表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
50/122

第50話 髪の長さ

 晩飯の片付けは亜梨栖ありすがするとの事で、遠慮なく任せて悟は風呂場に向かった。

 ほんの少しだけ以前のように入ってくるかと警戒したが、そんな事はなく無事に入浴を終える。

 リビングに向かえば、これまでと同じように亜梨栖がカーペットに座って待っていた。


「ほら、兄さん」

「分かったよ」


 もう細い指が悟の髪を撫でる感覚にはまっており、一日の楽しみになっている。

 出来る事ならもっと委ねていたいが、髪の短さから長くは続かず、すぐに髪が乾いた。


「今日もありがとう、アリス」


 振り返ってお礼を口にすると、亜梨栖が不満そうに唇を小さく尖らせる。


「兄さんの髪を乾かせるのは嬉しいですが、すぐに終わるのが残念です……」

「生憎と伸ばす気はないからなぁ。諦めてくれ」


 社会人になった事で、髪の毛を伸ばしていても誰にも文句は言われなくなった。

 もちろん会社には頭髪についての決まりなどないし、男子高校生以上に髪を伸ばしていても良い。

 しかし、第一印象というものは社会人になっても大切だ。

 結果として、悟はそれほど髪を伸ばさないようにしている。

 亜梨栖の望みを叶えられない悔しさに渋面を作ると、彼女が目を細めた柔らかい微笑みを見せた。


「はい。それに残念ではありますが、兄さんは髪が短い今の方が格好いいと思いますよ」

「……そう言ってくれて良かったよ。ほら、アリスも風呂に入ってこい」


 全力でぶつかってくるのではなく、さらりと当たり前のように褒められて頬に熱が集まっていく。

 誤魔化すように入浴を促せば、くすりと小さく笑われた。


「はぁい」


 すぐに亜梨栖が風呂場に向かい、シャワーの音が聞こえだす。

 これまでと変わらない日常だが、悟の心境が変化したからか、再会した時のように心が落ち着かない。

 気を紛らわせる為にスマホで動画を流していると、脱衣所への扉が開いた。


「上がりました」

「よし、なら今度はアリスの番だな。おいで」

「……はい」


 先程やってもらったお返しなだけなのに、亜梨栖は瞳を輝かせて幸せそうに目を細める。

 あまりにも可愛らしい姿に、心臓の鼓動が僅かに早まった。

 強引に抑えるような事はせず、悟に背を向けた亜梨栖の髪を乾かしていく。

 これまでと変わらない行為だが、銀糸から艶を失わせてはならないと身を引き締めた。

 焦らず、けれど湿気で髪を痛めないように手際よく髪を乾かし終え、次に手入れを行う。

 

「髪の手入れ、随分慣れましたね」


 ヘアオイルを丹念に髪へ染み込ませていると、嬉しさを滲ませた声が耳に届いた。


「昔と違うけど、一週間やってれば覚えるさ」


 昔はお願いされても髪を乾かすだけだったが、今は手間が増えている。

 しかしそれが嫌だとは思わないし、むしろやりがいがあるのだ。


「それに、折角綺麗な銀髪なんだ。俺の手入れが下手なせいで曇らせたら勿体なさ過ぎる」


 色素が無いのと髪の艶が無いのは違う。しっかりと手入れをすれば、白髪は照明を受けて光輝くまでになる。

 それは、再会した際の亜梨栖の髪の艶からも明らかだ。

 もちろん、一朝一夕で出来る事ではない。手間と時間をたっぷりと掛けて出来上がる事だと、悟はもう知っている。

 なので必死に勉強し、時には亜梨栖のアドバイスを受けて、真剣に手入れしているのだ。

 その結果、少なくとも輝きを損なってはいないと自信を持って言える。

 迷いなく断言すれば、小さな背中がもぞりと揺れた。


「……ありがとうございます」

「むしろ、俺の方こそ触らせてくれてありがとな」


 髪が女の命だというのは、これまで恋人が居なかった悟ですら知っている。

 亜梨栖とて十分に理解しているはずだが、それでも悟に触らせてくれているのだ。

 その理由は、悟に心を許してくれているからなのだろう。

 だからこそ、感謝を忘れてはならない。

 日々の感謝をたっぷりと詰め込んでお礼を口にした。

 すると亜梨栖が僅かに顔を傾け、こちらへと視線を向ける。

 羞恥にか潤んだ瞳と共に見えた頬は、真っ赤に染まっていた。


「…………別に、兄さんならいつでも触っていいですよ」

「いつでもって言われたら、ずっと触りそうだなぁ」

「なら、遠慮せずにどうぞ」

「ありがとう、アリス。でも、今は風呂上がりだけで我慢するよ」


 悟が手入れした結果とはいえ、艶のある銀髪は触っていても飽きる事などない。

 亜梨栖と気持ちが通じ合っている事に小さく笑みつつ、けれどもあえて我慢する。

 今はあくまで同居人で幼馴染なのだ。用事もないのに髪を触るような事は抑えなければ。


「……むぅ」

「そんなに怒らないでくれ。代わりに今は堪能させてもらうからさ」


 頬を膨らませ、これでもかと不機嫌アピールする姿は少しも怖くない。

 しかし、機嫌を損ね続けては駄目だと、髪の手入れに集中する。

 亜梨栖は何か言いたそうにしていたものの、素直にジッとしてくれた。

 そして髪の手入れも終わり、二人してソファに腰を下ろす。

 とはいえ、彼女の瞳は不満の色を映しているのだが。


「……この際ですし、はっきりさせておきましょう」


 拒否は許さない、と言わんばかりに圧のある声が向けられた。

 こういう声を出す時は、冗談などで誤魔化しが効かない。

 何を言われるのかと内心で警戒しつつ、何とか笑顔を作る。


「何をだ?」

「兄さんは、ロリコンなんですか?」

「………………はい?」

「ですから、ロリコンなんですかと聞いたんです」

「……」


 あまりにも鋭い言葉の刃が、悟の心を容赦ようしゃなくえぐった。

 七歳下の女の子――それも恋をしたのは彼女が幼稚園児の時――となれば、ロリコン呼ばわりされても仕方ない。

 ただ、社会人に向けられる言葉としては、これ以上に心を傷付けるものもそう無いだろう。

 胸の痛みと驚きに思考が固まってしまった。


「あ、あの、悪意は――ほんのちょっとだけありましたけど、すみません」

「……それに関してはいいんだ。それよりも説明を求める」


 悟の様子からやり過ぎたと思ったようで、亜梨栖がへにゃりと眉を下げて謝ってくる。

 普通なら怒る所なのだろうが、彼女があんな言葉を言ったのは悟が髪を触らなかったからのはずだ。

 ならば、期待に応えられなかった悟に怒る権利はない。

 代わりに詳細を尋ねれば、亜梨栖がおずおずと口を開く。


「だって、髪が乾いたらすぐに手を放しましたから」

「それが何でロリコン疑惑になるんだよ」

「昔の私はここまで髪を伸ばしてなかったじゃないですか。だから、昔の短い髪の方が良いのかと思って。……容姿は綺麗って言ってくれましたから、まあいいかなと」

「髪の長さでロリコンかどうかを決めるって、極端過ぎだろ」


 どうやら腹の虫が収まらず、昔の亜梨栖の容姿を持ち出すついでに悟を責めたらしい。

 納得は出来たが、あまりにも振れ幅の大きい亜梨栖に重い溜息をつく。


「あのなぁ……。髪の長さはアリスがしたいようにすればいいんだよ」

「ですから、兄さんの好みを知りたいんです」

「…………俺の本性、知ってるよな?」


 七歳下の子供の信頼を利用し、自分好みに変えようとした。それが悟の性根なのだ。

 それを知ってるにも関わらず尋ねてきたので、表情を真剣なものへと変えて亜梨栖を見つめる。

 すると、人形のように整った顔が柔らかく破顔した。


「もちろんですよ。でも、これは今の私がそうしたいと願った事です」

「……物好きなやつめ」


 他の道を知りながらも歩まず、全てを理解した上で悟の好みにしたいのだという想いが、痛い程に伝わってくる。

 それを申し訳ないと思うと同時に、嬉しくて唇が勝手に弧を描いてしまった。

 誤魔化すように呟きつつ、覚悟を決める。

 これほどまでに真っ直ぐぶつかってくれたのだから、悟に出来る事は決して偽らず本心を口にする事だろう。


「昔も悪くないけど、今も好きだな。大人っぽくて綺麗だ」


 大人の女性でも、背中の中程まで髪を伸ばす人はそういない。

 それが銀髪ともなれば、まず見ないと言ってもいいだろう。

 だからこそ、それは亜梨栖を大人っぽく見せているに違いない。

 そんな髪を間近で見られるのも嬉しいし、何よりも銀糸がなびく光景は美し過ぎる。

 羞恥を押し殺して告げれば、亜梨栖が勢いよく顔を俯けた。


「……っ。そう、ですか」


 輝く銀髪からちらりと覗く耳は火傷したように真っ赤で、下を向いた亜梨栖の横顔は悟にすら分かる程に緩んでいる。

 歓喜がこれでもかと込められた態度に悟も嬉しくなり、魅力的な姿を横目で見つつ目に焼き付けるのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] もはややりとりと空気感が恋人でよきよき [一言] 悟の気持ちを聞いたからアリスもかなーり甘えられるようになってますねぇ。かわいい
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ