第62話 楽しむなら一緒に
亜梨栖が悟の部屋から出て来て、昼飯も摂り終わった土曜日の午後。
「……」
テレビから視線を放さず、亜梨栖が無言でゲームのキャラクターを動かす。
内容は以前悟が散々に負けた対戦ゲームだ。
凄まじい指さばきの亜梨栖だが、対戦者も同じくらいの実力があるらしい。
悟からすれば考えられないくらい高いレベルの対戦に、口を閉ざしてつい見惚れてしまう。
そして、同レベルの人と対戦するので亜梨栖が負ける時もある。
ちょうど今回はその時のようで、彼女が負けたという証明が画面に表示されていた。
「チッ。やりますね」
「…………」
頬を膨らませて不機嫌をアピールするのではない。
悔しそうに顔を歪め、小さな舌打ちをする姿に背筋が冷えた。
とはいえ後に続いた言葉は暴言などではなく、対戦相手を褒めるものだったのが亜梨栖らしい。
その後も淡々と、けれどゾッとする程に美しい無表情でゲームをする姿を眺め続けていた。
「はぁ……。久しぶりにガッツリやりましたが、神経使いますね。楽しいですけど」
どうやら満足したようで、亜梨栖が柔らかな笑顔を浮かべつつ肩の力を抜く。
先程までの様子とあまりに違く、しかも一瞬で普段の雰囲気に戻るのだから、頬が引き攣ってしまった。
「やっぱりそのレベルになると動きが違うな」
「全員かなりやり込んでますからね。簡単には勝てませんよ」
勝つことが大変だからこそ神経を研ぎ澄ませ、必死に思考を回転させて勝ちをもぎ取る。
達成感の込められた笑みからは、それが楽しいのだと伝わってきた。
ただ、こんなにも亜梨栖が本気の対戦を楽しんでいるのなら、以前悟と遊んだ際はあまり楽しくなかったかもしれない。
もちろんそんな事を口にするつもりはないので、言葉を飲み込んで微笑を作る。
「でもかなり勝ってたよな。お疲れ様」
「ありがとうございます。ところで、久しぶりに一緒にしませんか?」
「……なら、やろうかな」
気分転換の為にか、それとも単なる気まぐれなのかは分からない。
内心では亜梨栖が楽しめるか悩みつつも、彼女の誘いを断るという選択肢はなかった。
コントローラーを握り、全力で立ち向かう。
やはりというか、一方的に悟が負けた。
「実際に対戦すると、改めて強さが分かるな」
「ふふ。おだてても手加減はしませんよ?」
「もちろん。それで勝っても嬉しくないからな」
確かに悟は負けっぱなしだが、それでも亜梨栖に手加減されたいとは思わない。
悔しいし、完膚なきまでに叩きのめされるのは辛いが、手を抜かれるのはゲーマーにとって侮辱と同義だ。
彼女もそれを分かっており、柔らかい笑みで頷く。
「なら遠慮なくいきます。でも、一方的なのが続くと兄さんがつまらないですよね」
「いや、俺はアリスが楽しいならいいんだ」
「駄目です。いくら対戦ゲームとはいえ、一緒に遊ぶなら二人共が楽しくないと」
唇を尖らせ、深紅の瞳に不満を映す亜梨栖。
勝敗が全てではないという言葉に目を瞬かせれば、彼女が腰に手を当てて僅かに唇を尖らせた。
「最初は兄さんを叩きのめす為に努力しましたが、それが生きがいという訳ではありません」
「そう言ってくれるのは助かるな」
別に負けるのが嫌だと言うつもりはないし、それが悟の力不足だというのは分かっている。
なので亜梨栖に怒ったりはしないが、負け続けると落ち込むのが人間だ。
肩を竦めつつ笑みを落とせば、彼女に呆れたといった風な目線を向けられた。
「それに、私は兄さんとゲームをするのが楽しいんです。もちろん同レベルの相手と本気で戦うのも良いですが、それとこれとは別ですよ」
「……ありがとう」
悟が内心で抱えていた苦しみは、亜梨栖に筒抜けだったらしい。
見透かされた気恥ずかしさに頬を掻きつつ呟けば、彼女が柔らかく目を細めた。
「そういう訳で、お互いが楽しむ為にハンデをつけましょう。もちろん、それ以外は全力ですよ」
「ハンデか、よし分かった」
悟と亜梨栖の力の差は歴然だ。同じ条件下で勝負するならば、万に一つの勝ち目もない。
だからこそ、手加減ではなくハンデというのは嬉しかった。
ただ、ハンデをもらいっぱなしというのも情けない。
亜梨栖が悟を気遣うのならば、悟も彼女にとって得になる事をしたいのだ。
「なら折角だし、負けた方は勝った方の言う事を聞くのはどうだ? もちろん、無理のない範囲でだけど」
仲の良い人同士での定番の条件を持ち出せば、すうっとルビーの瞳が細まる。
その瞳の奥には、先程真剣に対戦していた時以上の剣吞さが見えた。
「…………いいでしょう。これは絶対に負けられませんね」
「無理のない範囲でだからな? 分かってるよな?」
「当然です。無茶な要求なんてする訳ないじゃないですか」
「どう見てもしそうな雰囲気なんだが」
口調は普段通りの平坦なものだが、目が全く笑っていない。
背中に流れる嫌な汗を感じつつも問い詰めれば、亜梨栖が唇の端を吊り上げる。
「まさか。ほら、やりますよ。ハンデとして、ストックは一機でしますから」
「つまり、そこまでしても勝つ自信があると」
悟はこれまで一度も亜梨栖のキャラクターをステージの外まで吹き飛ばせなかったので、確かに問題はないのだろう。
しかし、これなら何かの間違いで悟が勝つ未来だってあるかもしれない。
強者の余裕を見せる彼女に、挑発的な言葉をぶつけた。
すると亜梨栖は意外にも首を振り、ガラス玉のように透き通りすぎている瞳を悟へと向ける。
「このハンデならば万が一が有り得ます。ですが、出来る出来ないの話じゃないんですよ。やらなければならない。それだけです」
「うわぁ……」
ハンデをくれたお返しにと条件を出したが、亜梨栖を炊きつけ過ぎたらしい。
鬼気迫る威圧感を発する姿に引きながらもコントローラーを握る。
「では本気の本気でいきます」
「ええい、こうなったら自棄だ。来い」
その後、悟が負けるまでに掛かった時間は過去最短だった。




