第40話 成長期
「それじゃあいきますよ」
亜梨栖がご機嫌な声を出して、悟の体を洗おうとする。
この状況に関しては流された悟が悪いのだし、理性を縛ればいいだけだと諦めた。
しかし、どうしてもお願いしたい事がある。
「その前に、タオルを取ってくれないか?」
「何に使うんですか?」
「この状況でタオルを使うなら、体を隠す為しかないだろ?」
異性に体を見られるのは恥ずかしくないが、それはあくまで上半身だけだ。
下半身の大事な所は流石に遠慮したい。
それに、亜梨栖は一度見た際に思いきり慌てていたので、二度も見たくないだろう。
ただ、彼女は悟の言葉にきょとんとした顔で首を捻る。
「必要ありますか?」
「ほう。なら俺の下半身が見えるけど、構わないんだな?」
「かはんしん!? あの、その……」
思い知らせる意味も込めて煽り気味に口にすると、亜梨栖の声が裏返った。
すぐにタオルを用意するかと思ったが、腕を体の後ろで組み、恥ずかしそうに体を揺らす。
そんな事をすれば母性の塊が強調されてしまい、肌に張り付いている水着も合わせて悟の理性を殴ってきた。
頬を真っ赤に染め、深紅の瞳が潤んでいるのも心臓に悪い。
呻きそうになるのを我慢し、憮然とした態度を心掛ける。
「見たくないだろ? 俺が立ち上がる訳にはいかないし、用意して欲しいんだ」
「……い、いいえ。私はこのままでも構いませんよ?」
「は?」
明らかに羞恥の混じった声をしつつも、このままで良いと肯定されてしまった。
低く短い声で応えれば、亜梨栖は耳まで朱に染めながら顔を逸らす。
しかし、ちらちらと悟の体へと視線を送っているのが丸分かりだ。
「ど、どうせ一回見てますし、一回も二回も変わりません。それに好きな人の体を見られるのですから、私にとってはご褒美です」
「滅茶苦茶顔が赤くなってるし、無理してないか?」
「してません! 兄さんと一緒にお風呂に入れるのが嬉しくて、下半身を見てしまう事が頭から抜けてたなんて、そんな事ありません!」
「自爆してどうする」
一回目の事はもう気にしないとして、どうやら今回は亜梨栖が浮かれすぎていたらしい。
それほどまでに楽しみにしてくれたのは嬉しいが、思わず突っ込みを入れた。
流石に限界が来たのか、亜梨栖が風呂場にへたり込んで頬を抑える。
「あう……。うぅ……」
「と言う訳で、お互いの為にタオルを用意しないか?」
「……分かりました。今日は、私が無理そうです」
「助かるよ」
ふらふらとした足取りで亜梨栖が風呂場から出て、タオルを持ってきた。
膝に掛けて下半身が見えないようにして、ようやく一息つく。
「それでは改めて、洗っていきますね」
「お願いします」
亜梨栖がシャンプーを手に取り、悟の髪をゆっくりと洗っていく。
優しい指使いが心地良く、これだけでも極上のご奉仕だと言える。
「こんな感じでどうですか?」
「もうちょっと強くてもいいぞ」
「はい」
悟の言葉に亜梨栖が力を強めるが、少しも痛いとは思わない。
むしろ、ずっとしてもらいたいくらいに気持ちが良い。
そんな幸せな時間はあっという間に終わり、頭からお湯を掛けられた。
「それじゃあ、次は背中ですね」
「おう。背中までにしてくれると助かる」
「……はい」
上半身の前側や下半身を亜梨栖が洗うとなれば、いくら誘惑と言えどやり過ぎだ。下手をすると大事な所が見えてしまうだろう。
彼女もそれを分かっており、短く応えつつ背中を洗ってくれる。
ジッと待つのも手持ち無沙汰で、その間に顔を洗い終えた。
「……やっぱり、兄さんの背中は大きいですね」
「小さくなったら怖いだろ。まあでも、昔もそんな事を言われたなぁ」
先日の呟きに関しては、触れて欲しくないだろうと思って言及しない。
懐かしさに頬を緩めれば、背後から小さな笑い声が聞こえてくる。
「ふふ。昔一緒にお風呂に入っていた時に言ってましたからね」
亜梨栖が小学生、悟が中学年になった時からは一緒に入らなくなったが、それ以前はよく一緒に風呂に入っていた。
その際も亜梨栖が背中を洗ってくれ、その大きさをよく言及していたのだ。
彼女の声にも懐かしさが含まれており、二人で思い出に浸る。
「昔と同じように洗われるのはどうですか?」
「やっぱり、他の人に洗われるのは気持ちが良いよ」
「ありがとうございます。ですが、他の人ではなく私でお願いしますね」
「……分かったよ」
付き合ってすらいないのだが僅かな嫉妬心が嬉しく、くすりと笑みを落とした。
そのまま亜梨栖に任せていると、すぐに背中を洗い終える。
「では、前は自分でお願いしますね。私は自分の髪を洗うので」
「自分でやるのか?」
悟の風呂はそれなりに広く、二人が同時に体を洗うのも問題なく出来る。
だが、折角洗ってくれたのだから、そのお返しをしたい。
待ってくれれば悟が洗うのだが、亜梨栖が微笑を浮かべて小さく頷いた。
「はい。今回は兄さんを誘惑する為に来ましたし、遠慮しておきます。洗ってもらいたくはあるんですがね」
「……そうか」
本気で誘惑しているのだから今は甘えられない、という言葉に苦笑しか零せない。
改めて全てを亜梨栖に告げなければと決意しつつ、体を端に寄せて洗っていく。
しっかりと洗い終えるが、後ろからはまだ物音がしていた。
「こっちは終わったけど、振り向いても大丈夫か?」
「はい。先に湯船に浸かっていていいですよ」
「それじゃあ遠慮なく」
再びタオルで下半身を隠し、湯船に浸かる。
亜梨栖はというと、悟の予想通りまだ髪を洗っていた。
「やっぱり、髪が長いと大変みたいだな」
「こんなのは慣れですよ」
昔と違って手間が掛かっているのに、亜梨栖は平坦な顔で髪を洗っていく。
スクール水着で髪を洗うという行為が変に思えるが、その姿は一枚の絵画のようで非常に美しい。
ジッとその姿を見ていると、ようやく洗い終えたようで泡を流していく。
そして、水着から出ている腕や足を洗い始めた所で、ふと疑問が浮かんだ。
「今更な質問をしていいか?」
「はい」
「腕や足は良いとして、水着の部分はどう洗うんだ?」
「流石にこの状況では洗えないので、後でしますよ」
「……なるほどな」
この状況で水着の部分を洗うとなれば、脱がなくてはいけないので当然だ。
すぐに亜梨栖は手と足を洗い終え、泡を流して浴槽に手を掛けた。
「失礼しますねー」
いくら誘惑といえどくっつくような事はせず、亜梨栖が悟とは反対の壁に凭れる。
スクール水着を着た女子高生と一緒に風呂に入る、という行為があまりに倒錯的で、心臓の鼓動が僅かに早まった。
いくら反対側とはいえ、どうしても足が触れてしまうのも鼓動を早める要因の一つだ。
「はぁ……。気持ち良いですねぇ」
「スクール水着を着てまで一緒に入るとは思わなかったけど、それには同意だ」
「こういう時でないと使いませんからね」
「……確かに」
おそらく学校で水泳の授業があるから買ったのだろうが、亜梨栖の体質を考えると使用出来ない。
そうなると新たな疑問が浮かんでくる。
「というか、授業で使えないのにどうして買ったんだよ」
「取り敢えず買えって先生に言われたんですよ。最初はお金の無駄だと思ったんですが、買って良かったですね」
「ああ、そっか。見栄か……」
嬉しさと呆れを混ぜ込んだ笑みを亜梨栖が浮かべた。
最初から水着を買わないとなれば、水泳のやる気が無いと判断されてもおかしくはない。
それでも亜梨栖の事を少しでも知れば、授業など受けられないと簡単に判断に出来る。
ただ、それで納得しないのが大人の事情というものだ。水着を買った事で最低限頑張ろうとした、と周囲に言えるようにといった所だろう。
働いている身としては見栄の大事さがある程度分かるので、苦い笑みしか返せなかった。
「大人の事情はややこしいですね」
「振り回される身としてはたまったもんじゃないよな」
「仕方ありませんよ。まあ、入るか心配でしたが、少し大きめを買って良かったです」
「……それに俺はどう答えればいいんだ?」
背なのか、それ以外の場所なのか。何にせよ、デリケートな話題過ぎて頬が引き攣ってしまう。
反応に困ると言葉をぶつければ、紅玉の瞳が意地悪そうに細まった。
「男性として、大きい方が好みではないですか?」
「ノーコメントで」
「ふふ。成長期なんですよねぇ」
「頼むから止めてくれ……」
亜梨栖の言葉のせいで、昔からは考えられない程に成長した場所へと目が行ってしまう。
もう悟の頬は真っ赤に染まっているはずだ。
虐めないでくれと懇願すれば、くすくすと軽やかな笑みが風呂場に響く。
「それだけ大きくなったって事ですよ。実感出来ましたか?」
「……ああ。思い知らされたよ」
「なら今回は大成功ですね」
ご機嫌に微笑む亜梨栖に再び心をくすぐられ、顔を逸らすのだった。




