第45話 悟の過去
「好きです。付き合ってください!」
昼休みの図書室で偶に話す女子中学生が、顔に不安の色を浮かべて頭を下げた。
彼女とは殆ど話さなかったし、例え話しても当たり障りのない会話しかした覚えはない。
無理矢理好かれる理由を挙げるのなら、一度だけ彼女の代わりに高い位置にある本を取ったくらいだろうか。
悟に好意を持ってくれた事は純粋に嬉しい。しかし彼女に興味を持てず、せめて期待させないようにと悟も頭を下げる。
「ごめん、君とは付き合えない」
「……分かった」
潤んだ瞳を伏せ、顔を俯けて彼女が去っていった。
いくら断る側とはいえ女性を傷付けたという事実に胸が痛み、校舎の壁に凭れ掛かる。
「ホント、何でなんだろうな」
常日頃から、悟の傍には可愛らしさを限界まで詰め込んだような亜梨栖が居るので、自分の容姿に自信は無かった。
にも関わらず、中学生になった頃から悟の容姿や雰囲気が評価され始めたのだ。
亜梨栖と一緒に居るので女子との接し方に慣れているからか、それとも周囲と一線を引く態度が興味を引いたのかは分からない。
何にせよ、告白される事はそれなりにあった。
しかし告白してきた人に異性として好意を持つ事も無く、相変わらず友人が出来ないままだった事もあり、悟は浮いてしまっていた。
「ああ、気が重い……」
彩や奏、亜梨栖を除いて壁を作る悟にとって、周囲から浮く事は何も気にならない。
むしろ腫れ物扱いで会話しないのなら、その方が有難いと思っていた程だ。
にも関わらずがっくりと肩を落とすのには、別の理由がある。
彼女を振った数日後。学校に着けば、近くに座っている男子生徒達が悟を苛立たし気に睨んだ。
「またあいつ振ったんだってよ」
「なんで地味なくせにそんなにモテるんだよ」
「ああいう『俺、大人だろ?』みたいな態度を取る奴、見てるとむかついてくるわー」
悟の容姿の女子受けが良い理由なんて知らないし、斜に構えているつもりもない。
彼等からすれば不快かもしれないが、教室で堂々と他人の悪口を言い、空気を悪くする人よりかはまともだろう。
しかし、何も言っても無駄だと諦めて本を読む。
そんな悟をクラスの女子が眺めつつ、小さな声で話していた。
「わぁ、大人の対応だー」
「松原君だけ何か雰囲気が違うよねぇ」
悟と話すと教室の空気が悪くなるので、女子も悟を遠巻きに見る。
相変わらずの空気に溜息を落とし、けれど何も反応せずに過ごしていると、その更に数日後に変化は訪れた。
「おい松原。お前、何で小学校の女の子と一緒に帰ってるんだ? あれ、小学一年か二年くらいだろ?」
普段から悟へ非難の言葉をぶつけているグループの男子が、唐突に尋ねてきた。
その顔には、歪んだ笑みが張り付いている。
(何で知ってるんだ? ……まさか、後をつけられてたのか?)
亜梨栖を迎えに行くのは悟の日課だが、まさかその光景が見られているとは思わなかった。
もしかすると、悟の弱みを見つける為に尾行したのかもしれない。
そこまでやるかと呆れつつも、確証はないので断定をしては駄目だと思いなおす。
それに、その程度の質問は痛くも痒くもない。
「あの子の親が忙しくて、迎えに行くように頼まれてるんだよ」
「へぇ……。それだけか?」
「もちろん、それだけだ」
下卑た笑みと言葉を流すと、彼の顔に僅かに苛立ちが混じった。
「外国人の子供にも優しいだなんて、流石は松原だな」
「あの子は俺達と同じ日本人だよ」
おそらく亜梨栖の髪や、もしかすると瞳の色からも外国人と判断したのだろう。
しかし彼女の背負っている体質は、そんな簡単に判断されて良いものでは決してない。
勘違いを指摘すると、彼の瞳に嘲りの色が宿った。
「日本人なのにあんな髪してるのかよ」
「……それがどうした?」
亜梨栖は好きであんな髪の色をしている訳ではないのだ。
そのせいで友人が出来ず、けれど引き籠らずに学校へ行っている。
亜梨栖の苦労が彼に何一つ伝わらずとも、馬鹿にされたくはない。
どうしても許せず言葉の端に苛立ちを乗せれば、彼が納得のいったように「あ、分かったぜ!」と声を上げた。
「障害持ちの小学生をお世話するのが楽しいんだな! さぞかしちやほやされてるんだろうなぁ!」
「…………何だと?」
大切な幼馴染を面と向かって馬鹿にされ、思考が真っ赤に染まる。
思いきり睨むと彼は一瞬だけ怯んだが、すぐに獲物を見つけたような笑みになった。
「だから告白してきた人を全員振ってるんだろ? 小学生に懐かれる方が大事なんだよな!」
「だとしたら何だ? 慕ってくれる子を大事にするのは間違ってるのか?」
「慕ってくれるぅ? お前はその子に良い所を見せて、そういう風に仕向けただけなんじゃねえのか?」
「……違う」
亜梨栖を大切にしたいと、何よりも優先したいと思ったのは事実だし、後悔もない。
しかし、慕ってくれるように振る舞ったのも確かだ。
僅かに言葉を詰まらせれば、彼がニヤリと顔を歪ませる。
「もしかしてお前、その子の事が好きなのか?」
「っ!?」
初めて会った時には、その感情が何なのか分からなかった。
けれど中学生にもなれば、胸を焦がす感情に名前をつけられるようになる。それが、同年代の異性に興味のない悟であっても。
同時に、その感情がどれほど世間の常識から外れたものなのかも自覚した。
良い子であろうとする悟にとって、それは決して表に出してはいけないものだった。
だからこそ、ひた隠しにしていた気持ちを無遠慮に暴かれ、びくりと体が震えてしまう。
悟の反応を彼が見逃すはずもなく、けらけらと笑われた。
「おいおい、こいつは笑えるぜ! この歳にもなって、小学校低学年の子が好きだなんてよ!」
彼の言葉に、ざわりと周囲が騒がしくなる。
これまで悟を非難していた男子だけではない。
好意的に見てくれた女子も、我関せずという態度だった人達も、化物でも見るような目つきで悟を見始めた。
周囲が味方となったからか、彼の声に熱がこもっていく。
「信頼されてるみたいだし、体の良い言葉でその子をお前好みにでもするつもりか? なあ、『お兄ちゃん』?」
「……黙れ」
彼の言葉がなぜか胸に突き刺さり、低い声が勝手に出た。
しかし、彼がそれだけで止まるはずもない。
「さぞかし気分が良いんだろうな! 自分の言いなりになる女の子に慕われるのはよ!」
「黙れって言ってるだろうが!」
言いたい放題言われるのが我慢できず、声を荒げてしまった。
そんな風に過剰な反応をしたせいで、彼の顔が愉悦に歪む。
「そんな風に言うって事は図星かよ! 気持ち悪い!」
「お前に……! お前に何が分かる!」
「小学生を好きになる奴の事なんて分からねぇよ! 知りたくもねえ!」
「ならもう黙ってろ!」
「黙る訳がねえだろうが! それに、もう手遅れだっての!」
周囲のクラスメイトは悟を冷ややかな目で見ており、既に味方は誰も居なかった。
おそらく、どれだけ言葉を尽くしても彼等には届かないだろう。
正直なところ、それは構わない。どうせ元々クラスで浮いていたのだから。
しかし悟と亜梨栖の関係を、何も知らない人の言葉で汚されるのには耐えられなかった。
「ふざけんな!」
衝動のままに体を動かし、握った拳を彼の頬に叩きつける。
ただ、人の殴り方など知らない悟の拳など、少しも響かなかったらしい。
彼も瞳に憎悪を込めて、悟を殴ってきた。
「お前こそふざけんじゃねえよ! お前のせいで、俺は……!」
「俺が何かしたのかよ! 何もしてねえだろうが!」
彼とは嫌味を言われ続けるような間柄だったので、悟からは一切話し掛けなかった。
当然ながら、恨みを買われるような事をした覚えなどない。
無茶苦茶な理論で殴り返されたので、悟も遠慮なくやり返す。
「したんだよ! 本ばっかり読んでる陰気な奴に、俺は負けたんだからな!」
「はぁ!? 何の事を言ってるのか分からねえっての!」
どちらも収まりがつかず、中学校三年生の男子達が取っ組み合いを始めた。
それは先生が止めに入るまで続き、お互いに頬を腫れあがらせる事になる。
結局、生徒指導という形で両成敗となったが、先生の言葉など耳に入らず、ずっと彼の『その子をお前好みにでもするつもりか?』という言葉が引っ掛かっていた。




