第5話 子供扱い
「さあ、行きますよ」
亜梨栖が平坦な声を出しつつ、玄関へと向かう。
何だかんだで楽しみなのか、足取りが軽い気がした。
「分かったよ」
ラフではあるがすぐに外に出られる服装だったので、特段準備に必要なものはない。
貴重品をポーチへ詰め込み、すぐに亜梨栖の後を追う。
靴に履き替えて、扉を持ちつつ悟を待ってくれていた少女に小さく微笑んだ。
「お待たせ。それにありがとう」
「これくらい普通です」
つん、と素っ気ない声だが、決して悟を置いて行かないという言葉が嬉しい。
頬を緩ませつつ鍵を閉め、亜梨栖と並んで歩く。
五年前にはラーメンを食べに行く度に似たような光景が見られたなと、懐かしさに胸が震えた。
「昔もアリスが一番に家を出て、俺や母さん、奏さんを待ってたっけ」
奏もそうだが、彩も同じくらい忙しく、どちらも帰りが遅かった。
なので、偶にどちらかが早く帰る事が出来た際に、贅沢としてラーメンを食べていたのだ。
大はしゃぎで悟や彩、奏を催促する昔の亜梨栖を思い出して頬を緩めれば、隣の少女がびくりと肩を震わせる。
「……昔の事は言わないでください」
「別に恥ずかしがる事じゃないだろ。懐かしいなってだけだ」
「恥ずかしがってません」
そう言う割には、雪のように白い頬が僅かに色付いていた。
再会した時とは違う、昔の感情豊かな亜梨栖を感じさせる姿に、くすりと笑みを落とす。
「まあ、あの時みたいに大はしゃぎはしなくなったけどな」
「当たり前です。もう子供じゃありませんから」
「俺からすると、まだまだ子供だよ」
悟はもう少しで二十台の半ばに差し掛かる。そんな人からすれば、高校生など子供にしか見えない。
むしろ、子供として見なければならないのだ。例え、どれほど美しく成長したとしても。
「はぁ……」
子供扱いされたのが不服なのか、亜梨栖がこれ見よがしに溜息をつく。
そして、歩くスピードを速めてエレベーターに向かい始めた。
ちょうど悟達の階で止まっていたそれにするりと入り込み、ボタンを操作する。
悟が到着していないにも関わらず、扉が閉まり始めた。
「嘘だろ!? アリス!?」
「……」
悟の抗議に亜梨栖は何も答えない。それどころか、じろりと強い視線を向けられた。
幸いそれほど距離が離れていなかったので、危険だと自覚しつつも足を扉の間に挟んで動きを止めた。
仕事を妨害されて、エレベーターの扉が不満そうに開いていく。
もう一度閉じられる前に身を滑らせ、安堵の溜息を吐き出した。
「間に合わなかったら、容赦なく置いて行こうと思ったんですけどね」
「どうせエレベーターで降りるんだし、二度手間だろうが……」
「何言ってるんですか? 遅れた兄さんは階段で降りるに決まってるでしょう」
「……ここ、八階なんだが?」
「それでも頑張るのが兄さんの役目です」
僅かに宙に浮く感覚に身を浸しつつ、そっぽを向く幼馴染に嘆息する。
わざわざ地雷を踏みたい訳でもないし、悟としても気分の良いものではないので、子供扱いするのは止めておこうと心に誓った。
すぐにエレベーターは一階に着き、エントランスを通り過ぎると、亜梨栖が黒の日傘を広げる。
昔とは違った上品な日傘は、淡いブルーのワンピースにとても良く似合っていた。
「ほら、案内してください」
「はいはい。分かったよ」
日傘で顔を隠した亜梨栖の隣に再び並び、目的地へと歩き出す。
三月末に差し掛かった、春が僅かに香る柔らかな日差しであっても、彼女にとっては猛毒だ。
昔はそれでも顔を見せてくれたな、と日傘越しに壁を感じるのだった。
家からそれほど歩く事なく、目的地に着いた。
昼飯時から外れようとしつつある時間であっても、店内は繁盛している。
すぐに四十代程の男性が寄ってきて、亜梨栖の姿に目を見開く。
ただ、飲食店で働く者としての矜持か、驚きの表情を人好きのする笑みへと変えた。
「らっしゃい! この時間に来るのは珍しいじゃねえか」
「はい? え、えっと……」
「偶には昼に来るのもいいかと思ったんですよ。テーブルは空いてますか?」
「ちょっと待ってろ、片付けてくる」
からからと笑い、男性がテーブルを片付けに向かった。
嵐のように来ては去った人物に、亜梨栖がぱちぱちと瞬きを繰り返している。
「あ、あの人は?」
「ここの店長だよ。何回も通ってたら顔を覚えられたんだ」
「……何回も通う程だったんですね」
ラーメン好きとして強く怒れないが、行きつけの店になる程に通うのは喜べないのだろう。亜梨栖が拗ねたように小さく唇を尖らせた。
ここで威張れるような度胸など悟にはなく、苦笑しつつ肩をすくめる。
「それくらい美味しいんだよ。まあ、これからは偶に食べる事にする」
「そうしてください」
仕方ないなという風に亜梨栖が唇を緩めると、ちょうど片付けが終わったのか店長が案内してくれた。
ゆっくり食べられるのでテーブル席にしたが、窓際なので日差しが入り込んで来ている。
「店長、ここだけカーテンを閉めていいですか?」
「カーテン? ……あぁ、分かったよ」
「ありがとうございます。他の方もすみません」
詳しく事情を知らずとも悟が何の為に提案したか理解したようで、店長があっさりと許可を出した。
念の為に周囲の客へ謝罪し、悟達の席に掛かる日差しだけをカーテンで遮る。
「さあ座ってくれ」
「……ありがとうございます」
着席を促しつつ笑みを向ければ、亜梨栖がくすぐったそうにほんのりと目を細めた。
それも一瞬の事で、すぐに表情を切り替えて周囲へと腰を曲げて謝罪する。
「皆さん、すみません」
亜梨栖への特別扱いに、周囲が文句を言う事はなかった。それどころか、殆どの人が柔らかく目を細めて彼女を見ている。
もしかすると、明らかな訳ありだと察しているだけでなく、亜梨栖の美しさに毒気を抜かれたのかもしれない。
なにせ、店に入った時から亜梨栖は視線を集めていたのだから。
そんな周囲からの大量の視線を受けている少女は、興味などないという風な無機質な表情をしつつ悟の前に座った。
店長がからりとした笑みを浮かべつつ、オーダー用紙を取り出す。
「注文はどうすんだ? いつものか?」
「ですね。味玉豚骨ラーメン、メンマトッピングで」
「そっちの嬢ちゃんは? 決まってないなら後で来るけどよ」
「私も同じものをお願いします」
「あいよ! ちょっと待ってな!」
通りの良い声を発し、店長が去っていった。
ラーメンが届くまで暇のようで、亜梨栖がぼんやりと店内を見渡す。
「それにしても、随分人気なんですね」
「割と有名なんだ。他にもおすすめはあるけど、車を使うからまたの機会にさせてくれ」
「それは嬉しいですけど、車持ってたんですか?」
「中古の安い軽自動車だけどな」
通勤時には乗らないし、悟の家の周囲はそれなりに賑わっている。
なので車がなければ生活が出来ない、という程ではない。
しかし、あればそれなりに便利なのが車というものだ。社会人となってからはあまり乗っていないのだが。
胸を張れるものではないので肩を竦めつつ答えれば「そうですか」と簡素な言葉が返ってきた。
「……もう社会人、なんですよね」
寂しさがこれでもかと詰まった声に、胸が締め付けられる。
幼馴染とはいえ、五年も会わなかったのだ。
お互いに、全く知らない部分というものが出て来てしまう。
誰もが目を引くであろう美人にはなったものの、昔と違ってあまり表情を変えなくなった亜梨栖に、再会した当初の悟が戸惑ったように。
「まあ、気が向いたらドライブにでも行くか。中古の車で良ければ、だけど」
お互いに知らない事が増えたのなら、また知ればいいだけだ。
もう悟と亜梨栖は五年も顔を合せなかった幼馴染などではなく、正式に決まっていないとはいえ、これから一緒に住む同居人なのだから。
頬を掻きながら励ませば、亜梨栖が口に手を当てて上品に微笑む。
「ふふ、そうですね。慰めてくれて、ありがとうございます」
「……そこは言わないのが約束ってもんだろ」
昔とは違った大人びた笑みが向けられただけでなく、悟の励ましをあえて口にされた事で、心臓が拍動のペースを早めた。
頬に熱が宿るのを自覚しつつ、唇を尖らせる。
「そんな約束なんて知りません」
ほんの僅かにだが、楽しそうに目を細める亜梨栖があまりにも可愛い過ぎて、心臓の鼓動が落ち着かない。
悟が変わったように亜梨栖も変わったのだと、改めて実感するのだった。




