目を細め、こてんと小首を傾げる。


「一つしかお願い出来ない、とは言ってませんよね?」

「……まあ、確かに」

「ならいいですよね。それに変な事はしませんから、安心してください」

「分かったよ。それで、二つ目は?」


 屁理屈気味ではあるが、お願いは一つまでだと言わなかった悟が悪い。

 がしがしと髪を掻きつつ尋ねれば、澄んだ紅の瞳が嬉しそうに細まった。


「その前に、失礼しますね」


 銀色の髪がなびき、悟の膝の上に乗せられる。

 部屋着として短いズボンを履いているせいで、髪が擦れる感覚がくすぐったい。

 あまりにも唐突な行動に思考すら固まっていると、してやったりという風な笑みが向けられた。


「二つ目は、この体勢で頭を撫でてください」

「………………おう」


 想い人の部屋で、膝枕しつつ頭を撫でる。

 言いたい事は沢山あるが、その全てを飲み込んで艶やかな髪へ触れた。

 ゆっくりとくように撫でれば、彼女の瞳がとろりと蕩ける。


「んー。やっぱり最高ですねぇ」

「勝利の美酒ってやつだな」

「はい。たまらないです」


 ご満悦の表情で、悟の膝へと滑らかな頬を擦り付ける亜梨栖。

 無邪気な仕草が微笑ましく、彼女の頭を今度は少し乱雑に撫でる。

 嫌がるかと思ったが、亜梨栖は幸せそうに目を細めるだけだ。


「そういうのもいいですねぇ」

「普通は『乱さないでください』って怒る所だぞ」

「もう今日は外に出ませんし、乱れた所で問題はありませんよ。それに、兄さんに乱されるなら喜んで受け入れます」


 全幅の信頼を乗せた微笑みが、悟へと向けられる。

 微妙に悪い言い方をする亜梨栖に小さく苦笑を零し、髪を整えていく。

 その時ですら亜梨栖はずっと嬉しそうに笑い、悟の手を堪能たんのうしていた。 


「何か、甘えてくる時が増えたな」


 亜梨栖が改めてこの家に住み始めてから、悟に何かをねだる時が増えた。

 今回は彼女へのご褒美だったとはいえ、再会した当初や春休みの間なら絶対にこんな事はしなかっただろう。

 ぽつりと呟けば、人形のように整った顔が僅かに曇る。


「……駄目でしたか?」

「いいや、全然。むしろ嬉しいくらいだ」


 思いきり甘えられるのは悟の心臓に悪いものの、決して嫌ではない。

 それに、今の悟を好きになってもらうと宣言したのだ。むしろ甘やかしたくなる。

 気にするなと態度で示す為に、くしゃりと細い銀糸を撫でた。

 亜梨栖の顔から陰が取れ、柔らかな微笑みになる。


「なら良かったです。……兄さんを支えられるようになっても、甘えたくなるんですよ」

「それでいいんだよ。言ってるだろ? もらいっぱなしは嫌だって」


 わだかまりが解けても、この考えは変わらない。

 それどころか、胸のつっかえが取れてよりその考えは強まった。

 微笑と共に告げれば、亜梨栖が呆れと嬉しさを滲ませた笑みを浮かべる。


「そうでしたね。兄さんは相変わらず優し過ぎます」

「そういうアリスも、甘えたがりなのは相変わらずだな。昔から変わってない」

「……うるさいです」


 自分で認めていても指摘されるのは恥ずかしかったのか、髪の隙間から見える耳が赤く染まった。

 顔を背けられるが、悟の膝の上からは逃げない。

 どうしても甘えたい少女の微笑ましさに目を細め、撫でるのを再開する。


「…………すぅ」


 ゆったりとした時間を亜梨栖の頭を撫でながら楽しんでいれば、微かな寝息が聞こえた。

 ベッドの上という事もあり、いつの間にか寝てしまったのだろう。

 あるいは、こうなる事も予測して自室に連れて来たのかもしれない。

 どうせ明日も休みなのでずっと撫でていたいが、流石に体を動かしたくなってきた。


「ごめんな、アリス」


 眠りの海に旅立った亜梨栖には聞こえないと理解しつつも、断りを入れて彼女の頭を浮かせる。

 出来るだけ揺らさないよう枕に移動させ、毛布を掛けたのだが、珍しく長い睫毛がふるりと震えた。

 ゆっくりとまぶたが開いていき、焦点の合っていない瞳をのぞかせる。


「起こしちゃったな。俺は部屋に帰るから、ゆっくり寝てくれ」

「……やだ」

「まさか、これから起きるのか?」

「それも、や」

「なら、アリスはどうしたいんだ?」


 舌っ足らずな声と幼い言葉遣いに、思わず子供を相手する時のように接してしまった。

 しかし亜梨栖は気にする事なく、毛布を広げてぽやっと緩い表情を見せる。


「いっしょに、ねよ?」

「それは駄目だって言っただろ?」

「だめ、なの……?」

「う……」


 不安をこれでもかと表に出し、瞳を潤ませる姿はあまりにもあざとい。

 それを寝ぼけながらとはいえ、素で行うのだから小悪魔過ぎる。

 本来ならば意地でも断らなければならないのに、つい動揺してしまった。

 そんな悟を見逃すはずもなく、亜梨栖がにへらと溶けるように眉尻を下げて手招きする。


「いいでしょー?」

「……分かったよ」


 こんなにも愛らしい姿で誘惑されれば、憂いの無くなった悟に断るという選択肢など取れない。

 亜梨栖が熟睡した後に抜け出せばいいと結論付け、おずおずとベッドに入る。

 背を向けようとしたのだが、その前に寝ぼけている亜梨栖がするりと悟の腕の中に入ってきた。


「あ、アリス、ちょっと……」

「んぅー。おにーちゃん、あったかいー」


 悟の言葉など全く耳に入っていないらしく、亜梨栖が喉を鳴らして悟の胸に頬ずりする。

 寝起きに彼女を抱き締めていた時はあったが、だからといって今の状況を甘受かんじゅ出来はしない。

 亜梨栖のベッドだからか、女性らしい甘い匂いが強く、柔らかな体の感触と合わせて悟の理性を揺さぶってきた。


(これは辛いなぁ……)


 無理矢理引き剥がす度胸もなく、そのせいで亜梨栖の魅力を叩きつけられる。

 どうしようもなく体が反応し、彼女に触れないよう腰を引いた。

 必死に理性を縛る悟をよそに、亜梨栖が腕の中で安堵の溜息をつく。


「しあわせぇ……」

「………………ああもう、仕方ないなぁ」


 言葉通りの感情が溢れたような呟きに、強引に引き剥がすのを諦めた。

 この状況で眠気など来ないが、幸い明日は日曜日だ。どれだけ寝るのが遅くなろうと構わない。

 悟も溜息をつき、けれど微かに頬を緩めて寝かしつけるように亜梨栖の頭を撫で始める。

 その後、朝日が昇り始める時間まで起き続け、偶々亜梨栖が寝返りを打った瞬間に離脱する悟だった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 描写はないけどきっと全力全開完膚なきまでに叩きのめしたであろうアリスさん [一言] 計画通り(ニヤリ なアリスさんでした。しかし最後の最後に逃げられてしまってますなぁ。
[一言] 女子高生の添い寝。ご褒美デスな。
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