第6話 勘違い
「豚骨味玉ラーメン、メンマトッピング二つ! お待ちどおさま!」
店は繁盛しているが、それほど待つ事なくラーメンが目の前に現れた。
乳白色のスープに味玉が二つ、そして大量のメンマ。
少々トッピングしてはいるものの、悟としては豚骨ラーメンこそがラーメンの王様だと思う。
そして、目の前の少女も同じ意見のはずだ。
悟の予想通り紅玉の瞳が輝きを増し、興奮に見開かれた。
「わぁ……!」
先程までの美しい無表情とは違う、普通の女子のような反応に悟の頬も緩む。
豚骨ラーメンで喜ぶ女子高生、というのも変だなと今更ながらに思う。しかし誘ったのは悟だし、亜梨栖が喜んでいるので気にしない事にした。
気を取り直して食べようとすれば、彼女が「あ」と短く声を上げる。
「どうした?」
「ちょっとやる事を思い出したので、先に食べていいですよ」
「そんな事しないって。待ってるよ」
折角一緒に食べるのだ。悟だけ先に食べるという選択肢などない。
それに亜梨栖とて、麺が伸びるような時間が掛かる事はしないだろう。
悟の言葉に、彼女が唇の端を緩める。
「ありがとうございます。ん、しょ……」
どうやら亜梨栖は髪を気にしているようで、ポーチからヘアゴムを取り出して縛り始めた。
腰までは届かないものの、長い白銀の髪が慣れた手つきで束ねられてゆく。
右に左にと銀糸が揺れる光景に、昔とは違った女性を感じさせる仕草に、つい見惚れてしまう。
「これでよし。……どうしましたか?」
緩い一つ結びを終えた亜梨栖が、感情の読めない無表情でこてんと首を傾けた。
どうやらラーメンが気になり過ぎて、悟の視線に疑問を覚えていないらしい。
ジッと見つめ続けてしまった事を今になって自覚し、頬に熱が宿り始める。
「い、いや、何でもない。それじゃあ食べるか」
「はい」
「「いただきます」」
首を振って羞恥を誤魔化し、しっかりと手を合わせて麺を勢いよく啜る。
麵に絡んだスープによって、口の中にこってりとした味が広がった。
味の付いたメンマを一緒に口に含めば、幸福感に胸が満たされる。
「……うま」
「ですねぇ。こんなに美味しいとは思いませんでした」
悟の小さな呟きに、亜梨栖が今日一番の弾んだ笑顔を浮かべながら頷いた。
誰もを魅了する笑みに、周囲の客が釘付けになる。もちろん、悟の心臓も意志に反して鼓動を早めていた。
必死に鼓動を抑え込みつつ、僅かに胸を張る。
「俺がこの周囲を歩いて、厳選に厳選を重ねたラーメンだからな」
「この味なら納得です。……ですが、このお店の常連になるだけでなく、他の店にも相当な回数行ってましたね?」
亜梨栖が喜んでくれた事が嬉しくてつい口を滑らせてしまったが、先程食生活に駄目出しをされたのだ。
ワントーン下がった声が飛んできた事で失言に気付き、乾いた笑みを零す。
「い、いやぁ、その……」
「……本当に、これからは控えてくださいよ?」
露骨な誤魔化しだったが、これ以上話を蒸し返すつもりはないようで、亜梨栖が溜息をつきつつも流してくれた。
それほどまでに味を気に入ってくれたと分かり、悟の唇が弧を描く。
「分かってるさ」
「よろしい」
亜梨栖の機嫌はあっさりと戻り、口元を緩めつつ、ラーメンを遠慮なく啜り始めた。
今の彼女の大人びた容姿――ともすればラーメンとは縁の無いような見た目――に反して、意外にも豪快に啜っている。
あまりにもちぐはぐな姿にも関わらず、それほど違和感を抱かない事に、内心で呆れとも感心ともつかない溜息を零す。
(ラーメンが似合う美少女って凄いなぁ……)
昔の亜梨栖は悟や奏等の親しい人限定で非常に明るく、可愛らしい顔立ちに髪と目の色も相まって、外に出れば周囲の視線を必ず集めていた。それはラーメンを啜る姿も例外ではない。
なので周囲の視線に関して、悟はとっくに慣れている。
しかし、今は昔と同じように視線を集めているものの、その質が違う。
ラーメン店に居るのが場違いな程に亜梨栖が美しいせいで、微笑ましいものを見る視線ではなく、見惚れるようなものが殆どなのだ。
明らかに合わないであろう組み合わせでも絵になってしまうくらいなので、周囲の気持ちは分かる。
こんな感想など褒め言葉にもならないので、口には出さないが。
「手が止まっていますが、麺が伸びますよ?」
亜梨栖がラーメンの熱さに頬を赤らめ、垂れる髪を耳へとかき揚げながら尋ねてきた。
本人は無意識なのだろうが、悟の心を容赦なく擽る姿に心臓が騒ぎ立てる。
「それは困るな。折角の美味しい飯が台無しだ」
「ですね。出されたラーメンは美味しい間に食べるのが私達の責任ですから」
「……だな」
妙な哲学を口にした亜梨栖に苦笑しつつ、ラーメンを食べるのに集中する。
それからはお互いに無言で食べ、綺麗に完食した。
少し休憩をしてから立ち上がり、レジに向かう。
すると、店長が生暖かい笑みを浮かべて待っていた。
「二千百円だ」
「……? ちょうどで」
店長の笑みは気になるものの、財布から金を取り出してトレーの上に置く。
すると、隣から「あ、あの」という戸惑った声が聞こえた。
声の方を見れば、亜梨栖が表情を迷わせている。
「それくらい払えますよ?」
「いいさ、今日は俺の奢りだ」
本来であれば亜梨栖が料理するはずだったのに、悟のせいで外食になったのだ。
また、ラーメンを選んだのは彼女のご機嫌取りも兼ねている。
そんな邪な感情で提案したのだから、元々亜梨栖に払わせるつもりなどなかった。
きっぱりと口にして店の外へと出ると、亜梨栖が顔に嬉しさと申し訳なさを混ぜ込んだ笑みを浮かべてついてくる。
そして、にやにやと意地の悪そうな笑みをしている店長も。
「また彼女を連れて来いよ!」
「は?」
店長のあまりにも的外れな言葉に心臓がどくりと跳ね、呆けた声が出た。
おそらく、これまで一人だった悟が亜梨栖を連れて来たせいで、勘違いしてしまったのだろう。
声を掛けようと思ったのだが、その前にぴしゃりと扉が閉められた。
「……どうしようかな」
勘違いを訂正する為には、もう一度店に入らなければならない。
しかし、先程食べ終わった客がそんな事をすれば冷やかしになる。
頭を悩ませていると、亜梨栖が日傘を広げて店の下から出た。
傘から覗く顔は、なぜか上機嫌な笑みを作っている。
「さあ、行きましょうか」
「いや、でも……」
「今から訂正しに行くのは店に迷惑ですよ。分かってますよね?」
「もちろん。……仕方ない、今回だけはいいか」
本来ならば、今すぐにでも訂正しに行った方が良い。
しかし勘違いを訂正出来ない状況にした店長が悪いのだし、悟は彼に返答をしていないのだ。
後でいくらでも言い訳が聞くので、焦る必要はない。
それに揶揄ってきたとはいえ、飲食店で一番立場が上の人だ。
客が不利益を被るような事は言いふらさないだろう。
逸る心臓の鼓動を落ち着かせ、亜梨栖の隣に並ぶ。
「いいお店でした。また食べに行きましょうね」
日傘のせいですぐ傍ではないが、来た時よりもほんの少しだけ近い距離に亜梨栖が居る気がする。
少し弾んだ声からすると、ラーメンの味を気に入ってくれたから提案したはずだ。
しかし、それにしては機嫌が良過ぎる。
「それと、ラーメン美味しかったです、ごちそうさまでした」
「……あいよ」
思考に蓋をして亜梨栖の態度の意味を考えないようにし、短く応える悟だった。




