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第36話 追いかける者、追いかけられる者

 朝にアクシデントがあったものの、そのお陰で悪夢を引きる事なく仕事を終えて帰ってきた。

 とはいえ、信之には飲み過ぎた件を心配されたのだが。

 また、佳奈は相変わらず忙しそうで会っていない。


「「ごちそうさまでした」」


 今日の晩飯である、豚バラのみぞれ煮を完食して手を合わせる。

 いわく昨日悟が飲み過ぎていたので、今日はあっさり系にしたらしい。

 朝飯はしっかり食べたが、あまり食欲がなかったので非常に有難かった。


「さてと、それじゃあ片付けますね」


 亜梨栖が席を立って食器を重ね始める。

 これまでなら彼女に任せていたが、今日は重ねられた皿を奪い取った。

 突然の悟の行動に、亜梨栖が目をぱちくりとさせる。


「どうしたんですか?」

「昨日迷惑を掛けたからな。そのお詫びに、片付けくらいさせてくれ」


 あまり覚えていないが、亜梨栖は世話を焼いてくれたはずだ。

 それに、昨日は誘惑されていない。彼女からすれば、貴重な一日を無駄にしたのと同じ事だ。

 楽しみにしていたとは口が裂けても言えないので、心の片隅にある感情を抑えつける。


「別に迷惑なんて掛けられてませんし、ゆっくりして良いんですよ?」


 やはりというか、亜梨栖はほんのりと呆れた顔を浮かべて遠慮した。

 だが、悟としてもここで退く訳にはいかない。


「俺が納得出来ないんだよ。という訳で、今日は片付けさせてくれ」


 少々強引に話を切り、食器をシンクへと運ぶ。

 そんな悟へ、呆れと微笑ましさを混ぜ込んだ小さな笑みが向けられた。


「強引なんですから。……じゃあ、今日くらいはお願いしましょうかね」

「ありがとう。それと、今日はある程度無茶な事を言ってもいいからな」

「それ、誘惑される側のセリフじゃありませんよ」

「……だよな」


 本来であれば断固拒否する側である悟が、誘惑を歓迎するような事を言うのは間違っている。

 しかし昨日信之に背中を押された事で、少しだけ前向きに考えても良いと思えたのだ。

 社会人として失格な態度に乾いた笑いを零し、食器を洗い始める。


「それじゃあ、最初の誘惑をしますね」


 てっきりリビングのソファに座ってくつろぐかと思ったが、亜梨栖がキッチンへと入ってきた。

 シミ一つない真っ白な腕が伸び、悟の洗った食器を拭いていく。


「一緒に片付けしましょう?」

「それのどこが誘惑なんだか。まあでも、こういうのもいいな」


 どちらかが家事をするのではなく、一緒に行う。

 それが何だか昔に戻ったような気がして、胸が暖かくなった。


「昔はこうして兄さんから食器を受け取っていましたね」


 亜梨栖も同じ事を思ったのだろう。整い過ぎている横顔は、懐かしむような微笑を浮かべている。


「ああ。亜梨栖はいつも俺を手伝ってくれたよな。テーブルを掃除してくれたり、今みたいに食器を拭いてくれたり」

「兄さんに良い所を見せたかったですからね。我儘わがままばかりじゃ嫌われてしまいますから」

「……妙に物分かりが良かったのって、それが理由だったのか」


 会った当初は亜梨栖に振り回される心配をしていたものの、彼女は驚く程に素直だった。

 時折はしゃいで悟を困らせる事はあれど、怒る事は無かった気がする。

 その理由が、悟に良い所を見せる為だとは思わなかった。


「もしかして、随分前から俺に好意を持っていたのか?」


 二度も亜梨栖の告白を断った悟が尋ねるのは、あまりにも不誠実だというのは理解している。

 しかし、どうしても尋ねずにはいられなかった。

 今更ながらに後悔が襲ってきて、おそるおそる彼女の顔色をうかがう。

 怒られるかと思ったが、亜梨栖は悪戯っぽく笑んでいた。


「それは内緒です。これ以上は言いませんよ」

「……分かったよ」


 悟がこれまで見た中で一番可愛らしいウインクに、心が揺さぶられる。

 男心をくすぐる小悪魔に溜息をつきつつ、片付けを続けるのだった。





「では次の誘惑でもしましょうかね」


 片付けを終え、既に二人共風呂から上がっている。

 悟が亜梨栖の髪を乾かし終わった所で、彼女がそんな声を発した。


「よし、どんとこい」

「今日はいつにも増して強気ですね。それじゃあ、ソファに座ってください」

「これでいいか?」


 気前よく返事をしたものの、内心ではかなり緊張している。

 しかし無茶なお願いでも良いと言った手前、ここで退けはしない。

 必死に平静な態度を取りつくろい、ソファに座った。


「ありがとうございます。それじゃあ失礼しますね」


 亜梨栖がそう言いつつ、悟と同じようにソファへ座る。

 それだけなら昨日までと変わらないが、今日は肩が触れる程に距離が近い。

 昨日と同じように端に座ったせいで、逃げる事も出来なくなっている。


「ち、近くないか?」

「誘惑なんですから当たり前でしょう。それと、これで終わると思ったら大間違いですよ」


 ほんのりと頬に朱を含ませ、亜梨栖が茶目っ気たっぷりに笑む。

 これ以上何があるのかと身構えていると、悟の肩に小さな頭が触れた。

 風呂上がりだからか、シトラスとシャンプーの混ざった甘い匂いがふわりと香る。

 あまりにも近い距離で女性らしさを叩きつけられ、心臓が壊れそうなほど脈打ち始めた。


「ふふ、こういうのもいいですね」

「いや、その……」


 マッサージや手を握る等、これまで亜梨栖と触れ合う事はあった。

 しかし悟の心が少しだけ前を向けたからか、ただ肩に頭を乗せられているだけなのに、破壊力が凄まじい。

 そして決して悪い気分ではなく、もっとこうしていたいとすら思ってしまった。


「どうですか? こういうのは昔してなかったですよね」

「そりゃあそうだろ。だってこれは――」

「恋人とするような事、ですからね」

「……そうだ」


 昔もスキンシップとして触れ合う事は多かったが、亜梨栖が小学生高学年に上がる頃には控えていた。

 それに、例え幼馴染だとしても、こんな寄り添って過ごす事などしない。

 言葉を誤魔化そうとしたものの亜梨栖が口にしてしまい、羞恥が頬を炙っていく。


「兄さんは昔から体が大きいですよねぇ」


 亜梨栖がくすりと笑みを零し、ぐりぐりと頭を押し付けてきた。

 あまりに可愛らしさに頭を撫でたくなったが、ぐっと奥歯を噛んで堪える。


「七歳上だからな。それに男としても背が高い方だし、アリスに抜かれる事はないな」

「でしょうね。私は一生、そんな兄さんの背中を追いかけるんだと思います」

「……アリス?」

「何でもありません。兄さんの背が高くて肩に頭を乗せやすいって事です」


 明らかに話をらされたが、追及はしない。

 先程の悔しさや羨望せんぼうが混じった声には、今の悟が踏み込めない何かを感じたのだから。

 再びぐりぐりと顔を押し付ける亜梨栖に苦笑し、心地良い感触を堪能たんのうするのだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] おや、アリスはアリスで何か抱えてそうですなぁ。 相互理解が済めばお互いに我慢しなくなるんでしょうなぁ
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