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第52話 惰眠を貪って

「ん……」


 腕の中に柔らかく、抱き心地の良いものがある。

 顔を寄せて鼻を鳴らせば、シトラスの良い匂いで肺が満たされた。

 三月の終わりではあるが未だに朝は少し肌寒く、抱いているものの温かさが心地良い。


「う……、ん……」


 腕の中から鼻に掛かったような声が聞こえ、もぞりと動いた。

 そんなものがベッドの中にあっただろうかと疑問が浮かび、重いまぶたを開ける。

 すると、悟の胸が銀色の髪に埋め尽くされていた。


「っ……!」


 驚きに体を震えさせてしまったが、声を上げなかったのは自らを褒めても良いだろう。

 それでも体を動かした事で、亜梨栖ありすを起こしたかもしれない。

 不安になってジッと体を固定させていると、彼女がゆったりと動き出す。


「ぉに……ちゃ……」


 舌っ足らずな声を発し、亜梨栖が悟を求め始めた。

 悟の胸に顔を押し付け、収まりの良い場所を探す為にくねくねと身をよじらせる。

 しばらくすると納得がいったようで、「はふ……」と満足そうな溜息と共に亜梨栖の体から力が抜けていった。

 頭は起きた頃から悟の腕の上に乗っており、退かす気はないらしい。

 規則正しい寝息が聞こえて来た事で、ようやく体の力を抜く。


「びっくりしたぁ……」


 寝る前は亜梨栖と反対の方を向いていたのに、いつの間にか寝返りを打ったようだ。

 しかも、なぜか彼女がすっぽりと悟の胸に埋まっている。

 そんな事が有り得るのかと首を傾げたくなるが、現実に起きているのだから認めねば。

 それに、宣言したのに寝返りを打ったのだから、悟には亜梨栖を怒る資格などない。


「つい寝かせたけど、どうするかな」


 本当ならば、亜梨栖を起こして距離を取るべきだった。

 しかし彼女は朝が弱いにも関わらず、この一週間の間、悟よりも早く起きていたのだ。

 ならば、惰眠だみんを貪る日があってもいいだろう。

 そう思うと、いくらくっつかれているとはいえ、亜梨栖を起こせなかった。

 顔は見えないものの、気持ち良さそうな寝息が耳に届き、悟の頬が緩む。


「……ちょっとだけ、俺もいいよな」


 建前を散々述べたり理性を固く縛ってはいるが、悟とて男性だ。高校生や大学生程ではないものの欲はある。

 なので、想い人と密着している今の状況は、何だかんだで嬉しかったりする。

 少しだけ緩んだ理性のささやくままに、亜梨栖を抱き締めた。


「抱き心地良いなぁ……」


 小さく子供ながらに温かかった昔と違い、華奢ではあるがしっかりと女性らしい柔らかさのある体。

 シトラスの香りが悟の体に熱を灯らせるが、僅かに眠気のある今はどちらかというと安心感の方が大きい。

 一緒に寝て、距離感が狂っているというのもあるのだろう。

 こうしてくっついていると再びまぶたが重くなってくる。


「っていうか、今何時だ? ……なんだ、まだ寝れるな」


 片手を伸ばして時刻を確認すれば、平日の朝食の時間だった。

 今日の日中は用事などないし、朝食を必ず食べなければならない理由もない。

 ならば悟も遠慮なく二度寝出来ると、肩の力を抜く。


「こういう日もいいもんだ」


 健康的とは程遠い、だらけきった生活。しかし社会人としては最高の休日だ。

 それに素晴らしい抱き枕も付いてくるのであれば、堪能たんのうしなければ損というものだろう。

 後の事は後で考えればいいと、悟も睡魔に身を委ねたのだった。





「ふふっ。一緒に寝たご褒美というやつですねぇ」


 鈴を転がすような声に、意識が浮上する。

 心地の良い二度寝から覚めると、目の前に整い過ぎている少女の顔があった。

 満面の笑みと嬉しそうに細められた深紅の瞳が、悟へと向けられている。


「うわぁ!」


 今度は流石に声が出てしまい、急いで距離を取ろうとする。

 しかし細い腕が悟の背中に回されているせいで、どれだけ動いても密着したままだ。


「あ、アリス! 離れてくれ!」

「えー? 折角こうして兄さんと密着出来るんです。勿体ないですよ」

「頼むから!」


 悪戯っぽく笑んで悟の胸に顔を埋めようとする亜梨栖に、必死に懇願こんがんする。

 先程は彼女が寝ていたからまだ大丈夫だった。

 寝顔を見られるのはこの一週間で慣れたとはいえ、お互いに起きたまま密着するのは心臓に悪すぎる。

 余程悟の顔が真に迫っていたのか、亜梨栖は溜息をつきつつも離れてくれた。

 しかし、ベッドから降りる気はないのか再び横になる。


「仕方ないですねぇ。純情童貞兄さんには刺激が強すぎましたか」

「散々な言いようだけど、驚くのは当たり前だからな?」


 遠慮なく言葉の刃を向ける亜梨栖に嘆息たんそくしつつも、内心では胸を撫で下ろす。

 最初に起きた際、亜梨栖は完全に寝ていたからか、悟が抱き締めたのが分からないようだ。

 もちろんそういう状況を狙って抱き締めたので、この調子で寝ている間に密着してしまったという風に流してしまえばいい。

 その為ならば、純情童貞という言葉も喜んで受け入れよう。


「まあいいや。気付いたらそっちを向いてたみたいだし、ごめんな」

「いえいえ。むしろありがとうございます。最高の睡眠が取れました」


 二度寝の悟よりも早く起きたからか、意識のハッキリしている亜梨栖が柔らかく微笑んだ。

 自ら口にした約束を破った事でお礼を言われてしまえば、何も言えなくなる。

 渋面を作りつつも反応はせず、亜梨栖の足側を通ってベッドから降りた。

 時刻を確認すれば、後二時間程度で昼だ。


「改めておはよう、アリス」

「おはようございます、兄さん」

「それで、もう朝飯を食べる時間じゃないけど、どうする?」

「確かにそうですね。今日くらいは抜きでもいいでしょう」

「だな」


 一緒に寝れて余程機嫌が良いのか、それとも今から作っても昼が入らないと思ったのか、亜梨栖がさらりと述べた。

 悟としてもその方が有難いので、頷きつつリビングへ向かう。

 ただ、亜梨栖がベッドから降りる気配が一向にない。


「……いつまでそうしてるんだ?」

「え? どうせ動くとなると昼からですし、兄さんのベッドを堪能しようかと」

「そんな当たり前のように言われるとは思わなかったな……」


 無垢な表情できょとんと首を傾げる姿からすると、自分の行動を少しも変だと思っていないようだ。

 想い人にベッドを占領されるというのは気恥ずかしいが、どちらかというと欲望にあまりにも素直な亜梨栖に呆れてしまう。

 ただ、くつろぎ慣れているだらけきった姿に違和感を覚えた。


「もしかして、普段から俺のベッドに乗ってるのか?」

「はえっ!?」


 亜梨栖が素っ頓狂とんきょうな声を上げ、勢い良く身を起こした。

 日に焼けない真っ白な頬が、じわじわと熱を持っていく。


「ななななな何を言ってるんですか? そんな事、ある訳、ないでしょう!?」

「単に確認のつもりだったんだけど、本当に乗ってたんだな……」


 忙しなく視線をあちこちにさ迷わせ、明らかに動揺した口ぶりをしているのだ。

 間違いなく、悟が居ない間に亜梨栖はベッドに乗っている。

 とはいえ、悟の部屋に入ってもいいと許可を出しているので、怒りはしない。

 最近ではシーツから僅かにシトラスの匂いがしたので不思議に思っていたのだか、謎が解けた。

 嬉しさと呆れを混ぜた笑みで亜梨栖を見つめれば、耳まで真っ赤にした彼女が勢いよく首を振る。


「違います! いつも兄さんのベッドの匂いを堪能してるとか、ここで仮眠を取ってるとか、そんな事ありませんから!」

「おーい。自爆してるぞー」

「あぁぁぁぁ!! もう見ないでください!!」


 感情が振り切れたのか、シーツを被って丸くなってしまった。

 悟のベッドなのになと苦笑しつつ、声を掛ける事なくリビングへ向かう。


「……聞かなかった事にしよう」


 想い人が毎日ベッドの匂いを嗅いでいるなど、想像するだけで頬に熱が集まる。

 もちろん無断で行われていたのだが、嫌な気持ちなどほんの僅かですら沸き上がらない。

 とはいえ素直に喜ぶのは何だか変態みたいだったので、頭から先程のやりとりを弾き出すのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] やられたら(無意識に)やりかえす悟さん強くなったなぁ(違) [一言] 最近はよく自爆するアリスさん、再会時の面影はもはやなくかわゆす
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