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第37話 決意

「ようやく終わった……」


 時計の針が二十時を指す頃、ようやく今年度の仕事が全て片付いた。

 ぐったりと体の力を抜き、椅子にもたれ掛かる。

 すると、視界の端に会社で唯一と言える異性の友人の姿が見えた。

 可愛らしい顔には、確かな疲労と達成感が出ている。

 

「お先に失礼します」


 荷物を纏めて周囲の同僚に挨拶し、職場を後にした。

 フロアを出れば、帰り支度を済ませた佳奈がぺこりと頭を下げる。


「お疲れさまです」

「柊がこっちに来るのは珍しいな。そっちも終わったのか?」

「はい。それで、途中まで一緒に帰りませんか?」

「ああ」


 佳奈の家は知らないが、悟と同じで電車通勤だ。

 ビルを出て、最寄りの駅までゆっくりと歩く。

 三月の終わりの春の陽気が、仕事で疲れた肌を撫でる。

 その心地良さに浸っていると、「あの」と佳奈が意を決したような声を発した。


「どうした?」

「そ、そういえば、松原さんの恋愛話って聞かないですよね」

「ん? まあ、付き合った事なんて今まで一度も無いからな」


 仕事にずっと追われていた佳奈に、恋愛関係の話題を振られるとは思わなかった。

 しかし彼女とて女性なのだから、そういう話に興味があるのだろう。

 ただ、悟は恋人が居ない歴と年齢が等しい人間だ。

 肩をすくめて応えれば、佳奈がへにゃりと眉を下げて悟を見上げる。


「でも、好きな人は居るんですよね?」

「……もしかして、信之との話を聞いてたのか?」


 悟の心の奥底に触れる発言に、心臓が跳ねた。

 なぜ確信を持っているのか不思議に思ったが、心当たりならある。

 おそるおそる尋ねると、佳奈が勢い良く頭を下げた。


「すみません! ちょうど聞こえてしまって……」

「いや、気にすんな。何が何でも秘密って訳じゃないからな」


 正直なところ、あの時は酒によって口が滑ったので、佳奈にも知られたくはなかった。

 しかし、知る事になった原因は悟にある。

 なので彼女を怒るつもりも、非難するつもりもない。


「でも、他の人に言わないでくれると助かる」

「もちろんです。でも、やっぱり居るんですね」

「……ああ、居る」


 正直に答える義理はないのだろう。けれど、佳奈の声がゾッとする程に真剣なものだったので、誤魔化せなかった。

 恋人が出来なかったからといって、恋を知らない訳ではない。

 気付けばいつの間にか抱いており、自覚してからは心の内に秘めた想いが悟にもあるのだ。

 それは絶対に届かず、諦めたはずだった。なのに、最近になって再び燃え上がってしまっている。


「初恋なんだ。ずっと、ずっと前からその子に恋をしてたんだよ」


 もうすぐお試し期間が終了してしまうのに、この想いを告げるかどうかすら決めていない。

 そもそも、あの子には先に話さなければならない事がある。

 しかし決断が出来ず、今日を入れてあと三日という所まで来てしまった。


(何やってんだろうな……)


 大人になったくせに、子供のように迷い続けている自分自身に呆れる。

 佳奈はというと、悟の言葉に顔をうつむけていた


「………………大丈夫ですよ」


 どれくらい無言の時間が続いたのか。

 最寄り駅が見え始めた所で、佳奈がぽつりと呟いた。

 久しぶりに見た気がする顔は、痛みを押し殺したような笑顔だ。


「松原さんの想いは形になります」


 信之と同じく、何の根拠こんきょもない言葉。

 しかし怒る気など起きず、むしろその言葉は悟の背中を押してくれた。

 

「……そうなったら、いいな」

「大丈夫ですよ。私を救ってくれた人には、幸せになって欲しいです」

「救ったって、俺は何もしてないんだが?」


 佳奈と知り合ったのは半年前だし、詳しい事は何も知らない。

 どこに住んでいるのかも、どんな学生時代を送ったのかも、何一つ。

 他人の事情に踏み込み過ぎない事が、社会を生きていく上で大切なのだから。

 悟がした事といえば、疲弊ひへいしきった佳奈を見て見ぬフリ出来ず、強引に休憩へ連れて行っただけだ。

 偶に飲みに行ったのも、お節介でしかない。

 なのに、佳奈は淡い微笑を浮かべてゆっくりと首を振る。


「してくれましたよ。多分、松原さんが居なければ、私は今度こそ潰れてたと思います」

「そんな事はないだろ」

「それがあるんですよ。なので、そんな松原さんを私は応援します」


 悟にはいまいちよく理解出来ないが、佳奈にとっては譲れない事なのだろう。

 ならば、悟が否定しては駄目だ。

 

「ありがとう。柊」

「いえいえ。それでは、私は先に行きますね」


 佳奈が歩くスピードを速め、先に駅へ入っていく。

 唐突な行動に疑問を覚えたが、付きまとっても迷惑だろう。

 ゆっくりと歩きつつ、小さな後姿に声を掛ける。


「本当にありがとう。また飲みに行こうな」

「………はいっ」


 佳奈は振り返らず、僅かに頷いた。

 少しだけ声が震えている気がしたものの、彼女は駅の中に入ったので声は掛けられない。

 悟が駅に入る頃には、とっくにその姿は見えなくなっていた。


「社会人と高校生、か……」


 それを形にするには、あまりにも問題が多い。

 しかし、数少ない友人達に背中を押されたのだ。

 何もしないというのは、大人として、彼らの友人として、情けなさ過ぎる。


「よし。取り敢えず、全部話してからだな」


 あの子は怒るだろうか。それとも軽蔑けいべつするだろうか。

 ある意味では、そちらの方が良いかもしれない。

 先の見えない不安に怯えつつも、けれど心はしっかりと前を向けている。

 電車に乗って数駅。帰宅ラッシュに揉まれながらも、家の近くの駅に着いた。

 今日の晩飯は昨日亜梨栖に誘惑されながらも相談しており、真っ直ぐ帰らずコンビニへ向かう。

 数本の缶を買って自宅へ。

 エントランスを通り、エレベーターで八階に上がる。

 数ある扉の内の一つを開けば、ぱたぱたと軽い足音が近づいてきた。


「おかえりなさい、兄さん」

「ただいま、アリス」


 幼馴染であり、同居人でもある少女が、柔らかな微笑みを浮かべて悟を迎えてくれる。

 それだけで、仕事の疲れが癒される気がした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 後輩ちゃん、それでも悟の後押しするとか健気っ [一言] ついに決着の時かっ! ワクテカワクテカ!
[気になる点] いよいよ明日か…。 過去にあったことの真相を。 そしてこれから始まる甘えモードのきっかけを。
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