第39話 アリスの本気
「腹一杯だ……」
満腹感と酔いが心地良く、フォークを置いて椅子に思いきりもたれる。
晩酌の締めにペペロンチーノは珍しいが、最高だった。
間接キスに関しては、反応すると亜梨栖に揶揄われるので、平静を意識して食べた。
「ごちそうさまでした。ホントにありがとな」
「おそまつさまでした。お酒も飲んでますし、ゆっくりしてくださいね」
「すまん。そうさせてもらうよ」
正直なところ、もう少しだけこの良い気分に浸っていたい。
先日の信之や佳奈との飲みも楽しかったが、家で亜梨栖と飲む酒は格別だった。
申し訳ないと思いつつも彼女に後片付けを任せ、ソファへ腰を下ろす。
「晩酌はいいなぁ……」
「前は空き缶を大量に出してましたし、そんなにお酒が好きなんですか?」
キッチンで洗い物をしているのかと思ったが、気付けば亜梨栖が傍に来ていた。
コトリと水の入ったコップを置き、首を傾げている。
「好きか嫌いかで言えば好きだけど、普段は気分転換くらいだな。あのゴミの山は片付けをサボった結果だ」
「それにしては随分と満足してそうでしたけど」
「それはまあ……。アリスと一緒だったからだな」
「は、はい!?」
気恥ずかしさはあるがそれでも口にすると、亜梨栖が素っ頓狂な声を出した。
唐突な褒め言葉に、雪のような頬が一瞬で真っ赤になる。
深紅の瞳が忙しなくあちこちに移動しているのが可愛らしい。
「何を言ってるんですか!?」
「何って、感想だよ。アリスのお陰で最高の晩酌が出来た。ありがとな」
「私、何もしてませんが」
「してくれたさ。美味いつまみだけじゃなくて、一緒に居てくれたからな」
酔っているだけでなく決心がついたからか、口から褒め言葉が簡単に出る。
悟の勢いに負けたかのように、彼女が耳まで真っ赤にしつつ渋面を作った。
「……べた褒めされると調子が狂いますね」
「酔っ払うと口が軽くなるんだよ。勘弁してくれ」
「いえ、嫌な訳じゃないんですけど……。確かに、そうでしたね」
「何だか知ってるような言い方だな。……もしかして、水曜日に俺が何か言ったか?」
奏は酒を飲まないし、彩も同じだ。となれば、亜梨栖の前で酒を飲む人となると悟しかいない。
そして、彼女の前で酔った姿を見せたのは、今日を除けば水曜日だけだ。
記憶が曖昧な時に不用意な事を言ったのかと不安になり、頬が引き攣る。
悟の問いに、亜梨栖がくすりと小さな笑みを落とす。
「いいえ、何も」
「いや、絶対言っただろ」
「いーえ。さあ、後片付けをしましょうかね」
露骨に話題を逸らし、亜梨栖がキッチンへ逃げていった。
彼女を傷付けるような事を言ってしまったかもしれないと考えたが、そうであるなら彼女はあんな対応はしない。
「……まあ、いいか」
どうせ何を言ってもはぐらかされるのだから、諦めてソファに身を預けるのだった。
「さてと、今日のお風呂はどうしますか?」
暫くすると、亜梨栖が片付けを終えてリビングに帰ってきた。
先日はかなり酔ったが、今日は彼女の言いつけ通り酒の量を抑えている。
なので、風呂に入れない程に酔ってはいない。
「今日は入ろうかな。シャワーだけじゃなくて、ちゃんと湯船にも浸かれるだろうし」
「了解です。なら、もう沸いてるので入ってください」
「はいよ。いつもありがとな」
悟が帰ってくるまでに沸かしてくれた事に感謝を述べ、パジャマを持って脱衣所に向かう。
服を脱いで風呂場に入り、頭からお湯を被った。
「はぁ……。気持ち良いなぁ……」
酒で火照った体に、お湯の熱さが心地良い。
気持ち良さに眠ってしまう可能性もあるが、この程度の酔いなら大丈夫だろう。
そう思ってまずは髪を洗おうとすれば、脱衣所の扉が開く音がした。
「お湯加減はどうですか?」
風呂場の硝子越しに聞こえた声に心臓が跳ねる。
以前逆の立場だった際はお互いに悲鳴を上げてしまったが、悟が声を掛けられる分には何も問題ない。
それに、悟の脱いだ服など亜梨栖は興味を示さないだろう。
必死に冷静を取り繕い、壁一枚を隔てた幼馴染に声を掛ける。
「ばっちりだー」
「それは良かったです。じゃあ失礼しますね」
「は、え、ちょっと!?」
悟が動揺している間に、勢いよく風呂場の扉が開かれた。
まさか亜梨栖が入ってくるとは思わず、急いで首を捻り、彼女と反対の方を向く。
すると、くすくすと鈴を鳴らすような笑い声が風呂場に響いた。
「こっちを見ても大丈夫ですよ。ちゃんと対策してますから」
「ほ、本当だな?」
「ええ。いくら兄さんを誘惑するとしても、既成事実を作るつもりはありませんから」
「微妙に怖い事を言うなって……。それじゃあ、見るからな?」
「はい」
体で迫られたらどうしようかと思ったが、流石にそんな事はしないらしい。
凄まじく心臓に悪い発言に嘆息し、確認を取って亜梨栖を見る。
「………………犯罪じゃね?」
対策という点で見れば、亜梨栖の服装は百点満点だ。
しかし、社会人となった今では絶対に見る事の出来ない服装は、反則ではないだろうか。
頬が引き攣る悟とは反対に、亜梨栖が上機嫌な笑みで一回転する。
紺色の生地に覆われた形の良い臀部が見えたのは一瞬だが、それでも目が惹き付けられてしまった。
「どうです? 現役女子高生のスクール水着は」
「いや、もう、どこから突っ込めばいいか分からないって」
スクール水着は亜梨栖の肌に張り付き、そのスタイルの良さを浮き彫りにしている。
下半身側はスカートタイプだが、それでも普段の部屋着以上に柔らかそうな太腿を見せていた。
下手をすると高校生と判断されないくらいに大人っぽい外見の亜梨栖だが、スクール水着が嫌でも彼女が高校生だという事実を突き付けてくる。
あまりにもその姿が眩し過ぎて、男の理性を揺さぶり過ぎて、理性が暴走しないよう必死に縛り付けた。
それでも沸き上がる熱を収めて発言すると、亜梨栖が不満そうにほんのりと唇を尖らせる。
「感想の一つでも欲しいんですが」
「……かわいい」
全裸の社会人とスクール水着の高校生が風呂場に居る、という事実だけ見れば確実にアウトだ。
何を言っても危険な気がして、取り敢えず一番無難な感想を述べる。
「ふむ。まあ良しとしましょうか」
「それで、何でそんな水着を着てるんだよ」
これ以上変な事を言われる前に話を逸らせば、ゆるりと口の端を持ち上げた。
「それこそ愚問じゃないですか。一緒にお風呂に入る為ですよ。後はまあ、酔った兄さんが一人で湯船に浸かるのは危険ですからね」
「……心配してくれるのは有り難いけど、今日は一段と攻めるなぁ」
「今日を入れて後二日しかありません。それに明日と明後日は兄さんも休みですし、私も本気を出します」
「いや、その……」
本来ならば、この時点で「全部話すから止めてくれ」と言うべきなのだろう。
しかし、倒錯的な亜梨栖の姿を見ていたいと思ってしまった。
揺れる心のままに口ごもると、彼女が瞳を不安に揺らがせて悟を見つめる。
「駄目ですか? 兄さんが嫌なら止めますけど」
「……駄目じゃないです」
止めさせれば亜梨栖の精一杯の努力を踏み躙りそうで、世話を焼いてくれるのがどうしようもなく嬉しくて、つい許可してしまった。
亜梨栖が僅かに頬を染めつつ瞳を可愛らしく細め、悟の後ろに回り込む。
「では、早速体を洗いますね」
歓喜を滲ませた弾んだ声が、悟の罪悪感を刺激してくる。
正直に言えもしない、情けない大人だなと肩を落とすのだった。




